第百七話 月と星々のお茶会 後
「まず、初めに、みなさまに謝っておきたいことがございますの」
入ってきて早々に、ミーアは頭を下げた。
「本来、月光会には、四大公爵家の子弟とわたくし以外は参加できないことになっていると聞いておりましたが……。今回は、特別に二人の方の参加を認めていただきたいんですの」
そうして、ミーアは振り返って見せる。と、ミーアの後ろから一人の少女が姿を現した。
澄んだ水色の髪を揺らしながら、入ってきたその少女は……。
「おや……、あなたは、ラフィーナさま」
ルヴィが意外そうな声を上げる。一方で、その他のメンバーは特に驚いた様子を見せなかった。
「ご機嫌よう、みなさん。ふふ、セントノエルの外で、このように会合をするのは少し新鮮ですね」
涼やかな笑みを浮かべてラフィーナは言った。横で見ていたミーアは、ついついその笑みに底知れぬ凄みを見てしまう。
――ラフィーナさまに関しては、別に誰の許可を求める必要もなかった気がいたしますわね……。
いったい、どこの誰がラフィーナに、たてつくことができるだろう? そのような蛮勇を持つ者など、ミーアは一人しか思い浮かばなかった。そんなことができるのは、帝国最強の騎士ぐらいなものである!
ということで、特に反対意見もなさそうなことに、ミーアは満足げに頷く。
なにしろ、ミーア的にはこの会の主目的は、ラフィーナへのパフォーマンスである。彼女が参加しないことはあり得ないことだった。
「それともう一人……、わたくしの大切な助言者、ルードヴィッヒ・ヒューイットの参加も認めていただきたいんですの」
ここでミーアは言葉を切って、そっと瞳を閉じる。
相手がラフィーナであればまだしも、平民であるルードヴィッヒは本来この場には相応しくない。けれどミーアとしては、自分がやらかした際に彼の助言は必要不可欠なものだった。
この場に呼ばないわけにはいかない。
なので……、カッと瞳を見開いて、ミーアは力説する。言い訳を!
「ルードヴィッヒはわたくしの片腕、わたくしの知恵、そして、わたくしと心を同じくする者。もう一人のわたくしだと思っていただければ嬉しいですわ」
そう言って、ミーアはルードヴィッヒの方に目を向けた。
その視線を受け、ルードヴィッヒは、わずかにメガネの位置を直してから、深々と一同に頭を下げる。
「ルードヴィッヒ・ヒューイットにございます。ミーアさまの過分なご信頼にお応えできますよう、精一杯、努めさせていただきます」
――はて……? なんだか、今日のルードヴィッヒはいつもより気合が入っているような……? まぁ、別にいいですけど……。
それからミーアは、みなの顔を見た。またしても異議は出なかった。
――ふむ、誰かしらイチャモンをつけてきてもおかしくはないかと思いましたけれど、意外と素直ですわね。これなら、アベルとシオンもつれてきても問題なかったかしら……?
などと思いつつも、ミーアは言った。
「では、改めて、お茶会を始めますわ。エメラルダさん、お願いいたしますわね」
そう言って、ミーアは自らの前にケーキやお菓子が並ぶのを待った。
なんと! 今日は、ケーキが三種類も出てきた!
焼きリンゴのタルトと、甘月マロンのクリームをたっぷり使った山を模したケーキ、さらに、花の蜜がたっぷりかかったパンケーキである。
――ほう……、難しい話をする前に、まず甘い物を摂取しようということですわね。さすがは、エメラルダさん。できる女ですわ!
ミーアのテンションが90、エメラルダへの信頼度が100上がった!
「さて、それでは……本題に行きますわ」
一通りケーキをペロリしたところで、ミーアは静かに口を開いた。
っと、
「ミーアさま、お口に……」
などと、エメラルダが近づいてきて、口元をハンカチで拭いてくれた。
……堂に入ったお姉さんっぷりである。聖夜祭の際に、あまりミーアと遊べなかったのが、若干寂しかったらしい。
んっ、んん、などと喉を鳴らしてから、ミーアは改めて言った。
「では、本題に行きますわ……。といっても、ふむ……どこから話したものかしら……?」
ミーアがルードヴィッヒの方に目を向ける。
ルードヴィッヒは心得たとばかりに頷いてから、
「それでは、私の方から……。そうですね、やはり、順番に話をしていくのがよろしいでしょう。始まりは、レムノ王国の革命未遂事件から……」
そうして、彼は語り始めた。
レムノ王国の革命未遂事件と、その裏で暗躍していた者たちのこと。
サンクランド王国の諜報部隊、風鴉と白鴉、そして、潜り込んでいた蛇の存在……。
「混沌の蛇……、そのような者が……?」
「驚きましたわね……。レムノ王国の内乱に、そのような裏事情が……」
ルヴィとエメラルダが、狼狽した様子でつぶやきを漏らす。
「不幸中の幸いと言ってはなんですけれど、帝国内に張り巡らされていた、サンクランドの諜報網は一掃されておりますわ。白鴉だけでなく、風鴉のみなさんにもお帰りいただきましたの」
そう言って、ミーアは紅茶を一口。それから、
「次に、夏休みのことをお話しする必要がございますわね……」
ミーアはエメラルダの方に目を向けた。エメラルダはちょっぴり緊張した顔になり、小さく頷いた。
「実は、夏休みにミーア姫殿下と舟遊びに出かけましたの。あっ、シオン王子とアベル王子のお二人も同行されていたんですのよ」
……後半は若干自慢げな口調になっているエメラルダである。
「そして、その際に、無人島でとんでもないものを見つけてしまいましたの」
「とんでもないもの?」
怪訝そうな顔で首を傾げるルヴィ。ミーアは深々と頷いて、もったいぶった口調で言った。
「初代皇帝陛下が残した碑文。この帝国の興りと、混沌の蛇との関係性についてが書かれたものですわ」
そうして、ミーアは話す。
初代皇帝がいかなる思惑によって、このティアムーン帝国を築いたのか。この地を呪うために、帝国内に蔓延する「反農思想について」
……ちなみに、それらはすべて台本通りである。
お話ししたいことをルードヴィッヒにまとめてもらったものを暗記したのである。
パンケーキに覚えるべき文字を花の蜜で書いていき、覚えたらペロリとする、なぁんていうふざけた暗記法だったが、実に見事に暗記に成功してしまったため「暗記パンケーキ法」と命名したミーアである……どうでもいい。
「初代皇帝陛下が……」
「なるほど……。確かに、言われてみれば我々の中にも、農業に対する偏見は根付いているな。中央貴族の者たち、我がブルームーンの派閥の者たちにも、その傾向は確かにある。オレ自身、農民は農奴の末裔だなどと、見下してしまったこともある。恥ずべきことだったな……」
サフィアスが、苦々しげな口調で言った。
「そして、イエロームーン公爵家……。彼らは、初代皇帝陛下によって密命を受けていた……。そうですわね、リーナさん」
ミーアの視線を受けたシュトリナは、わずかばかり強張った顔で、小さく頷いた。
「我がイエロームーン公爵家は、初代皇帝陛下から特別に命令を受けていました……」
そうして、語られるのはイエロームーン公爵家の秘密……。
壮絶な歴史に、その場の誰もが言葉を失った。
その間、ミーアは、紅茶のお代わりを所望。ミルクたっぷりのそれに……、流れるような動作で砂糖を入れようとしたところで……。
「ミーアさま、僭越ながら、少しお控えいただきますよう……。アンヌ嬢から言われております」
横から、ひそめた声で、ルードヴィッヒが言った。
ぐむ、っとうなりつつ、ミーアは砂糖のビンから手を離した。
やがて、話し終えたシュトリナは小さく息を吐き、瞳を閉じた。それは、罪の告白を終え、刑の執行を待つ囚人のような……、悟りきった表情だった。
混沌の蛇とつながりのある毒を熟知した娘……。ミーアの暗殺さえ企んだ彼女に、みな困惑の視線を向けていたが……、
「誤解のないように言っておきますけれど、リーナさん自身に罪があるとは、わたくしは考えておりませんわ。初代皇帝に命じられてしたことですし……。イエロームーン家に罪なしとしてしまうと、納得できぬ者もいるでしょうから、そちらへの対処は現当主たるローレンツ殿に一任いたしましたけれど……、それは、リーナさんまでは及ぶべきではない、と考えておりますの。重ねて言いますが、この件はすでに終わったこと。蒸し返すような真似をしないでいただきたいですわ!」
……要するに、初代皇帝のやらかしを、これ以上つついてくれるなよ、ということである。
ちなみに、四大公爵家の者たちは、それぞれ皇帝の血縁であるがゆえに、初代皇帝の罪がミーアに及ぶと言い出すと、自分たち自身も墓穴を掘ることになりかねない。
唯一、怖いのはラフィーナだったが……、チラッとうかがってみた感じ、怒った様子はなかった。というか、むしろ、優しい笑みを浮かべてミーアを見つめていた!
……それはそれで、ちょっぴり怖くなってしまう小心者ミーアなのであった。
それから、気を取り直して、今度はルヴィに目を向ける。
「過去のことに目を向けるより、わたくしは、むしろこれから先のことに、力を合わせる必要を感じておりますの」
「これから先のこと……ですか?」
サフィアスが首を傾げる。
「ええ。ルヴィさんにはすでに動いてもらっているのですけれど……、みなさんにも言っておきますわ。これから先、数年間に渡り大規模な飢饉が大陸全土を襲いますわ」
断言するミーアに、サフィアスが驚いた様子で言った。
「そっ、そんなこと……、ミーア姫殿下は未来のことをも見通されるのですか?」
「すべてのこと……とは申しませんけれど、少なくとも農作物が軒並み不作になることは事実ですわ」
そうして、ミーアはルードヴィッヒの方に目を向けた。ルードヴィッヒは小さく頷き、
「すでに、来年の収穫はかなり減るであろうことが予想されます。今年は、冷夏であったために実りが悪いのです」
「そっ、そんな……」
震える声でつぶやいたのは、シュトリナだった。
混沌の蛇の企みを熟知している彼女だから、帝国を飢饉が襲った場合、どのようなことになるのか、よく理解できるのだろう。
「ミーアさま……、あの、それは間違いないのでしょうか? もし、そんなことになったら……」
「ああ、リーナさん、心配には及びませんわ。そのための備えを、わたくしたちはしてきたのですから……。ですわよね、ルードヴィッヒ」
ミーアの視線を受けて、ルードヴィッヒは重々しく頷いた。
「はい。ミーアさまの命を受け、備蓄に努めてまいりました。仮に飢饉が起きたとしても……、十分に耐えしのぐことができるでしょう。遠方の地より小麦を買い付けてきてくれるフォークロード商会、ペルージャン農業国、ガヌドス港湾国、それぞれからの食糧輸送ルートが守られてさえいれば……、民を飢えさせることはありません」
「加えて、その供給が守られるよう、ルヴィさんに、皇女専属近衛部隊の運用計画を作っていただきましたの。食料が不足するなどと聞けば、不安に思った民が暴徒化し、馬車を襲うかもしれませんし。それに、混沌の蛇……彼らが混乱を生み出すべく破壊工作を行うかもしれませんから」
ミーアの視線を受け、ルヴィは頷いた。
「皇女専属近衛部隊と、いざという時には、我がレッドムーン公爵家の私兵団の一部を投入することも考えに入れて計画を作っている」
それを聞き、サフィアスが立ち上がった。
「そうか。ならば後でその計画、こちらにも回してくれ。我がブルームーン家でも手伝えることがあると思う」
「ああ、わかったよ。そのように手配しよう」
頷くルヴィ。さらに、その隣でエメラルダが腕組みする。
「それに、ガヌドス港湾国にも、きっちりと釘を刺しておく必要がありますわね。ああ、シュトリナさん、イエロームーン家からも使者を送ってくださらない? 昔はガヌドスと交流があったんですわよね?」
エメラルダもそれに続き、シュトリナも了承の頷きを見せる。
誰も、ミーアの未来予想を疑う様子すら見せなかった。
ミーアが飢饉が来ると言うのであれば、そうなのだ、と……。その前提で動き出そうとしている。
しばらくその様子を見てから、ミーアはパンっと手を打った。
「さて……、それではそろそろ、一番大切なお話をいたしますわね……」




