第十二話 ミーア姫、くつろぐ
さて、時間は少し遡る。
聖ミーア学園を後にしたミーアたち一行は、セントノエル学園に到着した。
旅の疲れを癒すべく、ミーアは勇んで大浴場へと向かった。ちなみに、アンヌは学園の者たちに帰還の挨拶をするということで、ここにはいない。
お風呂でのガールズトークが大好きなミーアとしては、ちょっぴり残念なことである。
「そう言えば、ベルはずいぶん、子どもたちと仲良くなったんですわね」
ミーアの問いかけに、後ろからついてきたベルは嬉しそうに頷いた。
「はい。子どもたち、とても可愛かったです。うふふ」
どうやら、お姉さん面できて、ちょっぴり嬉しかったらしい。
ニコニコ笑うベルに、ミーアは微笑ましい気持ちになる。
「それに、なんといってもあの伝説の! 聖ミーア学園に、行くことができたなんて、感動してしまいました」
「ああ……、まぁ、そう、ですわね……。きちんと、やるべきことをやってくれていたのは良かったですわね……」
正直、豪奢な建物と木像だけ建っていたりしたら……、平静を保っていられる自信はないミーアである。
「しかし、あの様子ではいつ目当ての小麦が手に入るか、わかりませんわね……。アーシャさんもセロも、頑張ってはいると思いますけれど……」
うーむ、とミーアは考え込む。
「これは……、クロエのお父さまとペルージャン農業国、双方と仲良くしておかねばなりませんわね……」
ガヌドス港湾国も、まぁ関係あるといえばあるのだが……、あの国は、帝国がまともに機能している間には、きちんと動いてくれるだろう……たぶん。
「ふむ、クロエとラーニャさんによろしく言っておく必要がございますわね……」
などと思いつつ、脱衣所に入る。
「あら! タイミングがいいですわ」
そこにいた人物を見て、ミーアは、顔を明るくした。
「これは、ラーニャさん、お久しぶりですわね」
「あっ、ミーアさま」
脱衣所に立っていた少女、ラーニャ・タフリーフ・ペルージャンは、ミーアの方を見て、目を丸くしていた。
「ラーニャさんも、お風呂に入りに来たんですの?」
首を傾げるミーアに、ラーニャは笑みを浮かべた。
「それももちろんあるのですが、実は、我がペルージャンで勧めている入浴法を試していただこうと思いまして。共同浴場をお借りすることにしたんです」
「ほう!」
基本的に、風呂好きなミーアである。お風呂でのんびりすることが、食事と寝ることと同じぐらいに好きなミーアなのである。
そのミーアにとって入浴環境の向上は、これはもう、人生の三大楽しみの一つにかかわることと言っても過言ではない。
「以前にクロエからいただいたものは、入れると煙が出るものでしたけれど、ペルージャンのものも同じ感じなのかしら?」
「煙……、はさすがに出ませんけれど、試してみてください」
ラーニャに促されて、ミーアはいそいそと服を脱ぎ、浴室へと進む。
そうして、入った瞬間、周囲に漂う湯気の中に、ミーアは敏感にその香りを嗅ぎ取った。それは……、
「あら……、これって……果物の香り……?」
首を傾げた直後、湯気の向こうに隠された浴槽の姿が見えてくる。
「まぁ、これ……。お風呂にいっぱい果物が浮かべられておりますわ!」
ぷかぷかとお湯に浮かぶのは、黄色い楕円形の果物だった。森での生存術を極めたミーアだが、その果物は見たことがなかった。
……というか、そもそもミーアは森で果物が簡単に見つかる、などという淡い希望は持たないようにしていた。森で食べられる果物が見つかることなど、奇跡以外の何物でもない。
その希望は、前の時間軸に捨ててきたのだ。
ということで、山菜やキノコの類、あとは魚などにミーアの雑学知識は寄っているのだ。もちろん、有名どころはきちんと押さえてはいる。一般的な貴族などよりはよほど詳しいといえるだろう。けれども、ほかのもののように、執拗に、網羅的に暗記はしていないのだ。
「あれは……」
「あれは、南星レモンと呼ばれる果物です。ペルージャンよりもさらに南の地域でとれる、とっても酸っぱい果物なんです」
ミーアの後について入ってきたラーニャは、ぷかぷかお湯に浮かぶ南星レモンを手に取ると、ミーアに差し出した。
「どうぞ、匂いを嗅いでみてください」
言われるがまま、ミーアはそれを鼻に近づける。と……、
「なるほど。鮮烈な香りですわ」
「この南星レモンは、お料理の風味付けにも使うことがありますが、こうしてお風呂のお湯に浮かべると、体の疲れが取れると言われているんです」
「まぁ! それは、さっそく試さなくてはなりませんわね!」
ミーアはそそくさと洗い場に向かい、ザッと髪を洗い、シュババッと体を洗うと、さっさと浴槽へと向かう。
大国の姫とは思えないほどに、実に手慣れている……。風呂のベテランの風格さえ漂わせているミーアである。
それから、ミーアはお湯に体を沈める。熱めのお湯に思わず、「おふぅ」と、ちょっぴりアレな息を吐く……。
まるで、体の隅々までお湯が染みわたってくるかのように……、硬くなった筋肉がほぐれていくのを感じる……。
なにしろ外見は十代の少女であっても、ミーアの中身は二十歳を過ぎた大人の女性である。近頃ではすっかり肩も凝るようになっているし腰も……いや、二十歳過ぎでもそれはない。まだまだ若いはずである!
……単純に、ただの運動不足で体がなまっているだけであった……。
ともあれ、体が解きほぐされていく感触を、ミーアは大いに気に入った。
「気持ちいいですね、ミーアお姉さま!」
ミーアの隣にやってきたベルがニコニコ顔で、そんなことを言った。
「そうですわね。このように果物を浮かべるやり方があるなんて知りませんでしたわ」
ミーアは、お湯に浮かぶ南星レモンを手に取って、微笑みを浮かべる。
「それにしても意外でしたわ。ラーニャさん。ペルージャンの王族もお風呂が好きなんですのね。こんな風に研究しているだなんて……」
そう問うと、ベルに次いでお湯に入ってきたラーニャは、静かに首を振った。
「いえ、ペルージャンでは王族も貴族も、そこまでお湯に浸かりはしません。水浴びが主でしょうか」
それから、ラーニャは小さく笑みを浮かべた。その笑みは、なぜだろう……、ミーアには少しだけ寂しげに見えた。
「これは、他国に輸出するためのものです。国を豊かにするために常に新しい作物を研究し、売り込む。それがペルージャン農業国のやり方ですから」