第十四話 ミーアの人生相談
お風呂から上がったラーニャは、急いでお菓子を準備して、ミーアの部屋に向かった。
持ってきたのは、ペルージャン産の果物を使った陽恵果実というお菓子だった。
父である国王から直々に「セントノエルで宣伝してくるように」と言われて、持たされたものだった。
「すべてはペルージャン農業国の繁栄のために」
父の言葉が脳裏を過ぎる。
それは幼き日よりラーニャが教え込まれていたことだった。
自国の農産物を大国に売り込み、国を豊かにすること。そのために生をささげること……。
それこそがペルージャンの姫の仕事。
そうしていつの日にか大国を見返してやるのだと……、そう教え込まれてきた。
けれど……。
――ミーアさまに、心を見透かされてしまったのかな……?
先ほど、自身を見つめていたミーアの顔を思い出す。
心の中を見透かすような、ミーアの澄んだ瞳……、優しく諭すような笑顔……。そして、その後に、ミーアはお茶会に誘ってきたのだ。
「やっぱり、ミーアさま、わかってたんだろうな。私が、落ち込んでること……」
小さくため息、その後、ラーニャはミーアの部屋に入った。
「お待ちしておりましたわ。ラーニャさん。ちょうどお茶の準備もできたところですし、早速、始めましょう」
ミーアは力の抜けた笑みを浮かべて、そんなことを言った。
まるで、ラーニャを元気づけるように、
「おお、これがペルージャンの新しいお菓子ですのね!」
底抜けに明るい声を上げる。ただ純粋にお菓子を楽しもう、と言うかのように。
「はい。果物を乾燥させて日持ちするようにしたものです。こうすると渋みも抜けて、とても美味しくなるんです」
「ほぅ、なるほど……」
ミーアはお皿の上に乗せられたものを見つめる。
「見た目は、なんだか、萎びた果物という感じですわね……。正直、あまり美味しそうではありませんけれど……」
「どうぞ。お試しください」
ラーニャの言葉に従い、ミーアはナイフとフォークを手に取ると、それを丁寧に切り分け、口へと運ぶ。
口に入れた瞬間、ミーアはなんとも言えない、幸せそうな笑みを浮かべた。
「ああ……とても甘いですわ。ねっとりとして……、濃密な甘みですわね」
「そのお菓子は甘みはもちろん、風味も大切にしています。香りもお楽しみいただけたと思いますが……」
「まさにそうですわ! こんな風に乾燥させても風味が消えないんですわね! なにか秘密がございますの?」
「そう、ですね。少なくともただ日に干しただけではありません。いろいろと複雑な作り方をしています」
「なるほど……」
ミーアは、感心しきりで、陽恵果実を見まわしてから、クスクス笑った。
「でも、ラーニャさんの説明もお見事ですわね。なんだか、聞いてるだけで美味しく感じてきてしまいますわ」
「ふふ、お楽しみいただけて良かったです」
そう言われると、ついつい嬉しくなってしまって、ラーニャは笑った。
ミーアは、二回もお代わりし、ひとしきりお菓子を楽しんだ後、紅茶を一口。
それから、おもむろに言った。
「さて、それじゃあ、アーシャさんのお話をしましょうか……。実は、アーシャさんには講師だけでなく、重要なお仕事を任せておりますの」
「重要なお仕事……ですか?」
実のところ、アーシャからは詳しい仕事の内容を聞かされていなかった。
自分は、ミーアの命で仕事に関わっている。とても充実した毎日を送っているけれど、仕事の内容はたとえ家族であっても教えることはできない、と。
そう、書いて送ってきたのだ。
けれど、その命令を出したミーア当人から聞く分には問題あるまい……。
ラーニャは興味津々にミーアを見つめる。と、
「アーシャさんには冷害に強い……寒さに強い小麦の開発に従事していただいているんですの」
「寒さに強い小麦……?」
思わず、といった様子で、ラーニャはつぶやいた。
「確かに、今年の天候も心配だって、父が言っていましたけど……でも、そんなもの、あるんですか?」
ペルージャンの姫として育ったラーニャは、誰よりも知っている。
日の恵みの少ない年の小麦の収穫は悲惨だ。穂がすかすかで実りがほとんどない。そういう年は諦めるしかないというのがペルージャン農業国の常識だった。
品種を改良する技術は持っている。より味の良いものを、より実りの多いものを……。そうした改良は常に行われてきた。
けれど、時折来る冷害に対して耐性を持つものというのは、今までに研究されたことはなかった。想像すらしたことがなかった。
そんなラーニャに対して……、ミーアは力強く断言して見せる。
「ありますわ。それは……絶対に作り出すことができるものですわ」
まだ見ぬものを必ずあると言い切るミーア。その言葉を支えるのは、アーシャに対する絶対の信頼なのだろう。
――ミーアさまに、信用されているんだ……、アーシャ姉さま、すごい。
ラーニャは思わず感心する。
それに、もしも、日の恵みが少なくとも実りをつける麦があったなら、民は飢えずに済むだろう。それは、幼き日の姉が口癖のように語っていた夢にも通じることでもあった。
「……いいな」
思わず……口から零れ落ちる小さなつぶやき。
「ん? どうかしましたの?」
瞳を瞬かせるミーアに、ラーニャは苦笑いを浮かべた。
「すみません。でも、アーシャ姉さまを見ていると、つい思ってしまうんです。私は……なにをしているんだろうって……。自分がやっていることが、無意味に思えてきてしまって……」
「あら、別にサボっているわけでもありませんでしょう。ラーニャさんは、こうしてお国の美味しいお菓子を各国に売り込んでいますし。いつもラーニャさんに紹介されると、ついつい買いたくなってしまいますわ。これだとて立派な仕事ではないかしら?」
「そう……なんですけど……」
ミーアに褒められても、ラーニャの気持ちは明るくはならなかった。
ペルージャンの民を豊かにすることに意義を感じないわけではない。けれど、最近の父のやり方は、なんだか、ペルージャンだけが豊かになれば良いと言っているように聞こえてしまって……。
ただ、大国を見返したいだけなのではないかと、思えてしまって……。
自分は、その手伝いをしているだけではないかと……そう思ってしまって。
民を、貧しい子どもたちを餓えさせないために行動している姉がしていることと比べて、それは、なんて……なんて……。
――小さく、意味のないことなんだろう……。私は、こんなことのためにこれから先も生きていくんだろうか……?
それは、ラーニャの内に初めて芽生えた、自らの生き方に対する疑問。
ミーアが大国の姫らしく、見返すのにちょうどよい嫌な人間だったら良かったのに、と、ラーニャは思うことがある。
姉が、父の言う通り、どこかの王族と結婚して、ペルージャンのためだけに人生をかけるような人間であれば良かったのに……、と、そんな嫌なことまで思ってしまう。
でも、実際にはそうではなくって……だからこそ、ラーニャは思ってしまう。
自分はミーアの属するティアムーン帝国を見返すために生を使うのだろうか? と。
それは、姉の前で胸を張ることができる生き方なのだろうか? と。
歯切れの悪いラーニャに、ミーアは、ふむ、とうなり声をあげる。
「それでは納得いかないのですわね……。でしたら……あ、そうですわ! ラーニャさんは、アーシャさんの開発した小麦をいろいろな国に広めていくというのはどうかしら?」
「え……?」
突然の提案に、ラーニャは瞳をパチクリ、瞬かせた。
「ラーニャさんは、アーシャさんのお仕事に価値を見出している。でしたら、ラーニャさんは、その”周りの人たちに宣伝する力”を用いて、アーシャさんをお手伝いすれば良いのですわ」
ミーアは、さも良いことを思いついたといった感じで、手を叩いた。
「これは我ながらナイスアイデアですわ!」
「私が……アーシャ姉さまの、お手伝いを……」
呆然とつぶやいた直後、ラーニャは思った。
――やっぱりミーアさま、私の悩みを見抜いてて……、それでこんな提案をしてくれたの……?
それゆえに、お茶会にペルージャンのお菓子を所望した。ラーニャに説明させて、その話術を誉め、そして、それを使えばアーシャの手伝いができると……、そう訴えるために。
――もしかしたら、全然勘違いかもしれないけど……でも……。
ラーニャは、確かに、進むべき道を見つけたような気がした。
自分にできること、したいこと……。胸を張って、姉の前に出ることができる仕事……。
彼女は初めて、真剣に考え始めた。
ちなみに、もちろんと言うか……、当たり前の話だが、ミーアにそんなに深い考えはない。
――アーシャさんとセロくんが小麦の開発に成功したとして……、問題はそれを植える土地ですわ。
ミーアは小麦の値段を下げたい。そのためには小麦の全体の流通量を増やす必要がある。
寒さに強い小麦が開発できたとして、ルドルフォンやギルデンの土地では恐らく足りない。聖ミーア学園の周りの土地でも、まだ足りないだろう。それこそ全土で種蒔きができるのが理想。
けれど……、他の帝国貴族を説得するのは、正直、面倒くさいミーアである。
もちろん、帝国内での収穫量を増やすことは今後の課題ではあるが……、それはそれ。急ぎであれば、すぐに植えてくれそうなペルージャンや周辺の国にお願いしてしまった方が良いに決まっている。
「私が……、アーシャ姉さまの、お手伝いを……」
「ええ、とても意義深い仕事になると、そうは思いませんこと?」
満面の笑みで、ミーアは言った。
ミーアの狙いは、大陸全土に小麦を行き渡らせることである。
それさえできれば、必然的に帝国内に入ってくる小麦の価格も下がるわけで……、だからそれは言うなれば、自国内の小麦の価格を下げるため、他国の土地をお借りする行為なのである。
――ラーニャさんに協力していただければ、楽にできそうですわね!
美味しいお菓子も食べられて、なんともご満悦なミーアであった。