第九話 ミーア姫、こみあげる! ~友情の証の像~
翌日、朝早くにミーアはベルマン子爵邸を後にした。
ちなみに、夜は早めに寝てしまうミーアの寝起きは悪くない。サボると決め込んで二度寝、三度寝を始めない限りにおいては……だが……。
馬車に乗り込み、護衛を引き連れ目指すは静海の森、その目前に建った皇女の町である。
馬車に揺られることしばし……、やがて、ミーアの目の前に広大な森が姿を現した。
「ああ、ここに来るのもずいぶんと久しぶりな気がしますわね……。すっかり景色が変わってしまって気付きませんでしたけれど……」
ミーアは若干の驚きが混じった声で、そうつぶやいた。
森の手前には、少し大きめの建物が建っていた。
大き目とは言っても、無論、セントノエルや白月宮殿には及ばない。それでも、一般的な貴族の屋敷程度の大きさはありそうだった。
そして、その周りには、広大な畑が広がっていた。まるで、畑の中を通って学園に向かっていくかのように……馬車道の両側に、広々と畑が広がっていたのだ。
「以前来た時には、ありませんでしたわね……。あれは、もしかして、実験用の畑かしら……?」
未だ寒さが残るこの時期にもかかわらず、畑には、一面に力強い緑が繁茂していた。
「雑草ではありませんわね……。きちんと規則正しく列になって手入れされている……。あの傍らの小屋は観察をするためのものかしら……。ああ、実に素晴らしいですわ」
なにしろ、この学園の最大の目的は寒さに強い小麦を生み出すことにあるのだ。
そのために、しっかりと状況が整ってきていることをふつふつと感じて、ミーアは大いに満足した。
と、その時だった。
「あれが、聖ミーア学園なのですね、ミーアお姉さま」
ふわぁっと、ミーアの傍らで歓声を上げるベル。その声で、ミーアは我に返る。
「聖ミーア学園……そんな名前でしたわね……」
未だに学園の名前に納得がいかないミーアであるが、すでに動き出してしまったものは仕方がない。
――まぁ、名前ぐらいは……甘受いたしますわ。
そうして、すっぱり諦めた……はずだったのだが……!
校舎に近づくと、そのそばに、いくつかの家が建ち並んでいるのが見えた。校舎を取り囲むようにして建てられたそちらは、まだまだ数も少なく、とても町と呼べるものではなかったが、特に問題はなかった。
最優先すべきは、小麦の研究なのだから。
やがて、学園の校舎の正面で馬車はとまった。
馬車を降りたミーアは、改めて校舎を見ようとして……、ふと違和感を覚えた。
校舎の手前に、おかしな小屋が建っていた……。
それは奇妙な建物だった。屋根があり、三方向を壁で囲んであるものの、一つの壁面は完全に開いており、人が住むには適さないような建物。まるで、雨風から中のナニカを守るために建てられた、ある種の祠のようなものに見えた。
そして、その祠に安置されているもの……、視界の外れに一瞬だけ映った、白っぽい像のようなナニカに……、ミーアは嫌ぁな予感を覚えた……。そこから感じられる禍々しい気配に、背筋に冷たい感触が走った。
嫌だなぁ、見たくないなぁ……、と思いつつ、ミーアは恐々、そちらに目を向けて……。
「なっ!」
思わず絶句する。
そこに立っていたもの……、それは、虹色に輝く像だった。
大きさは、ミーアの背丈のおよそ二倍。見上げるほどに大きい! それは、頭から角を生やした馬と、その首を撫でて朗らかに笑う少女の像。その少女の顔は、どことなくミーアに似ていて……。
――いえ、現実逃避はなにも生み出しませんわ! あれは……間違いなく、わたくしの像ですわ!
誕生祭の時に、父から聞かされたことを、ミーアは思い出した。
――ベルマン子爵が像を建てようとしてるとか、言ってましたわね……。つまり、これがそうなんですわね……。
誕生祭の時の雪像は、温かくなれば溶けてなくなってしまうものだが……、これは違う。木の像が何年その形を保っているものかは知らないが、きっと長く長く残り続けるものだろう。
――ベルマン子爵はなにも言っておりませんでしたけれど……、もしかして、サプライズのつもりなのかしら? こっ、こんなサプライズいりませんでしたのに!
ミーアの像は、森の妖精が着るような上下一体型の服を着ていた。なんだったら、背中から羽根まで生えていた。妖精のような……、というか、妖精そのものの姿だった!
――こっ、これは、さすがに幻想的に過ぎて恥ずかしくはないかしら?
歴史上、自身を神と同一視する権力者というのは割と多い。絶対的力を誇る神のような姿に、自身を描かせるというのは、傲慢ではあっても、理解できなくはない思考である。
……けれど、自身を可愛らしい妖精と同一視する権力者は……、あまりいないのではないだろうか?
なにせ、これは恥ずかしい……というかイタイ……。屈託なく、純粋無垢な笑みを浮かべる像が、その笑顔が実に可愛らしいものだったから、恥ずかしさも一入である。
これは恥ずかしい!
これではまるで、ミーアが、美しい妖精の姿をした自分の像を作るように、と命じたようではないか!
「いかがでしょう、ミーア姫殿下。この像は、お気に召されましたかな?」
わなわなと震えるミーアの後ろから、穏やかな声がかけられた。
振り向くと、そこには、この聖ミーア学園の長、ガルヴが立っていた。
「ああ、賢者さま、ご機嫌よう」
ミーアはスカートの裾をちょこん、と持ち上げて、
「この学園へのご尽力に感謝を……」
深々と礼をする。
「とんでもございません。このような老骨に、やりがいのある勤めを与えていただけたこと、感謝に堪えません」
それから、ミーアは、横にいるベルを紹介して、再び、像を見上げた。
「しかし……、この像は……」
「ええ、ルールー族の者たちが造ったものです。ミーア姫殿下への忠誠を表すために……」
なるほど、確かに、その像は力作だった。造った者の熱意が、こう、見ているだけでもひしひしと伝わってくるほどだった!
「最初は、これの三倍の大きさで作ろうとしていたのです。けれど、止めました。ミーアさまは、自らを誇示するのがあまり好きではないから、巨大な像など好まない、と」
――ああ、良い助言ですわ! 実に適切な助言ですわ。さすがは賢者ガルヴ。
「だから、身の丈の二倍ぐらいまでにせよ、と……」
――ああ! 惜しい! あと一歩ですのに! なぜ、像を建てること自体に反対してくださらなかったんですの?
ミーアは心で悲鳴を上げる。
「また、ご本人の姿をそのまま像にするという意見もあったのですが、それよりは、ご本人かどうかわからない程度に脚色を入れて……、ついでに、ミーアさまがお好きだという幻想物語の要素を追加したら良いのではないか、と……」
――くぅ、この程度の脚色では、わたくしだって簡単にわかってしまいますわ。だって、この学園の名前、聖ミーア学園ですし……。っていうか、よく見たら、像の足元に「聖女ミーアと一角馬の戯れ」とか書いてありますわ!
せっかく、誰かわからないように脚色を入れたはずなのに、台無しである。
――これ、なんとか撤去していただけないかしら……?
虹色にキラッキラ輝きを放つ像、それは、まず間違いなく、一角馬の角のかんざしと同じで、この森の木を削って作ったものだろう。実に美しくて、なんとも素朴な美しさがあった。
ミーアの視線に気付いたのか、ガルヴが説明を加える。
「森の奥に生えているという、樹齢数百年の巨木を切り出して参りました。ルールー族にとっては神に与えられし最高の木材らしいのですが……、ミーアさまの像を建てるのならば喜んで供出したいと言ってくれたものです」
――ぐっ……、た、確かに、ルールー族は森の木を大切にしてましたわ。蹴りを入れただけで、射殺されそうになりましたっけ……。ただの木であれなのですから、樹齢数百年の巨木となれば……、こっ、好意が重いですわ。
「ルールー族が削ったものを、表面は帝国の最新技術で加工してございます。こちらはベルマン子爵の手配でして……。以前のわだかまりを乗り越え、ミーアさまへの忠誠で結び合わされた両者の、象徴のような像でございます」
――良い話ですわ! もっ、ものすごく良い話ですわ! 心が温まってくる素晴らしいお話で、とても撤去してとか言えませんわ!
いち早くそのことを察したミーアは……、瞳を閉じて、ふぅっとため息を吐いて……。
「へー、そうなんですのね……」
感情を失った声で言った。
「それは、素晴らしいことですわ。わ、わたくしも、このような像のモデルにしていただいて、かっ、感動のあまり泣きそうですわ」
……こみあげてくる、なんらかの感情を抑えることができず、ミーアは震える声で言った。