第百話 皇女ミーアの放蕩祭り4 ~希望の灯・奇跡の思い出~
「して、素敵なこととは、なにかな? ミーア」
そう言って、皇帝はなんとも柔らかな笑みを浮かべた。そんな父に、ミーアは若干ドヤァっとした笑みを浮かべながら言った。
「はい、実はわたくし……、この度の誕生祭、みなさんにお祝いしていただきたいと思っておりますの」
胸を張って、そんなことを言う。
「む? それは当たり前のことではないか?」
不思議そうに首を傾げるマティアス。しかし、ミーアは首を振った。
「貴族だけではありませんわ。この帝国に住まう臣民すべてに、わたくしの誕生日をお祝いして、喜んで、楽しんでいただきたいんですの」
「それもまた当たり前のことだ。ミーアの誕生を祝わないなどと、そのような不敬なものは極刑に処すと命令をくだ……」
「そうではありませんわ。お父さま、それでは強制することになってしまう。わたくしがしたいのはそういうことではございませんわ」
ミーアは静かに首を振った。
「ほう、では、どうすると?」
「簡単ですわ。みなで……美味しいものを食べればよろしいんですわ」
そうして、ミーアはにっこにこと笑みを浮かべた。
「わたくしが求めるのは、みなでお腹一杯に食べること。民の、ただの一人でも空腹でいることは許さない。みな、食べて飲んで、楽しく過ごしていただきたいんですの」
その言葉を聞いて、マティアスは、少し驚いたような顔をした。
「毎年、気になっておりましたの。貴族のみなさんは、わたくしのためにたくさんのご馳走を用意してくださいますわ。けれど、とてもとても、わたくし一人では食べきれませんし。お客さま方も、そこまでは食べない。だから、たくさん余ってしまいますわ。でも、そんなの、わたくしちっとも嬉しくなんかありませんの。それよりは、臣民に喜んでもらった方がよほど嬉しいですわ」
そう語るミーアに、皇帝は、うるるっと感動の目を向けていた。
「わたくしは、わたくしのために食料を無駄に捨ててしまうより、みなに食べて、笑顔になってもらいたいですわ。その方がお祭りに相応しいって思うんですの」
「ああ、ミーア。我が娘は、なんと優しいことか……。よぅし! ミーアの気持ちはよくわかった。早速、各貴族に触れを出そう。領民を招き、そこで用意している食事をふるまうように、と。その町に、誰も空腹の者がいないように、広場に宴会の用意をせよ、と」
父の言葉を聞いたミーアは、心の中で快哉を叫んでいた。
――ふふ、上手くいきましたわ。考えてみれば簡単なこと……。無駄に捨ててしまわずに、民の者たちに”食い溜め”をしてもらえばいいのですわ。そうすれば、ちょっとぐらい食料の供給が滞ったところで、なんとかできるはず!
……んなわきゃあない。のではあるけれど、この場所に、読心術の心得がある者が一人もいないのが、不幸なことではあった。
――これは……。
ルードヴィッヒは……、目の前でミーアがやったことを、ある種の感動をもって眺めていた。
貴族たちの無駄遣いについては、ルードヴィッヒも気にはなっていたのだ。
誕生祭において、無駄に捨てられる大量の食料……。ミーアの予言の通り、来年の収穫は減少傾向にある。もしも、本当に飢饉が来るとするならば、食料を無駄にすることが許されてよいはずがない。
けれど……、それを止めるためにどうするのか……というアイデアはルードヴィッヒにはなかった。
実際的に、すでに、宴会のための料理の用意は始まっている。今から節約せよと言ったところで、食材を腐らせてしまい、結局は無駄になってしまうだろう。
それに、ミーアの誕生を祝うこの年末のお祭りは、皇帝が主導して行われるものだ。それに反することはミーア自身でも不可能に違いない。
また、お金を動かすという意味においても、誕生祭は無視できないものだった。各地から商人たちが集まる、この祭りを開く意味は小さくはないのだ。
だから、やむを得ないかと思っていた。
どちらにしろ毎年やっていることだ。無理に変えると混乱が起き、問題も大きいから、現状維持で仕方がないと諦めていたのだ。
それがどうだろう……。ミーアは、いとも簡単に解決策を提示する。
――無駄に捨てさせるよりは、それを民の腹に入れてしまおうとは……。
盛大に金を使い、気前のいいところを見せたい貴族たち……。その願望をしっかりと理解して、方向性を少しだけ変えてやるというミーアの手腕……。その見事さに、ルードヴィッヒはうならざるを得ない。
――なるほど、考えてみれば、節約するように言ったところで、貴族たちは、きっと自分のためにしかその食物を用いないだろう……。
ここで無駄を咎めたところで、その貯えが民のために使われるとは限らない。ならば、いっそ貴族には使わせてしまえば良いのだ。そして、それを無駄とすることなく、民のために使わせれば良い。
ミーア自身が「民が腹いっぱい食べることを望む」と言ったことで、貴族は、ミーアの希望を叶えるべく気前よく料理を用意し、民衆は、美味い料理をたらふく食べることができるというわけだ。
――言うなれば、それは次善の策。飢饉に向けて蓄えておくのが最善であることは変わりはないが……それが無理であればすぐさま次の打開策を打ち出す。相変わらず、ミーアさまの智慧の泉は枯れることを知らないな……。
感心しきりのルードヴィッヒである。実に、いつもの光景であった。
さて、かくして後の世に言う「皇女ミーアの放蕩」と呼ばれる誕生祭は始まった。
ミーア的には「無駄になるぐらいならみんなで食っちまおうぜ!」程度の、軽い思い付きでなされた提案だったが……それは、意外な効果を生み出した。
当初ミーアが考えたような“食い溜め”であるが……、もちろんそんなことはできない。当然のことである。
……でも、記憶は残った。
それは、とても楽しい記憶だった。
民衆にとって貴族とは税を搾り取っていくもの。目に見える形で、なにかをもらうなどということは、ほとんどないことだった。
されど、この時は違ったのだ。
皇女ミーアの名のもとに、帝国臣民はただの一人も漏れることなく宴会へと招かれたのだ。ミーアの誕生を祝うために。
食事と酒が無料でふるまわれた。そうして、彼らには一つの命令が下された。
今日を楽しむように。今日という日を喜び祝うように……と。
それは皇帝からの勅命だった。
当然、逆らうことなどできず、集まった者たちは、仕方なく微妙にひきつった笑みを浮かべて祭りを楽しんだ。
仲が悪い者もいたが、今日のところは仕方ない。文句の一つも言いたいのをこらえ、笑って、皇女の誕生を祝った。
その内、酒が回ってきたのか、一人の男が歌を歌い始めた。陽気なリズムに誘われて、若者たちがダンスを始める。
雰囲気に乗せられた商人が、名を売るためもあって、酒をひと樽だけ供出した。それを見ていた別の商人がそれならばうちは、と、つまみを提供。人々も家に残っていた食べ物を見知らぬ人々にも振る舞い始めた。
そんな賑わいの中に、その日の主役、ミーアを乗せた馬車が通りかかったりした日には、祭りは大いに盛り上がった。
人々の間にあったわだかまりは……、無理矢理に浮かべた笑みの中に溶け、そうして偽物の笑顔は、いつしか本物の、楽しい笑顔へと変わっていった。
それは……不思議な時間だった。
ただの一度も帝国に訪れたことのなかった、奇跡のようなお祭りだった。
なによりそれは楽しい記憶だった。
町民も商人も富む者も富まざる者も、仲の良い者も悪い者も、老いも若きも男も女も、すべての者が一人の少女の誕生を祝ったのだ。
その日のこと、楽しかった記憶は人々の心に深く刻み込まれた。
そしてそれは、苦しい時に人々を照らす希望の灯となった。
皇女ミーアは貴族だけではなく、きちんと自分たちに目を向けてくれる人。
身分に関係なく、自らの宴へと招いてくれる気前のいい、優しい人。
だから、頑張ろうと。
今は苦しいかもしれない。けれど耐えれば、また、あの時の楽しい時間が帰ってくるかもしれない。
それを目指して頑張ろう、と。
皇女ミーアが用意してくれる楽しいひとときを、また、味わうために。
その後、何度か帝国を襲った危機の時にも、人々は士気を失うことはなかった。
今を耐え、今年の終わり、またあの楽しい祭りを味わうために。
いつしかそれは、帝国の新たなる伝統行事となっていくのだが……。
それはまた別のお話なのであった。




