第百三話 忠臣、歓喜!(それぞれの視点)
晩餐会の会場へとミーアを送り出したルードヴィッヒは、湧き上がる感慨に胸を熱くしていた。
「ミーアさまがあの色を身にまとうとは……」
その意味するところを考えると思わず体に震えが走る。それは武者震い。
彼は、それを止めることができなかった。
「ついに……、ついにミーアさまは表明されたということか……。女帝として、このティアムーン帝国を統べるということを……」
それは、ルードヴィッヒの悲願だった。
あの日、ミーアから声をかけられてから……、彼は帝国内を懸命に駆けずり回った。
ミーアの求めは、帝国の財政問題の解決にとどまらなかった。
彼女は、帝国のすべてを立て直そうと考えていた。
だから、ルードヴィッヒはその力の及ぶ限り、全力で応えようとした。
その内に、彼はこう考えるようになっていた。
「ミーア姫殿下こそが、帝国を指導するに相応しき方……」
それがルードヴィッヒの出した結論だ。
合理的に考えて、それが帝国を導くのに最も良い方法だ。
冷静に、客観的に考えて、それが正しいはずで……。でも、
「帝国初の女帝ミーア陛下……か」
なぜだろう……、その言葉を口にする時、ルードヴィッヒの心は震えた。
思考を積み重ねる過程において……どうしても、そこに感情が絡んでしまうような気がした。
帝国初の女帝に就いたミーアと、それを傍らで補佐する自分。いや、傍らでなくても構わない。彼女の手足となって働けることが、なんだか、とても素晴らしいことのように思えて……。
それは遠い昔……どこかで抱いた想い。
いつのことか、どこでのことか……、不思議なことに思い出すことはできなくって……。
あるいは、それは夢の中の出来事であったのかもしれないと……、そんなことさえ思ってしまって。
「たとえ夢でも構いはしないさ。女帝となられたあの方のおそばで働くことができる、これほど嬉しいことはないのだから……」
ルードヴィッヒは、自身がいささか感傷的になっていることを自覚して……、苦笑いを浮かべる。
「まだ、なにかを為したわけでもないというのに……」
頬をパンパンと叩いてから、彼は歩き出した。
「バルタザルと師匠に連絡を取ろう。それに、ジルにも……。ほかの連中にも協力を仰がねば……」
老賢者ガルヴのもとから輩出された少壮の官僚集団……、その力を結集させるべく、ルードヴィッヒは動き出した。自分と同じく、ミーアのもとに馳せ参ぜよと呼びかけるのだ。
すべては、そう……、紫――至高の色、をまとうミーアのために。
紫色のドレスに身を包んだミーアを送り出し、アンヌは満足げに頷く。
自らの研究の成果が、ミーアに使ってもらえることがなんとも誇らしかった。
――最近、ミーアさまはすごくご苦労されてたから、少しぐらい太ってしまっても仕方ないよね……。
自分では想像ができないほどの重圧の中に置かれたミーア。
そのせいで、甘いものを食べて発散したりするうちに、少しふっくら気味になってしまったミーア。
そんな主の役に立つために、アンヌは日夜研究を欠かさない。
今回、パーティー前にミーアに入ってもらったのは、先日、クロエからもらった入浴剤入りのお風呂だった。疲れが取れる効果があるとかで……、出てきたミーアはまさに輝きを放つかのように元気になっていた。
……まぁ、物理的に輝いていたわけだが……。
新しい情報はどん欲に……、学園の他国の貴族の従者からも積極的に情報収集を試みた。それに、セントノエルは何といっても、大陸の最先端を行く学園都市である。町に出れば、いろいろなものが手に入る。
アンヌは、ミーアのためになるものがないかどうか、時間がある時には積極的に街に出ていた。
ミーアの健康を保つための勉強も、その肌の質を保つための技も、その髪を綺麗に梳く技術も、研鑽に努めているのだ。
「ミーアさまのために、私にできることをするんだ……」
ミーアの美容を保つ、その一番の責任者という自負が、アンヌの中にはあった。
その彼女からしても、今日のミーアは合格点。
まさに、輝くような美しさを放っていた。
……まぁ、実際に、物理的に輝いていたわけだが……。
「うふふ、髪も上手く梳けたし、もう、あの時みたいに歯がゆい思いをしなくて済むな…………あれ? でも……、あれっていつのことだったっけ?」
アンヌは、小さく首を傾げた。
いつだったか……、自分はミーアに櫛をかけた。それはミーアにとって、とても大切な時だった。だけど、その時に上手くできなくって……。
「夢の中のこと……だったかな?」
いくら思い出そうとしても、そんな記憶は出てこない。
でも、ミーアの一大事に、自分が櫛をかけられないなんて絶対に嫌だった。
これから先、ミーアには婚礼の儀もあるだろうし、大勢の国民の前に出ることだってあるのだ。
そんな時、最善の姿でミーアを送り出すこと、それが自身の一番の仕事であると、アンヌはしっかり心得ていた。
不甲斐ないことはできない。だから、日々の努力を欠かすことはない。
「とりあえず……、ミーアさまが帰ってくるまでにすることは……」
アンヌは、ふーむ、と腕組みする。
「うん、あれだけお綺麗なんだもの。きっと、お二人の殿下とも、楽しい時間を過ごせるはずだわ。ということは……きっと、戻ってきたらお疲れだろうし……」
ミーアのダンスの腕前を知っているアンヌは、きっとミーアがたくさん踊ってくるのだろうな、と考えた。
となれば、寝る前に、汗を流して……と思っても不思議はないはずだ。
いつミーアが戻ってきても良いように、お風呂の準備をしようかな、などと思うアンヌであった。
すべては、そう……、紫――収縮の色、をまとうミーアのために。