第百八話 かくて盟約は結ばれん
「一番大切なこと……それはなんですの? ミーアさま」
みなが一斉にミーアの方に視線を向ける中、代表してエメラルダが声を上げた。
ミーアは気持ちを落ち着けるよう、そっと紅茶に口をつけ……。
――ううん、やっぱり、ミルクティーは甘くないと美味しさが半減してしまいますわね。
などと思いつつ……、一つ息を吐く。
それから、満を持して口を開いた。
そう、今日このような場所を設けた理由が、きちんとミーアにはあるのだ。
「知れたことですわ。エメラルダさん。わたくし、言いましたわよね? お茶会を開いてもらいたいと。そこで、帝国に忠誠を誓い合うのだと」
遠き日の約束の言葉をそらんじる。その上で、
「では……、その忠誠を誓うべき帝国の姿とは……、いったいなにかしら?」
「それは……」
ミーアの言葉に、みなの顔に動揺が走った。なぜなら、いましがた語られたからだ。
この帝国は、肥沃なる三日月地帯を涙で染め上げるための帝国。
反農思想という呪われた思想を広め、内戦を勃発させ、多くの死と流された血とによって、この地を破滅させるためのものであると……。
そのようなものに、忠誠を誓うことなどできようか……?
ただ一人、エメラルダだけが、落ち着いた顔をしていた。彼女はすでに、あの島で、ミーアの考えの一端を聞かされていたからだ。
一同の顔を見回してから、ミーアはゆっくりと頷いて見せた。
「そうですわ。そのような帝国に忠誠を誓うなど、馬鹿げたことですわ」
ミーアは、吐き捨てるように言った。
なにせ、そのせいで断頭台まで追いやられたミーアである。
ルードヴィッヒのお小言に耐えて、なんとか立て直そうと頑張ってきたミーアであったから、帝国が傾いたおおもとの原因たる初代皇帝には恨み骨髄なのである。
「馬鹿げたことですわ。ほんっと、ふざけてますわよねっ!」
だんだん、っと地団駄踏みたくなるのを堪えつつ、ミーアは小さく息を吐く。
「ですから、わたくし決めましたの。そんな古い盟約は、もう破棄してしまおうと……」
言いながら、ミーアはチラリとラフィーナの方を見た。そう……、ミーアはこれを聞かせるために、ラフィーナを呼んだのだ。
初代皇帝との約束とか破棄しときますよー。だから、これから先どっかの貴族が、初代皇帝への忠誠から馬鹿なことをやったとしても、自分には関係ありませんよー、と……。アピールするために!
「イエロームーン公爵家だけではありませんわ。帝国貴族は、みな、この帝国に忠節を尽くすと、家督を継ぐときに盟約を結びますわよね。けれど、今ここに、それをすべて破棄いたしますわ。あなたたちは帝国に忠誠を誓う必要はもうございませんわ」
「へ……? あの、ミーアさまそれは……」
混乱した様子で、瞳を瞬かせるサフィアスに、ミーアは静かに笑みを浮かべる。
「その上で、お願いしたいことがございますの。古き盟約を破棄した上で、わたくしと……、新しい盟約を結んでいただけないかしら?」
「新しい盟約……」
「そう。滅びのための……、古い三日月を涙に染め上げる帝国とではありませんわ。みなの安寧と繁栄のための新しい帝国と盟約を結んでいただきたいんですの……」
一度言葉を切り、ミーアはそっと瞳を閉じて続ける。
「貴族のためだけではございませんわ。この地に住む臣民すべての繁栄のため、三日月をすべての臣民の歓喜の涙で染め上げる帝国ですわ。それに忠誠を誓っていただくこと、そしてその帝国のために力を尽くすこと……、それが、結んでいただきたい新たなる盟約ですわ」
それをこそ、ミーアは求めたかった。
その国が、国民の繁栄のために存在するというのは当たり前のことだ。されど、貴族の中には、国民の中に、一般民衆を入れていない者がいる。領民を踏みつけにしてでも、自らの繁栄を追求しようという人間がいる。
けれど……、それではダメなのだ。
そんなことをしたら、断頭台が猛スピードで駆け寄ってくることを、ミーアは痛いほど(……主に首が)よく知っているのだ。
だからこそ、今この場で明言したのだ。
帝国は”臣民すべて”の繁栄のために存在するのだ、と。
そうしなければ、滅亡にまっしぐらだからこそ、しっかりと明言しておいたのだ!
「もちろん、これは個人的な密約ということになりますわ。本来、こうしたものは、皇帝陛下と、現公爵家の当主たちとなされるもの。個々の貴族たちと結ぶべきものですわ。でも……」
と、そこまでだった。
突然、立ち上がったエメラルダが、ミーアのそばまで歩み寄ると、そこで膝をかがめた。
「ミーアさま……。私は……、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンは、ミーア・ルーナ・ティアムーン姫殿下と、盟約を結ぶことを、ここに誓います」
彼女に続くようにして、シュトリナ、サフィアス、ルヴィが、ミーアの足元に膝をかがめる。そうして、口々に、その盟約への同意を宣誓する。
「みなさん……」
と、そこで、パチパチと拍手の音が聞こえた。見ると、ラフィーナが穏やかな笑みを浮かべて拍手をしていた。
「ミーアさん、素晴らしかったわ……。星持ち公爵令嬢、星持ち公爵令息と、月の皇女との新しき盟約……。確かに、このラフィーナ・オルカ・ヴェールガが見届けたわ」
それから、ラフィーナは静かに自らの胸に手を当てる。その口が紡ぐのは祈りの言葉。
「願わくば……、今日、この場でなされた誓いを、永遠に我らの神が守られますように。この場のみなの絆が、神の祝福を得ることができますように」
聖女ラフィーナの清廉なる祈りの言葉によって、月光会は静かに幕引きとなった。
さて……、月光会を終え、自室に帰ってきたミーアは、そのままベッドにぴょーんっと転がった。
「ああ……疲れますわ。誕生祭もまだまだ半分以上残っておりますし……。やはり精神的な疲れが大きい気がいたしますわね」
などと言いつつ、お腹をさすっているミーア。
食べ過ぎて胃腸が疲れていることに気づかないのであった。
そこで、ふと、ミーアの目に飛び込んできたもの、それは、ベルから借りっぱなしになっていたミーア皇女伝だった。
「ああ……そう言えば、読み返そうと思ってベルから借りたんでしたっけ……」
よっこいしょーっと掛け声をかけ、ミーアは起き上がる。それから、皇女伝を手に取りつつ、はふぅっとため息を吐いた。
「ああ……完全に忘れておりましたけれど……。結局のところ……、わたくし、女帝にならないと、暗殺されてしまうんですわよね」
今日までの成果に、ミーアはそれなりに満足していた。
けれど……おおもとの問題は、残念ながら解決していないのも事実だった。
「うーむ、でも、帝国って、過去に一度も女帝っていないんですのよね……」
うぐぐぐ、っとうなりながら、ミーアは再びベッドに寝転がった。
「ともかく、名乗り出るタイミングが大事ですわ……。タイミングを誤れば、女帝など夢のまた夢ですし……。それに上手くやれば、女帝にならなくっても……良くなったりするかも……? あー、なんとかサボる方法はないかしら……」
女帝にならなくってもいいって書いてないかしら……? などと思いつつ、ミーアは皇女伝を開こうとして……。
「失礼いたします、ミーアさま」
その時だった。部屋のドアがノックされたのは……。
入ってきたのは、アンヌだった。
「ミーアさま、ルードヴィッヒさんが面会にいらっしゃっているのですが……」
「あら、ルードヴィッヒが? なにかしら?」
アンヌの言葉を聞いて、ミーアは、ふむ、と考え込んだ。
――先ほどはなにも言っておりませんでしたけれど、なんの用かしら……? あ、そうですわ。どうせならば、わたくしが女帝にならずに済む方法を、一緒に考えてもらうのはどうかしら?
サボることにかけては、努力を怠らないミーアである。
「構いませんわ。わたくしの方でも相談することがございましたの。入ってもらって」
そう言うと、ミーアはむっくりと起き上がり、隣の私室へと移った。
ベッドルームの隣には、普段、ミーアが生活をしている部屋がある。
いつでもお菓子の時間に移行できるように、部屋の中央には大きなテーブルが置かれているものの、基本的には、そこは、他人を入れる場所ではない。
けれど、極めてプライベートなこの場所は、秘密の会談を行うには適した場所でもあるのだ。
「突然、申し訳ありません。ミーアさま」
「いえ、構いませんわ。わたくしの方でも相談したいことがございましたの。でも、まずは、あなたのお話をうかがいますわ」
そう言いつつ、ミーアは、アンヌが用意してくれたお茶に口をつけた。
――ふむ、アンヌもなかなか、お紅茶の淹れ方が上手くなってきましたわね……。
などと感心していると、
「月光会でのこと、お見事でございました」
ルードヴィッヒが、真剣な顔で言った。
「あのような形で、四大公爵家をまとめ上げるとは思ってもおりませんでした」
「ふふふ、大したことではありませんわ。まぁ、四大公爵家がまとまっていた方が、これから先なにかとやりやすいでしょうし……」
ラフィーナへのアピールは別にしても、飢饉に際しての四大公爵家の働きを期待したいミーアである。そのためにも、危機の共有はやっておいて損のないことだった。
そして、ルードヴィッヒに褒められて悪い気はしないミーアである。のだが……。
「それに、高貴なる色をまとっての堂々たる立ち居振る舞い……、まことに見事にございました」
続く、ルードヴィッヒの感極まったような声に、違和感を覚える。
「……ん? ああ、あのドレスですわね。ええ、アンヌが用意してくれて……」
言いつつも、ミーアは小さく首を傾げる。
――はて? 高貴なる色……?
「喜ばしく思います。ミーア姫殿下、我らの心とが一致していることが……」
「……はぇ?」
なんのことを言われているのかわからず、ミーアはパチクリ、瞳を瞬かせる。
――はて? 心が一致している……いったいなんのことですの?
困惑するミーアに、ルードヴィッヒは力強く頷いた。
「どうぞご安心ください。ミーアさまに、至尊の地位に就いていただきたいと、願っている者は、帝国には多いのです」
「……はぇ?」
ミーアの目を、しっかりと見つめたまま、ルードヴィッヒは熱意のこもった口調で言った。
「ミーア姫殿下を女帝の地位に押し上げるため、我ら一同、粉骨砕身の覚悟で働いていきたく思います。今、バルタザルにも手伝ってもらい、同門の者たちに声をかけております。それから、各月省の文官たちの中から、見どころのある者もリストアップしていて……」
「…………はぇ?」
ミーアを女帝へと押し上げる、巨大な波が生まれようとしていた。
かくて、月と星々の新たなる盟約は結ばれ、歴史は新たなる流れを作り出す。
「はぇ……?」
未だに事態が飲み込めないミーアを、あっさりと飲み込んで、歴史の奔流はどこへ向かうのか……。
それを知る者はどこにもいなかった。
第三部 月と星々の新たなる盟約 完 第四部へと続く
来週はお休みです。
三月九日から第四部スタートの予定です。
また、お会いできれば幸いです。