第五話 女帝派の産声1 ~ミーアの片腕、再び勝手に動き出す~
ミーアとの会合の翌日、ルードヴィッヒは、帝都の一角に建てられた古い家屋を訪れていた。
そこでは……、とある密会が行われていた。
ゆりゆらと揺れる炎の明かり、そこに照らし出されるのは、八人の男女の姿だった。テーブルを囲み、思い思いの場所で談笑する者たち。
その中には、ルードヴィッヒの協力者、バルタザルやジルベールの姿もあった。
そう……そこに集った者たちは、みな、ルードヴィッヒの同門。賢者ガルヴの弟子たちである。
ある者は緑月省にて外交に携わり、ある者は青月省にて帝都の行政を担う。ルードヴィッヒと同じ金月省に勤める者もいた。
変わり種だと、興味本位で中央貴族の家臣団に身を連ねている者もいる。
みなそれぞれに要職に就き、その手腕を振るっている者たちだ。
「しかし、驚いたな……。まさか、あの貴族たち全員が海外に落ち延びていたとは……。優秀な者たちだったから、てっきり目障りだと思われて消されたと思っていたよ」
まるで世間話のように語られるのは、先のイエロームーン公爵の工作だった。
それを聞いた別の青年は肩をすくめて首を振る。
「いやぁ、まさか呼び戻されるとは思わなかったよ。てっきり、帝国が傾くのが先かと思ってたけど……。その時には伝手として頼れると思ってたのに、残念残念」
皮肉げな笑みを浮かべる彼は、どうやらイエロームーン公爵の工作を知っていたらしい。知っていて……誰にも言わず、いつか何かに使えないかと、密かに胸にしまい込んでいたのだ。
能力が高く、知恵も働く優秀な者たち。されど、その行いは、何者にも縛られることなく、いささか自由に過ぎた。
彼らは決して帝国に縛られることはない。優秀であるがゆえに、どの国に行っても活躍の場はある。
ゆえに、もしもこの国が腐っているとするならば彼らは簡単に見放すだろう。愚かな貴族どもに殉ずる必要などない、というのが師の教えだからだ。
――だが、ミーアさまを女帝とするためには、今以上に文官たちの力が必要になる。貴族たちの協力ももちろんだが……国を動かすためには役人の協力は必須だ。
ミーアが四大公爵家の子息をまとめ上げ、着々と貴族の味方を増やしている状況、自身の同門の者たちの協力を取りまとめるのは、ルードヴィッヒの是が否にもやらなければならないことだった。
「みな、集まってもらってすまなかったな……」
ルードヴィッヒの言葉に、その場のみなの視線が集まる。
「いやぁ、ルードヴィッヒ先輩。この時期に、先輩の呼びかけを無視するってのは、あり得ないんじゃないっすかね?」
代表してジルベールが口を開いた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼は続ける。
「華々しく帝位を継ぐ表明をしたばかりでしょ? 先輩のごひいきの姫殿下が。そりゃあ、みんな来ますよ、興味を持たないわけがない」
「そうか……。それは好都合だ」
ルードヴィッヒは、その場のみなの顔を見回してから、メガネを軽く押し上げた。
「単刀直入に言おう。みなには、ミーア姫殿下に協力してもらいたいのだ」
「ほう、協力を……。だが、それだけの価値があるのかね? その姫殿下に……。私はてっきりこの国の貴族どもも帝室も、無能者揃いだと思っていたが……。ミーア姫殿下は例外であると?」
手前の男が、挑発的な視線を向けてくる。
「俺はそう思っているが……。ぜひ、みなには自分で判断してもらいたい」
そう言って、ルードヴィッヒが取り出したもの……それは、細かな数値が書かれた羊皮紙の束だった。
「それは……?」
「見てもらいたいものがあるのだ」
ルードヴィッヒは、一呼吸を入れて、全員の顔を見る。それから、おもむろに口を開いた。
「今年から、大規模な飢饉が起きる」
ここに来る前に、ルードヴィッヒは決めていた。協力を取り付けるために、目前に迫った危機を利用することを。
狙いは二つ。飢饉に対する際、彼らの協力を得ること、そして、その危機に対してミーアのとってきた姿勢を彼らに示すことで、彼らを仲間に引きずりこむことだ。
加えて言うならば、帝国が危機に瀕したからと言って、簡単に逃げられないように彼らをつなぎとめておく意味合いもある。
自由気ままな彼らだが、ガルヴに教わっていただけあって、その好奇心の強さも一入である。
そんな彼らが事前に飢饉の情報を提示されていたとしたら……、その飢饉が三年も続くものであると、予言されていたら……?
彼らが興味を抱かないはずがない。ことの顛末を見届けたいと思うはず……。
賢者ガルヴの弟子たちの性質を熟知したルードヴィッヒの策である。
「飢饉か……。確かに、その兆候はあるな。昨年の小麦の収穫高の減少、春先の農作物も軒並み不作だと聞くが……」
誰かのつぶやきに、バルタザルが口をはさむ。
「赤月省の公式の見解と言っても良いと思うが……、帝国辺土における収穫量が今年は減ることが予想される。昨年の夏以来、全体的に低い気温が関係しているようだ」
彼の発言を次いで、別の人間が口を開いた。
「緑月省としての見解だが、飢饉が起きる可能性は比較的高い。不作は帝国のみにあらず、周辺国からの輸入も高騰しつつある。まだ、許容範囲内ではあると思うが……」
食糧価格の高騰により、貧乏人が餓えていき、餓死者が出て、働ける人間が減り、次の年にはさらに収穫が減っていくという負の連鎖。
その兆候はすでに見え始めている。
「で? それがどうしたというのだ? この場にいる者の中で、その可能性に気付いていない者は一人もいまい?」
「ああ、そうだな。だがミーアさまは、この事態を二年前から予想しておられた。それに従って、俺は準備を進めてきたのだ」
「二年前から? まさか……」
それを聞いた男は、慌てて羊皮紙の束をめくる。
「ミーアさまに従い、この二年間、財政の健全化と同時に食糧の備蓄に努めてきた。さらに、ミーアさまは農作物の不作が、帝国のみならず周辺国に及んだ場合も考えて、遠隔地より、小麦を輸送するルートも用意されている」
「フォークロード商会を使った、遠方からの小麦輸入……。しかも、価格を固定して……か」
「なるほど、平時から割高な金を支払っておくことで、いざ危機になった時には、逆に助けてもらうか……。なかなか悪くない発想だ……。これは商業組合などでも使える制度ではないか?」
集う者たちから、口々に賞賛の声が上がる。
「だが、この事態を予見するなどということが果たして可能なのか? まさか、お前は姫殿下が予言者だとでもいうつもりか? 未来に起きることを予知することができると?」
一度、メガネの位置を直しつつ、ルードヴィッヒは考える。
確かに、ミーアは予知といっても過言ではないほど、未来を見通したように見えるが……、それが超自然的な力に基づくものであるとは彼は思っていなかった。
「俺には、ミーアさまのお考えのすべてがわかるわけではないが……、俺の予想では、今回のミーアさまの行動を可能としたのは、あくまでも頭脳労働だと思っている」
「頭脳労働……、観測と予測によって、正確に未来を予見するか。なるほど、思えば飢饉にも周期はある。歴史を学べば、大体いつ頃に飢饉が起きると予想することは可能か」
「それだけじゃない。恐らく、帝国の現状を正確に把握しているんだ。それで、飢饉にしろ、諸外国の輸入制限にしろ、戦乱にしろ、状況の激変があった際、帝国が陥る危機を察知していたということじゃないか?」
彼らは互いに頷きあいながら、ルードヴィッヒの方に目を向けた。
「なるほど。それで、この飢饉を機に、一気に民衆の支持を盤石なものにしようってことなんだな。餓えが広がっているところに颯爽と出ていき、食い物を配るか。その地の領主が食糧をケチっていれば、それを悪者として、民衆の支持を容易に取り付けることができる……。君主の作法としては正しいやり方だ」
それを聞いたルードヴィッヒは、けれど、小さく首を振った。
「いいや、そうじゃない。ミーアさまがなさろうとしているのは、もっと、大きなことだ」
そうして、ミーアの片腕と称される男は自信満々に笑うのだった。