第百二話 いざ踏み出さん! 女帝への道を!
「……あの色のドレス……あの色の、意味は、まさか……」
ごくり……と生唾を飲み込む貴族。
いや、ただ単に、収縮色だからなのだが……。
「それ以外に考えられまい……。至高の色のドレスを、このような日にまとうなど……。つまり、ミーア姫殿下は……帝位を継ぐおつもりなのだ……」
緊張のにじんだ声で、別の貴族が言う。
いや、ただ単に、ミーアが食べすぎちゃったからなのだが……。
「長き帝国の慣習を覆すということか……。まさか、そのような野望を隠していたとは……」
いや、ただ単に、お腹の膨張(FNY)を収縮色によって隠しているだけなのだが……。
貴族たちに広がった動揺、けれどそれが治まる前に、さらなる衝撃がミーアの口から発せられた。すなわち……、
「実は、本日、お集まりのみなさまにご紹介したい方がおりますの。どうぞ、お二人とも、こちらへ……」
そう言って、ミーアが手招きをする。と、それに応えるように、二人の少年がミーアの後ろに歩み寄った。
「あれは……?」
彼らの顔を知る者はそう多くはなかった。けれど、知っている者は思わず言葉を失った。なぜなら、そこにいたのは……。
「こちらはわたくしの学友の、アベル王子とシオン王子ですわ。アベル王子はレムノ王国の第二王子殿下で、シオン王子はサンクランド王国の第一王子殿下ですわ」
ミーアの紹介に、一瞬、会場が静まった。
「わたくしの誕生祭に出席するために、来てくださったんですの」
何でもないことのように言うミーアだったが……、発生した衝撃は決して小さなものではなかった。
確かに、ティアムーン帝国は大国だ。
その皇女の誕生祭なのだから、近隣諸国から客人が来ることも珍しいことではないし、ペルージャン農業国やガヌドス港湾国の王族が来たこともある。
が……、サンクランド王国ほどの大国から、王族が来たことはない。
しかも、第一王子のシオン王子と言えば、王位継承権一位の王族である。
それはすなわち、かのサンクランド王国が、皇女ミーアをそれほど高く評価しているということだ。
「まさか、サンクランドの王子が……」
「いや、もう一人の王子の方も軽視は出来んぞ」
レムノ王国といえば、ティアムーン、サンクランドには劣るとはいえ、小国とは言えない、侮りがたい国力を持つ国だ。
しかも、アベルはその第二王子だ。王位継承権一位のシオンとは違い、第二王子であれば……ミーアの婿になる資格は十分にある……。
至高の色を身にまとい、その上で二人の王子を紹介することが、いかにも意味深に思えてしまって……、貴族たちは戦慄を禁じえなかった。
しかし……、ああ、しかしなのだ……。
彼らを襲う最大の衝撃は直後にやってきたのだ。
貴族たちが、まだ、唖然と立ち尽くしている中、唐突に会場の扉が開いたのだ。
「遅れてしまい、申し訳ありませんでした。ミーアさま」
現れたのは、四大公爵家の一角、グリーンムーン公爵家の令嬢、エメラルダだった。
……まぁ、ぶっちゃけ、それはどうでも良かった。
エメラルダとミーアが仲良しであることは、この場に集う貴族たちならば、誰もが知っていることだったからだ。
問題はエメラルダのすぐ後ろに立っていた人物だった。
それは、清らかな笑みを浮かべる少女だった。
年の頃はミーアとさして変わらない。十代の半ばぐらいだろうか。
小川の清流のような涼しげな水色の髪、さらりと風に流れる髪の合間から覗くのは、透き通るように白い肌だった。
神々しいまでの美しさを持ったその少女のことを……、その場に集うみなは知っていた。
直接は見たことがない者も、肖像画で見たことがあったのだ……。
それは大陸に君臨する聖女……。すなわち、
「うふふ、ご機嫌ようミーアさん。お誕生日、おめでとう」
ヴェールガ公国の公爵令嬢、聖女ラフィーナ・オルカ・ヴェールガの登場が、会場の空気を再び変えた。
二人の王子の存在は決して無視しえないものではあった。されど文字通り、ラフィーナは格が違う。彼女を敵に回すということは、サンクランドはじめ、大陸の複数の国家を敵に回すということと同義である。
それほどの影響力を、貴族たちはラフィーナの背後に見ていた。
そして……そのラフィーナがミーアの誕生日を祝うために、わざわざ帝国まで足を運んだという事実……。
事態の急転についていけない貴族たちをしり目に、ラフィーナは軽やかな足取りでミーアのもとに向かった。
「らっ、ラフィーナさま? なぜここに?」
「あら? お友だちのお誕生日をお祝いするのは、当たり前のことでしょう?」
驚いた顔をするミーアに、ラフィーナはクスクス、悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
「ふふふ、驚いてもらえたみたいでなによりよ、ミーアさん。こっそり来たかいがあったわ」
「まぁ、そんな……。遠いところをわざわざそのようなことのために……」
ミーアは、恐縮しきりの様子でラフィーナに言うが……、貴族たちは、その演技に歯噛みする思いを抱く。
白々しい。聖女ラフィーナが訪れることを知らぬはずがなかろうに、と。
仲睦まじく手を取り合うミーアとラフィーナ。その光景は、嫌でも帝国貴族たちに思い知らせることになった。
皇女ミーア・ルーナ・ティアムーン、現皇帝の娘が有している権勢の強大さを。
彼女が皇帝の寵愛を受けていることは知っていた。
ここ最近は民衆への慈善活動にも力を入れており、そのおかげか、民からの人気が高いことも、いささか気に入らないながらも認めるところではあった。
また、辺土貴族たちを厚く遇することで、中央貴族とは距離を置く彼らとの関係も、かなり良好だと聞いている。
けれど……、その権勢が国外にまで及ぶとは彼らも考えてはいなかったのだ。
帝国に並びうる大国、サンクランド王国の王子と、サンクランドほどではないにしても、侮りがたい国力を持ったレムノ王国の王子、二人の見目麗しき王子たちと笑みを交わし、大陸最大の権勢、ヴェールガの聖女ラフィーナ・オルカ・ヴェールガとも極めて親密な関係を築いている。
このような人物が、かつてこの帝国にいただろうか? いるはずがない!
その圧倒的な権勢は、ミーアに反感を持っていた貴族たちを黙らせるのに十分だった。
……彼女を敵に回してはヤバイ……と多くの者たちは察した。
そもそもが、皇帝陛下自体、愛娘のこととなると、いろいろとヤバくなるのだ。その上、彼女の絶大な権力を目の当たりにした貴族たちは大いに焦った。
そうして……、皇帝からの勅命に改めて思いが至った。
皇女ミーアは「民がすべて、自分の誕生日を喜び、楽しみ、祝うことを望む」と言ったのだという。であるならば……、それを全力で、かなえなければならないのではないか?
深々と、その想いを刻み込まれた貴族たちは、恐怖に背中を押されるようにして自らの領地に飛んで帰った。そうして……ひきつる笑みを浮かべつつ、民たちを自らの屋敷に招いたのだ。
……もはや、やけくそだった。
民衆を喜ばせなければ、皇女ミーアの癇気に触れるかもしれない。それだけは避けねば、と全力で忖度したのだ!
結果、民とともに酒を飲みかわし、同じ者を祝うために歌い……、などとやっているうちに、ちょっとだけ、気持ち良くなってきてしまった……。
「気前のいい領主さま」
などとおだてられれば悪い気はしない。それに、しょせんは、たった五日のことなのだ。
短い間だけ、民衆にいい顔を見せておけばいいのだ、と……、自らも楽しむことにした。それが、勅命だからと、そうしたのだ。
結果……、彼らの心にもまた、刻み込まれてしまったのだ。
領民との楽しい祭りの思い出が……。ただ、税を納めてくるだけの者たち、ただの他人だった者たちが、酒を飲み交わした顔見知りになってしまったのだ……。
それは、少なくはない影響を彼らに及ぼすことになるのだった。
一方で、それでもなお……、古き因習に従う者たちは存在した。
「困ったことになりましたな……。これは、サフィアス殿を焚きつけませんと……」
「いやいや、あれほどの布陣、普通の者では太刀打ちできますまい。ここは、レッドムーン公爵家に動いていただいて、牽制を……」
などと……、良からぬ相談をする彼らであったが……。彼らは知らないのだ。
四大公爵家の子女たちが、現在、どのようなことになっているのかを……。
すでに彼らが頼りとする四大公爵家にも、ミーアが適当にばらまいた種が芽吹き、しっかりと根を張りつつあるということを……。
そして、自分たちがする企みが、ミーアに筒抜けになるということも。
かくて……、ミーアは、女帝への道の第一歩を華々しく踏み出したのだ!
本人の与り知らぬところで……。