第11,5 あの花はどうして……?
今回は少し作中時間と外れた話……。ほんのちょっとだけ未来のお話になるので、一応番外編扱いです。時間が前後するのでわかりづらくなるかな、と念のためです。。。
セロ・ルドルフォンは、植物が好きな少年だった。
なぜ、この花は赤い色なのだろう?
どうして、種をまく時に綿毛のようになるのだろう?
この草はどうして、背が高くて、あの草はどうして背が低いのだろう?
周りにある草や、木や、花をぼんやりと眺めながら、物思いにふけるのが楽しくて仕方なかった。
本を読み、まだ見ぬ珍しい植物を知るのが楽しくて仕方なかった。
世界には、不思議な植物があふれていた。
朝に咲く花、夕に咲く花、自ら虫を捕まえる草に、お城のように巨大な木。
遠き異国の地にあるという不可思議な草花に、彼の好奇心は大いに刺激された。
セロの興味はそのうちに、本の知識から、自らの手で草木を育てることへと向かう。
なんてことはない。身近な場所にだって不思議は溢れている。同じ種類の花でも、その一つ一つに個性があって、セロはそれを見つけるのが好きだった。
庭に自分の好きな花を植え育てることは、いつしか彼の大切な趣味になっていった。
貴族の男として、立派に振る舞わなければならない。剣の腕を磨き、馬に乗り、人々を率いていけるような男にならなければならない。そのプレッシャーはとても大きいものではあったけれど、幸いなことに園芸というのは、貴族の趣味としてそう珍しいものではない。
それに、ルドルフォンの家は、農業にも関係が深い家。
だから、趣味として続ける分には何の問題もないだろう、と……そう思っていた。
そんな彼に、劇的な変化をもたらす出会いがあった。
かの帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンとの出会いが……。
がたごと、がたごと、馬車が揺れる。
帝国の辺土と呼ばれる場所は、おおむねどこも同じ。道の整備もままならない田舎だ。
セロとアーシャとを乗せた馬車が向かっているのは、帝国北方に位置するギルデン辺土伯領だった。
季節は初夏、小麦の収穫期を迎えた帝国では、じわりじわりと深刻な問題が顕在化しつつあった。
それは……。
「セロくん、ルドルフォン辺土伯領の収穫はどうだった?」
アーシャの問いかけに、セロは厳しい顔をした。
「良くないって聞いています。昨年よりも、むしろ悪化していると……」
「そう……。ペルージャンも同じよ」
アーシャは、空を見上げて瞳を細める。
「日の恵みが……、少なかったのが、たぶん原因でしょうね……」
「日の……」
つられるようにセロもまた、空を見上げる。
空に輝く日の光はいつもと変わらず力強く、温かく感じるのに……。
「寒さに強い麦……」
日の恵みが少ないということ、それは言い換えるならば気温が低いということだ。今年もまた、去年と同じように寒い年になるのであれば、収穫高は落ち込むだろう。
「ミーアさまは、これを予測して私たちに言っていたのですね……」
アーシャのつぶやきに、セロは小さく頷いて見せた。
聖ミーア学園では、様々な授業が行われている。セロは、特にアーシャに師事し、植物学を、そしてペルージャンの農業技術を学んでいた。
それは、帝国のものとは比べ物にならないほど進んだ、素晴らしいものだった。
長年の研鑽によって磨き抜かれた「品種改良」という技術、それにより生み出されたいくつかの種類の小麦。
様々な用途に合わせて、改良された小麦に、セロは心底驚かされた。
でも……、
「どれも駄目だった。ペルージャンの小麦の中に、寒さに強いものはありませんでした」
アーシャは、学園の周囲に作った実験用の畑を使い、いくつかの種類の小麦を植えて実験した。けれど、結果はどれもいまいちだった。
風に揺れる麦、その穂はほとんどがスカスカで、中身が空っぽだった。日の恵みが薄い年には、時折現れる症状だったが……、その数は昨年より増えているように感じられた。
遠目には、普段通りの畑の景色、けれど、そのほとんどが、いわば麦の死体のようなもの……。麦の死体が立ち並んで揺れる畑の光景がなんとも不気味に感じられた。
「でもそれは……仕方ないと思います。だって、そんな小麦、聞いたことないですから……」
セロは、アーシャを励ますように言った。
最近の天候不順を鑑みるに、寒さに強い小麦をミーアが必要としているのはわかる。
けれど必要だからと言って、すぐにそれが見つかるわけではない。
いや、そもそも、そんなものが本当にあるのかもわからない。
死なない生物がいないように……、物を食べずに生きていられる人間がいないように……、陸で生きられる魚がいないように……。
日の光の恵みが少なくても、問題なく実る小麦など……ないのかもしれないのだから。
それが、絶対的な世界の理であるかもしれないのだから。
まるで、暗闇の中を歩いているかのようだった。
導などなく、どこに向かえば良いのかもわからず、ただただ闇雲に迷い歩くのみ……。それは、どれだけ不安なことか……。
「寒さに強い小麦なんて、本当にあるんでしょうか……?」
つい、弱々しくつぶやいてしまうセロ。けれど、アーシャは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「セロくん、覚えておいて。解決すべき課題が見えているということは大きな導です」
「え……?」
「解決すべき課題を見出し、その課題に取り組む中で技術を磨き前進する。私たちペルージャンの民は、そうして、農業技術を高めてきました」
真面目な顔で、アーシャは続ける。
「私は……、諦めて歩みを止めてしまおうとしていた私は、ミーアさまによって、忘れていた夢を思い出した。世界中の誰もが飢えずに済むようにすること……その夢に向かっていくための一歩目として、ミーアさまは課題を与えてくださった。だから、これをクリアすることは、私の夢への第一歩。今度は、絶対に諦めません」
いつもは穏やかなアーシャの瞳に宿った強い光……、セロは思わず、見とれた。
それは道を探求する修道士のような不屈の光、あるいは、戦に赴く騎士のような覚悟の輝き。
「アーシャ先生……」
と、その時だった。道の両側に広大な畑が広がった。
「あれがギルデン辺土伯領……」
「ミーアさまのおっしゃられていた通り、広い畑がありますね。少し見てきましょうか」
言うが早いか馬車を止めて、畑に向かうアーシャ。セロは慌てて、その後を追う。
「状況はこちらも同じようね。育ちが悪いのか、全体的に小さいみたい」
遠目に見て、アーシャはため息を吐いた。
「やっぱり、日の恵みが少ないから……」
つぶやきつつ、セロは、何気なく近くの小麦に触れ……小さく首を傾げた。
「あれ? これ……きちんと穂が育ってる……? どうして……」
『この草は、どうして背が低いんだろう?』
ふいに……、頭の中に声が響く。それは過去の自分が語り掛けてくる声。
この小麦は、どうして背が低いんだろう? どうして育ちが悪いはずなのに、普通に実っているのだろう?
「背が低いことに、寒さに強い秘密がある……? いや……違う?」
なおもじっと小麦の観察を続けるセロに、アーシャが歩み寄ってきた。
「どうかしましたか? セロくん、その小麦がなにか?」
「アーシャ先生、これ……、帝国の小麦と……違う種類のような気がします」
「え……?」
それは、一見するとただの生育不良の小麦だった。見た目的には、一般的な小麦とほとんど変わらず、きっと他のものがまともに育っていたら、気にもせずに無視されるようなものだ。
けれど……、セロの目は、些細な違いをしっかりと捉えていた。
これは、学園で植えたペルージャンの小麦とも、ルドルフォン辺土伯領のものとも違う。
確信があった。そして……、
「もしかして、ミーアさまは……、この小麦を見つけよと、おっしゃられていたんじゃないでしょうか? 僕たちを、寒い場所に行かせることで……」
寒さに強い小麦があるのは、寒い地域である……と。
花が赤いのは、その地で生きるのに赤い方が有利だから。
背が高い木は、日の恵みをたくさん受けるため。
生物は、その環境で生きるために、体の性質を微妙に変えていく。であれば……。
「ああ……そうか。そんな簡単なこと……。寒さに強い小麦を見つけたいなら、寒い地域で実る小麦を調べなければならなかったんだ……」
ペルージャンもルドルフォンも、どちらも農業に適した地。であればこそ、知らなかったのだ。寒さが厳しい土地に根付く種類の小麦を……。
そう推理して、セロは静かに震えた。
自分は……、ミーアの役に立てるかもしれない。
趣味でしかなかったもの、好奇心に任せて読みふけっていた本の知識……、姉以外のだれにも認めてもらえなかったものを用いて……。
「ああ……そうだ。あの方は……ミーアさまは、最初から僕のことを認めてくれていて……だから、それを活かす道を用意してくれたんだ……」
思えばミーアは、セロの育てた花を見て褒めてくれた。セロの力を見て、それを生かす道を示してくれた。
闇の中、導はすでに示されて……目の前には進むべき道が確かにある。
ならば……、ならば、やるべきことは決まっている。
「アーシャ先生……、この小麦をもらっていきましょう」
セロがそう言った時、その瞳には紛れもなく、アーシャ・タフリーフ・ペルージャンと同じ強い光が宿っていた。