プロローグ キノコ鍋から始まりて……
「お、おお……」
ぐつぐつと、踊る具材。ホロホロに溶けた野菜と、美味しそうに煮えた鶏肉。それらを漬す黄月トマトベースのスープと、鍋のど真ん中、顔をのぞかせる何種類かの……キノコ。
黒くて、ひらひらしたキノコ、小皿ほどの大きさの傘を持つ真っ白なキノコ、小さな房が複数集まったキノコ、キノコ、キノコ……っ!
それらは、香り高い高級キノコではなかった。どちらかというと、森の猟師などが好んで鍋に使うような、素朴なものばかりだった……。そして、ミーアは基本的にそのような、素朴な滋味に溢れるキノコが好みだった!
もちろん、キノコに貴賎なし。高級キノコにも高級キノコの味わいというものがあることは、ミーアも認めるところであった。けれど、やはり鍋には、鍋に合うキノコがあるのだ。
そして、ウサギ鍋以来、ミーアの頭の中では鍋料理は、究極に美味しいメニューの一つに数え上げられていた。
つまり、ミーアは素朴な滋味溢れるキノコを使った鍋が大好きなのだ。
ついでに言うと、生存術を極める過程で、山菜類にもすっかり詳しくなっているので、その味覚は、ちょっぴりお祖母ちゃん化しているのは、否めないところであった。
まぁ、それはさておき……。
「お……、おお、おおお……」
感動に震えるフォークを伸ばして、ミーアはキノコに突き刺した。
ふるふるん、と美味しそうに震えるのは真っ白なキノコ! ヴェールガ茸と呼ばれるそれは、絶品のキノコとして、人々に知られている。
それを、ミーアは目の前まで持ってくると……、一気に口の中に放り込んだ!
「あふ、おふう……」
アツアツのキノコを口の中で転がす。キノコのまとったスープが舌の上にジュっと溶け出し、幸福のハーモニーを奏でる。
程よく冷めてきたところで、ミーアはキノコに歯を立てた。
コリッ……、心地よく歯を受け止める弾力……、コリ、コリッと何とも言えない歯触りに、ミーアの胸が充実感に満たされる。
「ああ……すっ、素晴らしいですわ。これが……キノコ鍋……。実に素晴らしい!」
そうなのだ……、年が明けて早々のこと……、ミーアはついに、念願だったキノコ鍋パーティーを開催していた!
ちなみに場所はアンヌの実家ということで、ミーアの隣にはちゃっかりベルが腰かけて、同じように舌鼓を打っている。
本当は生徒会のメンバーでやれたら良かったのだが、残念ながらみな忙しい身である。シオン、アベル、ラフィーナは、すでにそれぞれの国に帰国していた。
「ああ、残念ですわ……。せっかくですし、聖夜祭の時にできなかったのを、やってしまいたかったのに……」
もちろん、キノコ鍋は美味しいのだが、それも囲むメンバーによってずいぶん変わるというもの。
けれど、まぁ、今日の会がつまらないと言っているわけではない。
そこにいたのは、アンヌの家族とミーアベル、さらに、頭の包帯がまだとれていないリンシャとティオーナ、さらに、たまたま帝都に来ていたクロエだった。
十分賑やかである。
小麦の取引の確認がてら、帝都を訪れたクロエの父、マルコ・フォークロード。彼が、ミーアのキノコ好きを耳にして、手土産にキノコ詰め合わせセットを持ってきたのが、今回のキノコパーティーの発端だった。
「ああ、美味しい。美味しいですわ! やはり、キノコは歯ごたえが大事ですわね!」
「そうですね、ミーアおば……お姉さま!」
ミーアと同じく、ほふほふと湯気を吐きつつ、鍋料理を楽しむベルである。
鍋を囲む者たちの、実になんとも幸せそうな顔を見て、ミーアは満足げに頷いた。
「やはり、キノコ鍋はこうでなければなりませんわね」
みんなでワイワイ、楽しく囲んでこそキノコ鍋というものである。
ミーアは笑みを浮かべて、クロエの方を見た。
「この度は、クロエのお父さまには、大変お世話になってしまいましたわ」
「いえ、そんな!」
ぶんぶん、と手を振るクロエにミーアは小さく首を振って見せた。
「クロエ、わたくしは、恩義を受けた方にはきちんとお返ししなければと思っておりますの。だから、あなたのお父さまにも、きちんとした形でお返しを……」
「それを言うなら、ミーアさま、私はミーアさまにたくさん恩義を受けていますから。父のお土産は、そのお礼ですから、お気になさらないでください」
クロエは小さく笑みを浮かべて言った。
「こうして、帝都で歓迎していただいて、大好きな本のこととかお話できました。それに……」
と、クロエの視線の先には、エリスの姿があった。
「ミーアさまのお抱え作家さんとも知り合うことができましたし、私、感動です」
「ふふふ、エリスとも本のお話したんですのね。楽しめたようでなによりですわ」
同じ本好きとして、クロエの気持ちがよくわかるミーアである。
なにしろ、エリスの小説のアイデアを聞いているだけで、とっても楽しいのだ。
まぁ、エリスが昔書いたという恋愛小説の中に「ハンカチを落として男子と出会う」というのを見つけてしまった時には、いささか複雑な気持ちになったものだが、それはそれ。
本好きにとって作家との出会いは、何物にも代えがたい価値を持っているのだ。
「そう……。でも、やはりそれはそれですわ。もしも、マルコ殿が困ったことがあったら、遠慮なく、わたくしに教えてちょうだい」
なにしろミーアとしては、フォークロード商会の持つ小麦の購入ルートは命綱なのだ。なにか問題があれば、早急に聞いておきたいところである。まぁ、それ以上に今日のお土産、キノコの詰め合わせセットに感動したというのが大きいのだが……。
多少のムチャならば聞いてやろう、という気持ちになってしまうミーアである。
「ミーアさま……。はい、わかりました」
クロエは、ちょっぴり感動した顔で頷いた。
……と、その時だった。
「あの、ミーアさま、実はご相談したいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」
「あら、リンシャさん。ええ、構いませんわ……。でも、ふふ」
ミーアは、真面目な表情を浮かべるリンシャに笑みを返した。
「やっぱりあなたにかしこまった態度をとられるのは慣れませんわね」
「もう、からかわないでください、ミーアさま」
リンシャは呆れ顔で肩をすくめてから、
「……ベルさまのことで、少しご相談したいことがあるんです」
わずかながら、声を潜めて言った。