百四話 器の大きいミーアさま
さて、アンヌの特殊メイクにより、上手いこと化けたミーアは、我が世の春を謳歌していた。
さる侯爵と挨拶を交わし、次にそのご令嬢に挨拶を。さらにそのお友だちに挨拶……。
「ミーアさま、このお料理、とても美味しいですよ」
などと勧められるままに、もぐもぐ。
一段落付き、今度はさる伯爵と挨拶を交わし、そのそばにいたペルージャン農業国の姫、ラーニャと談笑をして、
「あ、ミーアさま。実は、これ、ペルージャンで開発された新しいケーキで……」
などと勧められるままに、もぐもぐ。
それを食べている最中、挨拶にやってきた中央貴族に「タイミングが悪いですわ!」などと内心で舌打ちしつつ、ニコやかに対応。
そのままケーキを二切れ食べつくすと、さらに近場に美味しそうなキノコのソテーを発見して、もぐもぐ。もぐもぐ……。
ひとしきり、モグモグモグタイムを満喫したミーアに、歩み寄る者がいた。
「ミーア姫殿下、よろしければ、一曲お付き合いいただけるだろうか?」
かしこまった口調で言うのは、シオン・ソール・サンクランドだった。気付けば辺りには、穏やかな曲が流れ始めていて、談笑に飽きた者たちが、思い思いにダンスを始めていた。
「あら、シオン……。ダンスのお誘いですの?」
「ああ。君のお父上への挨拶では後れを取ったが、毎回、アベルに先陣を譲るのもシャクなんでね」
ふと見れば、アベルが少し離れたところで苦笑いを浮かべていた。
「ふむ……、殿方というのもなかなかに大変なものですわね……、うひゃっ!」
と、シオンが唐突にミーアの手を引いた。
「ず、ずいぶん強引ですわね、シオン」
どぎまぎしながらミーアは言った。基本的に、押しには滅法弱いミーアである。しかも、相手はイケメン中のイケメンのシオンなのだ。
冷静でいられるだけの余裕など……ない!
「はは、君は今日の主役だからね。あまり、俺で時間を取られるわけにもいかないだろう」
そうして、シオンは軽やかにダンスのステップを踏み出した。
シオンのイケメンオーラに当てられて、余裕を失っていたミーアであったが、それでも難なくついていく。
そう……、お忘れかもしれないが、ダンスだけは得意だったミーアなのである。今では、そこに、そこそこの乗馬技術と、危険な調理術というスキルも加わり、だいぶ、スキルが盛られたミーアなのである。ミーアだって成長しているのだ!
「あら、相変わらず、ダンスがお上手ですわね、シオン」
「そうかな? 君の方は、なんだか以前踊った時より迫力が減ったんじゃないか?」
悪戯っぽくウィンクするシオンに、ミーアは余裕の笑みを返した。
「あら? あなたがついてこられるか心配だったから、手加減しただけですわ。本気でいきますわよ?」
言葉とは裏腹に、今日のミーアにはシオンに対する敵意はなかった。
そこにあるのは、ただ純粋に、ダンスを楽しみたいという思いのみ……。
そうなのだ、ミーアの中で、シオンに対する敵愾心は、もうほとんど残っていないのだ。
ゆえに、そのステップもパートナーであるシオンに合わせたものとなり……、結果として、二人は非常に息があったダンスをすることができた。
それは、ミーアにとって、とても楽しい時間となった。
そして、もちろん、シオンにとっても。
……だからだろうか?
その後、ミーアのダンスパートナーをアベルに譲った際……、シオンの胸には、ほんの少しだけ名残惜しさが残ったのだった。
「ふぅ……」
踊り終えたシオンのもとには、多くの女性たちが寄ってきた。
彼の見事なダンスに見惚れたのはもちろんのことだが……、それ以上に、帝国貴族の令嬢にとって、大国サンクランドの王子というのはとても魅力的だ。上手く恋仲にでもなれば、ミーアとだって並び立つ権力を得ることができるかもしれないのだ。
普段であれば笑顔であしらうところなのだが……、なぜだろう、今日のシオンにはあまり余裕はなかった。
正直なところキースウッドに任せてしまいたいところなのだが……、ここに入れるのは王侯貴族のみ。頼りになる従者はいない。
――さて……少し面倒だな。どうしたものかな……。
近づいてくる者たちの笑顔の裏に、見え透いた打算を見てしまって、シオンは思わず辟易するが……、
「すみません。あの……」
っと……、その人垣をかき分けて歩み寄ってくる者がいた。
非難の声もなんのその、そこに現れたのは、シオンの見知った人物だった。
「んっ? 君は、ティオーナ……」
ティオーナ・ルドルフォン……。
帝国辺土伯の令嬢である彼女もまた、ミーアの晩餐会に招かれていたのだ。
「まぁ、田舎者がしゃしゃり出るなんて、生意気なっ!」
などという非難の声をあっさり無視して、ティオーナはシオンの手を取った。
「あの、シオン王子、一緒に来ていただけますか? ラフィーナさまが、お呼びです!」
言うが早いか、ティオーナはシオンを連れて、会場の中を突き進んだ。そのまま、彼女は会場の外へと向かう。
「ティオーナ、ラフィーナさまが呼んでいるというなら、会場から出るのはまずいと思うが……」
苦笑いを浮かべるシオン。彼の視線の先には、会場の中心で帝国貴族に囲まれて談笑しているラフィーナの姿があった。
シオンの指摘に、ティオーナがハッとした顔をする。けれど、
「だが、そうだな。少し疲れたから外の空気でも吸いに行こうか」
その手を逆に引いて、シオンは前に出た。
二人が向かったのはバルコニーだった。
吹き付けてくる冷たい冬の風が、動いて暑くなった体に心地よかった。
辺りに人の姿はない。さすがに、姫殿下の誕生を祝う晩さん会を抜け出そうなどという不届き者はいないのだろう。
冷え切った空気を思い切り吸って、吐いてから、シオンは言った。
「しかし、すまなかったな、ティオーナ。助かったけれど、俺と一緒にいたら、君の立場が悪くなるんじゃないか?」
それを聞いて、ティオーナは、くすくすと小さな声で笑った。
「大丈夫です。最初から悪いですから」
卑下するわけでもなく、ごく自然にティオーナは言った。
「でも、ミーアさまのおかげで、それもだいぶ良くなりました。セントノエルで嫌がらせを受けることもありませんし、選挙のことがあってから、和解することができた人たちもたくさんいます」
ティオーナは自らの胸にそっと手を当てて、瞳を閉じた。大切な記憶を思い出すかのように……。
「そうか……。それならいいんだけど……」
彼女の顔を見ながら、シオンはなんとなく思った。
――なるほど、彼女も俺と同じくミーアに救われたんだったな……。
「それよりも、シオン王子……、あの、こんなことをお聞きしたらいけないのかもしれませんけど……」
ティオーナは、一度、言葉を止めてから……、意を決した様子で言った。
「あの……いいんですか?」
「ん? なにがだい?」
意味がわからず、首を傾げるシオン。
「ミーアさまのこと……。その……、先ほどダンスを見させていただきました。シオン王子、とっても楽しそうでした」
それから、ティオーナは少しだけ言い淀んでから……、
「シオン王子はミーアさまのこと……、好きなんじゃないかな、って思いました。それなのに簡単にアベル王子に、パートナーを譲ってしまって……」
その指摘に、きょとんと首を傾げたシオンは、苦笑いを浮かべた。
「あまりミーアを独占したら、アベルに文句を言われそうだったから譲ったまでだが……」
言葉の途中でシオンは気が付いた。自分が偽りを口にしていること。そしてティオーナが、真実を見極めるかのように、真っ直ぐに自分を見つめていることに。
――やれやれ……、誤魔化すのは誠実じゃないかな……。
ため息交じりに、首を振り、シオンは言った。
「君の言う通り、確かに俺はミーアに惹かれているかもしれない。でも、俺は失敗したんだ」
サンクランドの風鴉がしでかした失態。そして正義を標榜しつつ、自身が犯した罪……。その負い目が、今もシオンを縛り続けていた。
「今さら、俺に何かを言う資格があるとは思わない……。それに、俺はサンクランドの第一王子だ。仮にミーアに恋をする事があったとしてもそれが叶うことはない……」
「ミーアさまは、そんなの気にしないと思います」
まるでシオンの迷いを断ち切るかのように、きっぱりとした口調でティオーナは言った。
「ミーアさまは、その……すごく器の大きい方ですから、そんなのきっと気にしません……」
「そうだろうか?」
そう問いかけつつも、シオンは思っていた。
確かに、その通りなのだろうな、と……。
ティオーナは深々と頷いてから続けた。
「それに、きっと後悔します。話せる時に、しっかりと話をしておかないと……きっと」
ティオーナの言葉は、シオンには、後悔を知る者の言葉に聞こえた。
もしかしたら、ティオーナはかつて、話したいことを話さずに後悔してしまったことがあるのかもしれない。
「話せる時に話す、か……」
シオンは、初めて考え始める。
自分の気持ちについて……。
自分はミーアのことを、どう思っているのか……。
ちなみに……シオンが、ちょっとした決意を固めつつあるその頃……、ミーアは何をしていたかといえば……。
「ふむ……、このケーキも絶品ですわ。アベル、あなたも食べてみるとよろしいですわ!」
器の大きさを発揮して、モグモグモグタイムの三ラウンド目に突入していた。
ダンスで消費したエネルギーの補給をしつつも、「飢饉の間はぜいたくなもの食べられないだろうから、食べ溜めしておきましょう!」という、この精神性!
心もお腹も、器の大きいミーアなのであった。