第三十五話 ミーアの特技
ご存じだろうか?
化粧しないで美人なのが一番、着飾らない素のままの可愛さこそ貴重……。
うぶで純粋で、ちょっとおバカな男子の間には、こんな価値基準が存在しているということを。
それは、確かにそうなのかもしれない。オシャレしなくっても化粧をしなくても、美しく、可愛らしく、魅力を放つことができる。
それができるなら、それに越したことはない。
……まったく、着飾る側の女子からすると、ふざけんな! と言ってやりたくなるような価値観ではあるのだが……、けれど残念なことに、さながら信仰のごとく敬虔に、男子はこの価値観を、胸に大事に抱いているのだ。
そして、その傾向は、オシャレにお金をかけられない庶民より、普段から着飾った女性に囲まれている貴族の子弟に、より強く現れる。
アベル・レムノもまた、そんな価値観に毒された一人だった。
――あれは、本当に現実のことだったのか?
ミーアを待つ間、アベルは不安をおぼえていた。
すべて夢だったのではないだろうかと、そう感じてしまうほどに、あの日の出来事は現実感がなかった。
まさか、大国ティアムーン帝国の姫君と、ダンスパートナーになるとは……。とてもではないが、信じられなかったのだ。
だから、現れたミーアが、夢幻の中の存在のように可愛かったから、その気持ちは強くなった。
――なんと、美しい……。
会場の、ほのかな明かりに照らされたミーアは、まるで月の女神のように美しく見えたのだ。
俗に言う夜目遠目、というやつである。
――彼女と、ダンスをする? 本当に、夢なんじゃないか?
そんなことを思っていたから、みなの視線を一身に集めたミーアがやってきて、
「申し訳ありません、アベル王子」
突然に謝った時、てっきりパートナーを断られるのだと思った。
――まぁ、当たり前だろう。彼女と釣り合うのはやっぱりシオン王子だろうしな。
残念に思う反面、ほんの少しだけホッとして、思わず軽口が出る。
「いや、別に構わないよ。君は、とても美しいから」
ボクなんかには、もったいない。どうぞシオン王子のもとに行ってください、と、言外に込めて伝えると、ミーアは小さな胸に手を当てて、ホッと安堵の吐息をこぼして。
「ありがとうございます、アベル王子。あなたは、お優しい方ですわね」
それから、なぜか、アベルの右手を、小さな両手でつかむと、
「では、いきましょう」
「……は?」
ダンス会場の中央に誘った。
ミーアは張り切っていた。
予定していたオシャレができなかったのだ。にもかかわらず、アベルは優しく微笑んで、しかも、気を使って美しいと言ってくれたのだ。
――さすが、アベル王子は紳士ですわ。ドレスのこと、なにも言わないなんて。
けれど、いつまでもそれに甘えてばかりはいられない。ここでなんとしてでも、挽回しなければ……。
幼き日より、帝国皇女として、帝王教育を施されてきたミーア。ではあったが、実際のところ、その成績はあまり芳しくない。
転生以降は、自分なりに頑張っては来たのだが、それでも、せいぜい平均よりややマシといった程度だった。
そんなミーアであるが、ただ一つだけ、ほかの誰にも負けない特技があった。
それこそが、社交ダンスである。
ミーアのダンステクニックは、文句なく超一流。
それは、彼女自身が美しく踊れる、などといった独りよがりの技術ではない。きちんと踊る相手の実力を把握して、それに合わせて気持ちよく躍らせる、いわゆる接待ダンスができるほどなのだ。
そんなミーア自慢の技能ではあるのだが、前の時間軸では、ただの一度も披露されることはなかった。
一年生最初の、新入生歓迎ダンスパーティーで、ことごとく踊りの誘いを断ってボッチを貫いた結果、ダンス嫌いなのではないか? との認識を周囲に植えつけてしまったのだ。
以降、ミーアはただの一度もダンスに誘われることはなく、とてもとても寂しい思いをしていたのだ。
――今こそ、わたくしのテクニックを披露する時ですわ!
アベルの手を優しく引いて、ミーアは微笑みを浮かべる。
「さ、踊りましょう、アベル王子」
「なっ、わっ!」
戸惑った様子のアベルだったが、すぐに、ダンスのステップを踏み始める。
――ふむ、なかなか。筋は悪くないようですわね。
ミーアは目の前で懸命に踊るアベルを見て、満足げにうなずく。
ステップにぎこちなさを感じるが、これはダンスに慣れていないというよりは、万に一つもミーアの足を踏まないように気を使いすぎているからのようだった。
――レディの足を踏まないようにするのは、最低限のマナーですものね。上手に踊ることに気を取られて、相手を気遣えないよりずっといいですわ。もっとも、相手がわたくしである場合には無用の心配ではございますが……。
なにしろ、ミーアは足を踏まれない。
ミーアのダンス技能は、そんなレベルにはないのだ。
――これは鍛えがいがありそうですわ!
そんなことを思いながら、ミーアは、アベルよりほんの少し上手にステップを踏む。ついてこれなくもないが、ついていくのが大変な、踊り終わった時に技術が上がるようなレベルのステップを。




