第六話 女帝派の産声2 ~ルードヴィッヒ語り倒す。ミーアの理、ミーアの統治を~
「それは、どういう意味だ?」
不審げな顔をする同輩に、ルードヴィッヒは言った。
「あの方は言われたのだ。この件で、敵を作るな、と……」
「敵を作るな? それはいったい?」
疑問をつぶやく彼らの反応を見て、ルードヴィッヒは苦笑した。
――ああ、昔の俺を見るようだな……。きっと出会ったばかりの頃であったなら、俺もミーアさまの意を汲むことはできなかっただろうからな。
実のところ、ミーアのところに報告に行った時、ルードヴィッヒは一つの迷いを抱えていた。
それは備蓄を、いかにして配布していくかということだ。
幸いにして、食糧自体は順調に備蓄することができている。民衆を餓えさせないだけであれば、どうとでもできる余力があるのだ。
けれど、状況は変わった。
先日のミーアの「帝位継承の表明」によって、ルードヴィッヒは考えざるを得なくなったのだ。
すなわち、この飢饉をどのように「利用」するのか、ということを……。
最もシンプルに考えるのならば、ミーアが女帝になるのに邪魔になりそうな貴族の排除に使うべきだ。積極的な悪意を持つ者、ミーアの足を引っ張る無能者、それらを排除するのに、今回の飢饉は絶好の機会だ。
領民の心を領主から分断し、代わりにミーアが信頼を得る。効率的に敵対者を排除することは恐らく可能だろうし、それはミーアが女帝を目指す上でも有益なことだろう。
けれど……、それは、なんだか違うような気がしたのだ。ミーアのやり方ではないような、そんな気がしたのだ。
そして、迷うルードヴィッヒの前に、ミーアは一つの方針を指示したのだ。
この件で敵を作るな……と。
そして、それをミーアが言ったタイミング、それは……。
「一つ問いたい。今、見てもらった資料に、なにか不足はあるだろうか? みながしようと思うような分断工作に、これ以上の情報が必要か? これを見たミーア姫殿下は言われたのだ。これではよくわからないと……、情報が不足していると……。では、それはなにか、わかる者はいるだろうか?」
問いを受けた者たちは互いに顔を見合わせて、困惑の様子を見せるばかり。そんな彼ら一人一人の顔を見回してから、ルードヴィッヒは言った。
「簡単なことだ。各貴族領の備蓄の数値がないことだ」
あの時、ルードヴィッヒが渡した羊皮紙に、素早く目を通したミーアは言ったのだ。
「よくわからない」と。
この場に集う少壮の文官たち――その誰もが「不足はない、これで十分だ」と言った資料に対して、かの帝国の叡智は言い放ったのだ。
「これではよくわからない、不足である」と。
その理由は、ルードヴィッヒにはよくわかった。そして、実にミーアらしいとも思った。
「それこそよくわからない話だ。貴族の備蓄は……、それはわかっていた方が確実だろうが、苦労して手に入れる情報でもあるまい」
疑問を口にする者がいた。
そして、それはある面で正しいことでもあった。
実のところ、貴族と領民とを分断しようとするならば、なにも貴族がどの程度、備蓄を貯めこんでいようが関係はないのだ。
どれだけの物資を持っていようと、その貴族が使わなければ良いのだから。
大切なことは“助けてくれない貴族と、救いの手を迅速に伸べるミーア”という構図を示すこと。そのためには、その地の貴族の物資は重視すべき要素ではない。
なぜなら備蓄の量にかかわらず、心根の腐った貴族は、民衆など放っておくものだからだ。備蓄が有り余っていようとも、自身の安心のためには領民を切り捨てる、それが貴族というものだ。
だから、貴族の備蓄量は関係ない。多い少ないではなく、問われるのは、その貴族の性格なのだから。
確かにその者を処断して、備蓄をこちらで再利用するなどはできるかもしれないが、事前に使い込まれてしまうことも考えられる。それをあてにすることはできない。
だから、不確定な要素を取り込む必要はない。もし、ミーアが分断工作を念頭に置いているのなら、その情報は、あくまでも補完要素に過ぎないのだ。
だが、ミーアは言ったのだ。よくわからない、と。ルードヴィッヒが載せなかった情報は、必要な情報であるのだ、と。
では、それはどういうことだろうか?
ルードヴィッヒは、すでにその答えに辿り着いていた。
彼は知っているからだ。ベルマン子爵にミーアがなしたこと。あるいは、セントノエル学園にて……、ティオーナに狼藉を働いた貴族の子弟たちに、ミーアが何をしたのかを。
「なぜ、貴族の備蓄の情報が必要か……。簡単なことだ。ミーアさまは、貴族たちをも巻き込んで、この度の危機を乗り越えようとされているのだ」
「貴族たちを巻き込む? どういう意味だ?」
「単純なことだ。持つべき者に出させる。貴族に貴族の義務を果たさせる。ただそれだけのことさ」
貴族は領民から税を集める。代わりに、領民を守る義務を負う。
それは侵略者に対してばかりではない。疫病や飢饉に対してもまたしかり。それは領民が普通の生活を送れなければ労働力が落ち、税が滞って、貴族も生活が成り立たなくなるという実際的な側面を持つことではあるのだが……。
ともかく、貴族は領民に対して、一定の義務を負うものなのだ。
「恐らく、ミーアさまは、各貴族に自分たちの領民を守らせようとしている。まず、彼らが持っている備蓄を吐き出させ、そして、不足した分をミーアさまが補う……、そのように考えておられるのではないだろうか」
だからこそ、ミーアはあのタイミングで「敵を作るな」と言ったのだ。
貴族のことはさておき、民衆を餓えさせないためには十分な備蓄であると、ルードヴィッヒが言ったから……、その備蓄の使い方を指示するために言ったのだ。
「いや、そう上手くはいかないでしょう。貴族たちがそのように殊勝な判断をするとは思えない」
懐疑的な声に、ルードヴィッヒは首を振る。
「無論、圧力もかけるだろう。わかりやすく言えば、これまでミーアさまは、なにかにつけて民草に寛容な態度をとってこられた。新月地区に建てた病院しかり、先日の誕生祭しかりだ」
今にして思えば……あの誕生祭からして、すでに計画の一部であったのだ、とルードヴィッヒは感心する。
「そのような、民に好意的なミーアさまが……民を見捨て、自身の安寧のみを優先する貴族に好意的であるはずがない……。そのように貴族たちに圧力をかけ、同時に、天秤のもう片方の皿には『安心』を乗せるだろう。もしも民衆のために尽力し、その貯えが不足した際には、こちらが食糧を提供する、と。お前たちを餓えさせることはしないから、と」
民衆に直接、食糧を供給するのではない。その地を治める貴族を通じて、食糧を供給しようというのだ。
「そう考えれば、先日の誕生祭には、いくつもの意味があったのだ。民と貴族とのつながりを強固にすることと、同時に、食糧を供給する予行演習という側面とが……」
あれで、貴族たちは具体的に知ったのだ。
領民の必要とする食糧がどの程度か……。自身の領民が、どの程度いるのかということも。
「中央政府が一括管理によって、各地の民衆に食糧を供給するのは手間だし、恐らく仕事が回らない。結果、食糧は滞り、餓死者が生まれる。だからこそ、すでにあるその地の統治の仕組みを利用しようとされているのだ」
一人の人間が、帝国全土を見ることはできない。いくらミーアといえども、そんなことは不可能、遠く離れた地の領民のことなど、いちいち気にしてはいられない。
ゆえに、その地に住まう貴族たちに自分たちの領民を見させようという、責任を果たさせようという、それは極めてシンプルな考え方だ。
「それに、貴族たちのメンツも保たれる。その地の貴族を無視して、ミーアさまが直接乗り込んでいって領民を助けたのでは、貴族たちは民衆に軽蔑され、敵視される」
分断工作の狙いは、まさにそれであるが……、
「ミーアさまは、そのように、貴族たちを敵に回されることを望まない。むしろ、これを機に貴族たちをも味方につけたいと、そう願っておられるのだ」
「馬鹿な……。それは……非合理だ」
「確かに、無能な統治者が失敗するのを待って、その者に代わって善政を敷く。それが合理的なやり方だろう。効率的で、あまり労力をかけずに済む……、そのような方法だろう」
そう、それは敵を排除するだけでない。使えない人材を排除するためにも有効な手段であった。ミーアが女帝となる上で能力の低い貴族もまた、邪魔者になる可能性が極めて高いのだ。
けれど……、ルードヴィッヒは小さく首を振る。
「効率的な統治を考えるならば、トップの首をすげかえるというのは合理的な考え方だ。だが……、それはミーアさまのやり方ではない。鈍らとなった、使えない剣は捨てて、新しく鋭い剣を買うのは、ミーアさまの好むところではないのだ。使えない刃を研ぎ直し、再び使えるようにする……、使えない者を排除するのではなく、使えるようにする。それが、それこそがミーア姫殿下のやり方なのだ」
あのベルマンを忠臣に変えたように……。
「だが、それでは各地の貴族の力が増大する。よからぬことを企む者がいるやもしれんぞ?」
ルードヴィッヒの言っていることは分断工作とは真逆のことだ。その地を善く治めよ、と、各地の貴族を力づけ、領民との仲を強固にすることだ。
力をつけた貴族は、そのままミーアに反旗を翻すかもしれない。その危惧は当然のことといえる。が……、それはすぐに別の者に打ち消される。
「いや、抜かりはないだろう。誰があのミーア姫殿下に逆らえるというのだ? 聖女ラフィーナ、サンクランドのシオン王子、レムノ王国のアベル王子と固い友誼を結ばれたあの方に……。今や帝国の最精鋭とも言うべき皇女専属近衛部隊をも従え、しかも、その副隊長には軍部に影響力を持つ、レッドムーン家の公爵令嬢が控えているのだぞ? もとよりグリーンムーン家の公爵令嬢とは懇意にしていると聞くし、セントノエルの生徒会ではブルームーン家の長男を従えているというではないか?」
今やミーアは、ただの帝国皇女ではない。その権勢は、容易には逆らいえぬほどに、絶大なものとなっている。
仮に、帝国内で最大の領地を誇り、精強な私兵団と忠実な領民を持ちえたとして……、逆らおうなどとは誰も思わない。
その力は、昨年の誕生祭の時に、圧倒的に示されているのだ。
「まさか……そこまで読んで、あのドレスを身にまとったのか? あの時の演出すべてが……、貴族たちを従わせるために?」
驚愕に顔を引きつらせる者たちに、ルードヴィッヒは言った。
「恐らく、これこそがミーアさまの基本構想だ。だから、俺はその意志を汲んで、計画を実行に移していく予定だ。みなには、当面、各部署にて飢饉の対策への協力を求めたい。そして……、それをもって判断してもらいたいのだ。ミーアさまが、女帝に相応しい方かどうかを」
そうして、ルードヴィッヒは静かに頭を下げるのだった。