第九十八話 皇女ミーアの放蕩祭り2 ~ミーアの悔恨~
それはミーアが革命軍の手に落ちる半年前の出来事だった。
その日、ミーアは閑散とした宮殿内を歩いていた。各部を眺めながら、ミーアは深々とため息を吐いた。
「あの美しかった白月宮殿が、このように活力を失ってしまうなんて……。考えたこともありませんでしたわ……」
彼女の後に付き従う者はただ一人。メガネの青年文官、ルードヴィッヒ・ヒューイットのみだった。
そのままバルコニーに出たミーアは、そこから帝都の街並みを見下ろしつつ、再び盛大にため息を吐いた。
「帝都も酷い状況ですわね……」
「未来が見えていないことが一番の問題です。大飢饉に疫病、ルールー族との内戦、各地の暴動……。あまりにも絶望が大きすぎて、明るい未来が見えない。みな生きる気力を失い、自暴自棄になっています」
ルードヴィッヒの言葉を聞きながら、ミーアは嘆きの独り言をこぼす。
「なんてことですの……。たった二年前のわたくしの誕生祭の時には、あんなにも食べ物が余っておりましたのに……。捨てるほどあった食べ物は、どこへ消えたというんですの……?」
今や、ミーア自身が食べるのに困るような状況である。腹ペコミーアなのである。
「食べ物が無限に湧き出す壺があるわけではない、と、気付くのが少し遅かったということでしょう」
ルードヴィッヒは呆れ交じりに首を振った。
その事実に気付いている貴族が、もっといれば……このようなことにはならなかったというのに……。
「うう、ぐぬぬ……。食べた物はともかく、よもや無駄に余らせて捨てるなどと……。あっ、あんなもったいないことを、みすみす許してしまうだなんて……。一生の不覚ですわ。ああ、今からでも、あの時に戻って、やめさせたいですわ」
ギリギリと歯ぎしりするミーアに、ルードヴィッヒは小さく肩をすくめた。
「それはどうでしょうか。先のことが分かっていれば、納得するかもしれませんが、誰も、このような飢饉が起きることを知らぬ場にあっては説得できたかどうか……」
「わたくしの命令ですわよ? いったい、誰が逆らうことができまして?」
キッと睨み付けてくるミーアに、ルードヴィッヒは再び首を振った。
「ミーア姫殿下のご生誕を祝うために、最高の用意をせよ……と陛下から勅命が出ておりましたから。いかにミーア姫殿下といえど、分が悪いでしょう?」
と、そこまで言ってから、ルードヴィッヒはわずかに考え込む。
これは、あくまでも雑談。言ってしまえば無駄なIFのお話だ。
けれど、それを通して得られるものもあるかもしれない。正論をぶつけて、ミーアの意見を封殺するなど、詮無き事。それならば、この会話も有意義に使うべきだろう。
ということで……、しばしの沈黙の後、ルードヴィッヒは言った。
「そうですね……。相手の希望していることを真っ向から批判するのではなく、方向性を変えるという程度ならできるかもしれませんが……」
ちらり、とミーアの方を見ながら、彼は言った。
それは、ルードヴィッヒが課す教育の一環だった。
これから先、帝国を立て直そうと思った時、ミーアは幾度も交渉の場につかなければならないだろう。それも、かなり厳しい交渉の場に……。
本来、その手の交渉に姫が出張って行くようなことはあり得ない。どこぞの月省の文官か、宰相か、大物貴族か……。ともかくそれは、姫が為すべきことではない。
しかし、今は平時ではない。
もしも皇女が出て行くことで事態が打開できるのであれば、当然、そうしてもらう必要がある。
そしてミーアは……、なんだかんだ言いつつも、自身が交渉の場に足を運ぶことを厭わない。それ以上に、ミーアは……、一応はルードヴィッヒの言葉に耳を傾け、自分にできる範囲で努力しようとする。その姿勢だけは見せる。一応は……。
だからこそルードヴィッヒとしても、ついついミーアの成長を期待して、教育を施そう、などという気になってしまうのだ。
「ふむ……、なるほど。相手の希望の方向を変える……。それは具体的にはどうすれば……」
腕組みして考え込んでいる……ように見えるミーア。そんなミーアを横目に見つつ、ルードヴィッヒは思った。
――まぁ、あまり意味のある考察とも思えないが、こうして考える癖をつけることは、一応は意味があるだろう。いずれ、この窮地から帝国が立ち直った暁には、もっと頭を使う機会は増えていくだろうし……。
けれど……残念ながら、そんな時は訪れることはなかった。
ルードヴィッヒの配慮も、頭を悩ませたミーアの努力も……、すべては革命の火に焼かれ、断頭台の露と消えるのだから……。
でも……、それでも……。
その日の彼らの会話のすべてが無駄になることはなかった。
その記憶は、今日、馬車の中で黙考するミーアへと、きちんと受け継がれたのだから。
――ふーむ……、なるほど。確かに、その場に際してみて思いますけれど、節約しろとは言い難いですわ。お父さまを説得するのも難しそう。でも……、みすみす食べ物が捨てられるのは避けたいところですわね。なんとかできないものか……。
ミーアは考える。
――余らせない一番の方法はわたくしが食べてしまうこと……。でも、正直、わたくしも、そんなにたくさんは食べられませんし……。ああ、小食の我が身が憎いですわ。
自称小食の姫殿下は必死に考える。考えて、考えて、甘いものが欲しくなってきて、考えて……。
「……相手の希望の方向性を少しだけ変える、か……。ふむ、それならば……」
やがて、一つの答えに至る。
「そうですわ……。気前よくお金を使いたいのでしたら、いっそ……」
と、タイミング良く馬車は、白月宮殿の前に着いた。
「ああ、着きましたわね」
つぶやきつつ、ミーアは後ろの馬車を再び見た。
シュトリナとベルが乗った馬車は、いったん、アンヌの実家の方に行ってもらっていた。
ベルを皇帝に見せるわけにはいかないからだ。
ミーアたちについてきたのは、もう一台の馬車の方。そこには、アベルとシオン、二人の王子が乗っているのだ。
――こうして、帝国までついてきてくださったわけですし、歓待するのが礼儀というもの。頑張らなければなりませんわね。
イエロームーン邸についてきてくれたばかりか、ミーアの誕生祭に出て祝ってくれるという二人を、しっかりと歓迎しなければ……、と。ミーアは気合を入れていた。
……そんなミーアだったから……、予想していなかったのだ。
油断があったのだ。
まさか帝都のど真ん中……、白月宮殿の前に、そんな罠が待っているだなんて……微塵も想像できなかったのだ。
迂闊だったとしか、言いようがないことだった。
それは、今まさにミーアを突き刺す刃となって、彼女の身に迫りつつあった。
次回、ミーア、白月宮殿にて、死す……!
……羞恥心に刺されて。