第百五話 長く待ちわびていた時間
「ご機嫌よう、ミーアさん」
ミーアが「さすがに食べ過ぎたかしら……?」などとお腹をさすっていると、すぐそばで声が聞こえた。
顔を向けてみると、いつの間にやってきたのか、ラフィーナが立っていた。
「まぁ、ラフィーナさま」
ミーアは、慌てて椅子から立ち上がる。
最初の登場の時以来、挨拶回りが忙しくて、ゆっくり会話をする暇もなかった。
というか、ほったらかしてシオンやアベルとダンスを楽しんだり、ケーキをもぐもぐしたりしてしまっていたのだ! いささか礼を失する態度だったかもしれない、と反省したミーアは、お客さまを歓迎する態度で、ラフィーナに笑顔を振りまく。
ラフィーナはミーアに勧められるままに、席に座ると、不意に声を落とした。
「……ところで、ミーアさん、私はミーアさんのお誕生日に呼ばれていなかったのだけど……来ても大丈夫だったのよね?」
そう言って、上目遣いに見つめてくる。
「……はぇ?」
口をぽっかーんと開けるミーアに向かい、ラフィーナは続ける。
「もしかしたら、ミーアさん、私に来てもらいたくなくって、それで誘わなかったんじゃないかって……。心配になってしまったのよ。呼ばれていなかったのは、私だけだったみたいだから……」
「あっ……」
すぅっと……、ミーアの背筋に冷たぁいものが……走った。
そうなのだ、生徒会のメンバーでこの場に呼ばれていないのは……、ラフィーナだけなのだ。
クロエはもともとが平民の出身なので仕方ないとはいえ、サフィアスもティオーナも、二人の王子も、誕生祭には呼ばれている。
貴族で呼ばれていないのは……ラフィーナだけだ。
ミーアは、ラフィーナだけを、自分の誕生祭に呼ばなかったのである!
これが、何を意味するか……。
例えばミーアが、ラフィーナとさほど仲が良くなければ問題はない。
そのような関係でラフィーナを呼ぶことは、彼女の権力を目当てとすることに繋がる。むしろ、それならば呼ばない方が、謙遜さがあって、ラフィーナには評価されることだろう。
だが……、幸か不幸か、ミーアはラフィーナとお友だちである。
では、お友だちを誕生パーティーに呼ばないというのは、どういうことを意味するのか……?
ダラダラと背中に汗を流しつつも、ミーアは震える声で言った。
「ら、ラフィーナさまは、ご多忙ですし、わざわざ来ていただくのは申し訳ないって思っただけですわ。決して、来てもらいたくないだなんて、全然思っておりませんわ。こうして来ていただけて、わたくし、かっ、感動しておりますのよ?」
……ちなみに、割と本音である。
ミーアは決してラフィーナに来てもらいたくないとは思っていなかったのだ。ただ、いろいろあって若干忘れていた節はないではないが……。
ラフィーナはじぃっとミーアの瞳を見つめてから、
「……でも、忘れてたりして……?」
ミーアは、ニッコニコの笑みを浮かべたまま、それを受け流す。
心の中で、悲鳴を上げつつ……。
――うう、や、ヤバいですわ! ら、ラフィーナさまは、時々、人の心を読まれる方……意識してはいけませんわ。忘れてたなんてことありませんわ……。わたくしは、忘れてなどおりませんでしたわ!
自分で自分に言い聞かせ、それを信じ込む!
自分は、ラフィーナのことを、忘れてなんかいなかった!
ラフィーナが忙しいだろうから、誘わなかっただけなのだ!
――ワタクシ、ワスレテ、ナイ……。
っと、そこで、ラフィーナは表情を崩した。
「ふふふ、冗談よ、ミーアさん。もう、そんなに慌てなくっても大丈夫よ」
涼やかな笑みを浮かべるラフィーナ。だけどミーアには、なんとなーく、その目が笑っていないように見えてしまうのであった。
――うう、失敗しましたわ。これからは、毎年ラフィーナさまにお誘いを出しておかなければなりませんわ。それに……。
と、ミーアはそこで思い至る。
――ああ、そうですわね……。バルバラさんのこと、入れ違いになってしまったのでしょうし。説明は必要ですわね。
バルバラとともに、ヴェールガに送った書状(言い訳の塊)。そこには、初代皇帝の企みを、ミーアが継承しないことを正式に表明した旨を全力で記載してあったのだが……。
――あれをお読みでないということは……あのイエロームーン公爵にしたように、初代皇帝の責任を負わなくていいように、迅速にきっちりと宣言しておく必要もありますわね……。ならば、なにかしら、それに良い場所があればいいですわね……ふむ。
などと考えているうちに、その日のパーティーも終わりが近づいていった。
「ミーアさま……」
ふと顔を上げれば、そこにはエメラルダが立っていた。
「あら、エメラルダさん。今日は、わたくしのために、わざわざ来ていただいて感謝いたしますわ」
「いえ。親友のお誕生日をお祝いするのは当たり前のことですわ。今日はこれで失礼いたしますけれど、我がグリーンムーン邸で行われるパーティーも楽しみにしていてくださいませね。ああ、シオン王子も、アベル王子も、それにラフィーナさまもよろしければ……」
などと、朗らかな笑みを浮かべるエメラルダ。
ミーアの誕生祭は五日間。その間ミーアは、帝都近郊の中央貴族領地群の街々をめぐることになっている。どの貴族の領地へ赴くかは定まっているわけではなく、毎年、各月省の意見を組み入れて、コースが決まるのだ。
その五日間が終わると、今度は四大公爵家のそれぞれが祝宴を開いてくれるので、それに参加しなければならない。
当然、エメラルダのグリーンムーン家でも祝宴が開かれることになっている。
――確か、グリーンムーン家は、領都ではなく、帝都にある別邸の方で祝宴を開くことになっていたかしら……? ということは、しばらく帝都にいるんですのね……ふむ。
っと、ミーアはそこで、何かを思いついたようにパンッと手を打った。
「あ、そうですわ。ねぇ、エメラルダさん、あなたにお願いがございますの」
「あら? なんでしょうか、ミーアさま」
お願いと言われたのが嬉しかったのか、エメラルダはニコニコと笑みを浮かべた。
そんな彼女にミーアは、ごく自然な口調で言った。
「この冬の間に、例の『約束』、果たしていただけるかしら?」
「約束……」
一瞬、首を傾げたエメラルダだったが、次の瞬間、ハッとした様子を見せた。
その頬は心なしか、緊張に強張っているように見えた。そんなエメラルダにミーアは優しく笑みを浮かべる。
「わたくしのために、お茶会を開いていただきたいんですの。甘くて美味しいケーキを食べさせてくださる約束になっておりましたわよね?」
それは、あの日、無人島でなされた約束……否、それはもっと昔……。
「サフィアスさんとルヴィさん、それに、シュトリナさんもお呼びして、そこで、誓い合うんですの」
ミーアは、一度、言葉を切って、それから言った。
「この帝国のために力を尽くすと……。この帝国の民、すべてのために……」
その言葉に、エメラルダは瞳を見開いた。そうして、
月光会の発案者、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンが、長く待ちわびていた瞬間が訪れようとしていた。
月と星々の会合が、ついにもたれようとしていた。
今週の投稿にて第三部は終了とします。
一週間のお休みを空けて、第四部開始……の予定です。