第九十五話 蛇とはなにか?
「さて……、少し話が逸れました。まだ、ご質問があるのではないですか?」
「……ああ、そうでしたわね」
ローレンツの様子に、ミーアは少しばかり姿勢を正した。
「混沌の蛇について……、あなたの知っていることを、すべて教えていただきたいですわ。蛇とは、どのような組織なのかとか……」
「組織……、ですか」
小さくつぶやき……、ローレンツは、わずかに考え込んだ。
「あら? なにかおかしなことを言ったかしら?」
「そう、ですね……。混沌の蛇を組織と呼んでよいものか……、私には、判断いたしかねるところです……」
「ふむ、ということは、組織ではないということですの?」
首を傾げるミーアに、ローレンツは悩ましげに言った。
「そうですね……それは定義しだいだとは思うのですが……。少なくとも既存の邪教集団のように、まとまってはいないものだ、ということは、同意いただけるかと思います。各々が、各々の計画に従い、行動をしていく。時に協力することはあれど、そこに序列はなく、優劣もなく。ただ、それぞれが一つの方向性を持って動く……」
それから、ローレンツは一つ息を吐き、
「ですから、私は、混沌の蛇を一つの塊ではなく、一つの流れであると……、理解しています」
「流れ……?」
「はい。歴史の中に生まれた一つの流れ……、秩序を破壊し、世界を混沌に陥れる流れ……」
ミーアは、頭の中に川をイメージする。川を構成する水をいくら掬い取っても、流れを止めることはできない。もしも、バルバラやジェムが、水の一滴に過ぎないのだとすれば……、それは徒労に過ぎないのかもしれない。
「話が抽象的になりましたな。具体的な話をいたしますが……、混沌の蛇を構成する人々は主に四つの者たちに分類することができるでしょう」
そう言って、ローレンツは、大皿の上に、自らのそばに置かれていた焼き菓子を置く。上に小さな果実が乗った丸いクッキーだ。
――まぁ、あんなのありましたかしら? タルトに夢中で気づきませんでしたわ。うう、美味しそう……。
真面目な話の連続に、早くも少し前に食べたタルトの糖分を使い果たしてしまったミーアである……って、んなわきゃあない!
それはさておき……、
「まず、私のように、脅されるなどして協力することになった、消極的協力者。次に、混沌の蛇を利用し、利を得ようとする者……、積極的協力者。例えば、初代皇帝陛下は私の見るところ、蛇の教義に共感したわけではない。蛇の教義を利用し、自らの目的を達しようとした、あるいは、蛇と自らの目的とが一致したから協力したか……。いずれにせよ、蛇に積極的に協力しようとする者がおります」
そうして、ローレンツは二つ目のクッキーを置いた。
「ふむ……」
腕組みしつつ、ミーアは頷いた。その視線の先にあったのは、ローレンツが置いたクッキーだ。
今度のものは、糸を編んで作ったメダルのような形をしたクッキーだった。
――なかなか、いい仕事してますわ……。イエロームーン公の家の菓子職人が作ったのかしら?
…………ミーアの脳みそが甘いものを欲しているから、仕方のないことなのだ。そう、ミーアの脳みそが悪いのだ!
「さらに、蛇の教義に共感して主体的に行動する、いわゆる信者と呼ばれる者たちがおります。バルバラが連れてきた男たちは、恐らく信者たちでしょう」
ローレンツは三つ目のクッキーを置いた。今度のものは、全体に白い粉がかかった、まるで雪でデコレーションが施されたかのようなものだった。
見たことのないクッキーに、ミーアは興味津々だ!
――ああ、いけませんわ。話に集中しなければ……。えーっと、信者、そう、蛇の信者の話でしたわね?
「そして……」
と、ローレンツは、一度言葉を切り、最後のクッキーを手に取った。
それは、葉っぱの形をした、大きめのクッキーだった。
――まぁ……あのクッキー……、素晴らしいできですわ。見た目で楽しませ、舌をも楽しませるなんて、職人の鑑ですわね……。あ、そうですわ。馬型のクッキーとか、もしかして作れたりするのかしら? あるいはキノコ型の……、ああ、そうですわ。キノコの下の部分はクッキーで作って、上の傘の部分はジャムかなにかでデコレーションをしたら……。
なにか、ロングヒットしてしまいそうな新しいお菓子のアイデアが生まれそうになったところで、ミーアはぶんぶん、っと首を振った。
――今は、混沌の蛇の話ですわ! 集中、集中……えーっと、蛇型のクッキーがどうなったんでしたっけ?
内心で、甘いものの誘惑との闘いを繰り広げるミーアをよそに、ローレンツは言った。
「蛇の教義、すなわち『地を這うモノの書』を教え広める者、蛇導士と呼ばれる者たちがおります」
ローレンツは、その葉っぱの形のクッキーをお皿に置いた。お皿の上に置かれた美味しそうな四個のクッキーにミーアが目を奪われていると……その目の前で……、ローレンツはクッキーをむんずっと掴み、ひょいひょいひょい、っと自分の口に入れてしまった。
むぐむぐっとクッキーを頬張り、美味しそうに笑みを浮かべるローレンツ。
じっくりと味わって食べてから、
「ふふふ、やはりクッキーは、チマチマ食べていてはいけません。こうして、一度に頬張ると、とても幸せな気持ちになれるのですよ」
満足げに言った。さすがは、ベテランFNYリストである。
「……あぁっ」
悲しげな声を上げて、ミーアはしょんぼり肩を落として、黙り込んだ。
――うぅ、あれ、食べてみたかったですわ……。
「蛇導士……。それが、蛇の本体と考えてもよろしいのですか?」
ミーアが思索にふけっていると見たのか、隣からルードヴィッヒが言った。
「いや、そうではないな。ルードヴィッヒ殿。本体はあくまでも、人々の底に流れるもの、その人々を結び付けているものであると、私は考えている」
「それは……?」
「それこそが……、蛇の聖典……、地を這うモノの書だ」