第九十三話 イエロームーン公爵との会談
なだれ込むようにして入ってきた皇女専属近衛隊の者たちによって、イエロームーン公爵邸は制圧された。
といっても、内部にいた蛇の息のかかった者たちはディオンの手によって昏倒。人数自体もさほどおらず、恐らくは、玉砕を決めていたバルバラが、大部分を先に逃がしていたのだろう。
「蛇には蛇の論理がある……、そういうことかしら」
てっきり捨て駒にしてでも逃げると思っていたのだが、少し意外に感じるミーアである。
そうして混乱も収まった頃、ミーアはローレンツの部屋に招かれた。
「蛇に関連することとはいえ、帝国の内政に深くかかわることだ。我々はとりあえず遠慮しておこう」
シオンの言葉に、アベルも頷く。
「そうだね。シュトリナ嬢とベルくんのところにも、誰かがついていた方がいいだろうから、ボクたちは、そちらに行っているよ」
そうしてミーアは、シオンとアベル、キースウッド、それにモニカと別れる。
「ふむ……、では、一緒に行くのはアンヌとルードヴィッヒ、ディオンさんですわね」
頭脳担当のルードヴィッヒはともかく、ディオンに後ろに立たれるのはいささか不安なミーアである。かといって、護衛を連れて行かないわけにもいかず……。
ミーアとしては、せめてアンヌに精神的安定を委ねたいところであった。
と、ミーアの視線を受けたアンヌは……、
「お任せください、ミーアさま。私がついています」
ドンっと胸を叩くアンヌ。
どうやら、ミーアに連れて行ってもらうことが嬉しくて、張り切ってしまっているらしい。
それを見て、ミーアは苦笑しつつ、
「ええ、頼りにしておりますわ。ルードヴィッヒにディオンさんも……、お願いしますわね。アンヌが無茶をしそうになったら、きちんと止めてくださいませね」
「なっ! ミーアさま、ひどい」
などと、アンヌとキャッキャしつつ、ミーアはローレンツの部屋に入った。
「ほう……」
入って早々に、ミーアは鼻をひくひくさせた。
鼻先をくすぐるのは、甘くて、香ばしい匂い。それは……。
――紅茶と、それに……焼き菓子……。それも、あのテーブルの上のものがそうですわね……。わたくしの目に狂いがなければ、あれは間違いなくペルージャン産のアップルを使ったタルトですわ……。
ミーアは、静かにローレンツの顔を見てつぶやく。
「……ふむ……この男……、できる!」
瞬間的にミーアは相手の力を見抜いたのだ! そう、相手の……スイーツ力を……。
どうでもいい能力であった。
「お呼び立てしてしまい、申し訳ありません。ミーア姫殿下……。ですが、此度のことについて……、どうしても、お話ししなければと……」
立ち上がり、頭を深々と下げるローレンツに、ミーアは首を振る。
「形式ばった挨拶は不要。わたくしの方でも聞きたいことがありましたし、好都合でしたわ」
そう言いつつ、ミーアの瞳に映るのは、まだ、かすかに湯気の立つ焼き立てのタルトだ。
――あれは、焼き立てが美味しいんですのよね……。ああ、早く、食べたい。
ごくり、と喉を鳴らすミーア。
なにかに追い立てられるようにさっさと椅子に座り、それから笑みを浮かべて、ミーアは言った。
「ああ、それと、先に言っておきますけれど、リーナさんが、わたくしを罠にはめようとした件、それも不問と致しますわ。お父さまに知られると後々で面倒なことになるでしょうから、あなたも余計なことを言わないように。いいですわね?」
自身が命の危機に晒された、などと知られたらどんなことになるか……。容易に想像できてしまうミーアである。
それはそれは、面倒臭いことになるだろう。であれば早めに可能性を潰しておくに越したことはない。それよりなにより今は、タルトだ。タルトを体が欲している。
今日のミーアはただのキノコプリンセスではない。スイーツプリンセスキノコミーア……スイーツプリキノアなのだ!
あっさりと言い放ったミーアに、感動のまなざしを向けたローレンツは……、
「ありがたき幸せに、ございます……」
わずかに声を震わせながら言った。
さて、改めて、ローレンツとミーアは、テーブルを挟んで対面に座る。その目の前で、ビセットがタルトを切り分ける。
サクっと音を立てて、生地が切り分けられていく。
甘いバターの香り、そこに、アップルの鮮烈な匂いが加わり、湯気に乗って、ミーアの鼻先をくすぐる。
口の中にたまってきた唾を、ごっくんと飲み込み……、ミーアはタルトが切り分けられていくのをジッと凝視していた。
それはもう、目力だけで穴が開いてしまいそうなほどに熱心に熱心に……見つめる。
甘いものへの渇望から、その手は小さく震えていた。
それを見て、ミーアは苦笑する。
――思えば、急いでヴェールガから戻ってきたから、甘いものなんか全然食べておりませんでしたわね……。
しかも、先ほどは、予期せぬ頭脳労働を強いられたのである。
ミーアの中の甘いもの成分は今、枯渇の危機にあるのだ! 大変なことである。
ことり、と……、目の前にタルトの乗ったお皿が置かれる。それをミーアは、急いでパクリと頬張った。
サクッサクという歯ごたえを楽しみながら、口の中でモグモグする。と、舌の上に広がるのは、思わず頬がほころびそうになる、ふわふわした甘みだ。下手をすると少ししつこくなりそうな、その濃密な甘みを、最後に、アップルの酸味が洗い流していく。
一口食べただけで、至福の時を迎えたミーアは、
「んーっ! やはり、ペルージャンの果物は最高ですわね!」
思わず、満面の笑みで口走った。
そんなミーアを見て、執事のビセットが驚いた顔をした。
「……あの、よろしかったのですか? 毒見もなさらずに、食べてしまって……。私が言うのもどうかと思いますが、ここは、つい先ほどまで敵地であったのでは?」
その問いに、ミーアはきょとん、と首を傾げた。
「はて? なにを言っておりますの? 毒を入れるなどと……、そのようなことをして、どんな意味が? こんなに美味しいタルトをつぶしてまで、することのようにも思えませんわね……」
そんなもったいないことするはずがない、と断言するミーアである。
……今のミーアは……、甘いもの欠乏症によって、いささか冷静さを欠いていた。
ぶっちゃけた話、ケーキ一個で城を売り払ってしまっても構わない気分なのである。
ケーキは城よりも重し、なのだ。重症である。
「しかし、驚きましたわ。あなたが、元風鴉の方だったなんて……。先ほどの、蛇を欺いた手腕、なかなかでしたわ」
美味しいタルトを食べられたことで、上機嫌なミーアである。
そんなミーアの称賛に、ビセットは穏やかな笑みを浮かべた。
「恐縮にございます。ミーア姫殿下……」
と、そこで、ルードヴィッヒが話しかけてきた。
「申し訳ありません。ミーア姫殿下。本来であれば、イエロームーン公爵から連絡を受けた時点で、お知らせするべきでした。しかし……」
「いえ、ルードヴィッヒ殿は、なにも悪くはありません。ミーア姫殿下。私がお願いしたのです。ミーア姫殿下のお人柄を見るために……。我が、イエロームーン家にとっては死活問題でしたから……。試すような真似をしてしまい、申し訳ありません」
深々と頭を下げるローレンツ。それに合わせるようにルードヴィッヒも頭を下げる。
「イエロームーン公はミーアさまの素のお人柄が見たいと、そのように願っておられました。自分たちの企みを知らないままに、ミーア姫殿下が味方をしてくれるかどうか、ということを知りたかったのです。ですから、イエロームーン公の信頼を得るために迂闊なことは言えなかったのです。なにしろ、ミーアさまは、一を聞いて十の情報を得、百の未来を読まれる方ですから」
「ふむ……まぁ、そういうことであれば仕方ありませんわ」
偉そうに頷くミーアである。褒められるのは嫌いではないのだ。
実際には、一を聞いて、〇、五ぐらいの情報を得て、甘いものが欲しくなるミーアであるから……、ぶっちゃけ聞かされてもなぁ……、というところでもあるのだが。
ともあれ……、
「しかし、もはや隠し立てする必要もなくなったはずですわ。改めて、ローレンツ・エトワ・イエロームーン公爵、話していただこうかしら……」
聞きたいことは無数にある。
蛇のこと、イエロームーン公爵家のこと。帝国の裏で、今まで一体なにが起こってきたのか……。
「そうですね……。なにからお話ししましょうか……」
ローレンツは少しばかり考え込んでから、深々と頷いた。
「……では、我々、イエロームーン公爵家と初代皇帝陛下との盟約の話から……」