第八十八話 恣意的断罪女帝ミーア、ここに降臨……しなかった
「断罪? なにを言っておりますの? そのお二人を、どうなさるおつもりですの?」
ミーアの問いかけに、バルバラは楽しそうに笑みを浮かべた。
「どうもいたしませんよ、ええ。私は」
「断罪とはね。盗人猛々しいとはこのことだな」
睨むアベルに、バルバラは小さく肩をすくめた。
「ええ、これが終わればご自由に、あなた方の裁きでもなんでも受けましょう。アベル王子。けれど、この場所は生憎と、この私めの裁きの場ではございません」
そう言って、バルバラは、シュトリナの後ろに立つと、ぽんとその肩に手を置いた。
「今、この場で裁かれるのは、この、呪われしイエロームーン家の者たちです」
「呪われし、イエロームーン家……」
ミーアは先ほど、目の当たりにした歴代の当主たちのことを思い出していた。
「すでにミーア姫殿下におかれましては、ご存知のことでしょうが、かのイエロームーン公爵家の者たちは、帝国内にて暗躍、無数の要人の暗殺を為し、数多の貴族の家を根絶やしにしてきたのです」
「それは……っ! くっ……」
なにかを言おうとしたローレンツの首筋に、背後に立っていた男の刃が食い込む。その発言を封じ込めようとしたようだったが……、その言葉を引き継ぐように、代わりに口を開いたのは、ルードヴィッヒだった。
「それは、ティアムーン帝国の邪魔になる者たちを葬っただけのこと。国が国として成長していく過程では権力闘争を避けることができない。であれば、イエロームーン公爵家のしてきたことは、褒められたことではないにしろ、裁かれることでもないのではないか?」
メガネの位置を直しつつ、ルードヴィッヒが指摘する。
――そう言えば、ルードヴィッヒからの手紙に、そんな疑惑が書いてありましたっけ……。
などと、ミーアが思っている間に、バルバラは困ったように微笑んだ。
「なるほど、国を建て上げるためであれば、その罪は許容されうるものかもしれませんが……、この父娘は蛇。混沌の蛇の意を受けて、いくつかの暗殺を行っておりますよ」
頬に手を当てて、バルバラは言った。
「例えばそう、広大な農地を持つ辺土貴族の当主を特製の毒で殺害、一家を離散させ、その土地をイエロームーン家のものとしたり……、あるいは、我ら蛇の狙いに気付いた貴族を毒で血祭りにあげたこともありました。ああ……」
と、そこで、バルバラは手を叩いた。
「そう言えば、お嬢さまが、お友だちを手にかけること、今回がはじめてのことではありませんでしたね」
それを聞き、シュトリナは灰色の瞳を見開いた。
「や、やめて、バルバラ」
立ち上がりかけてシュトリナを、けれど、近くにいた男が押さえつける。
それでも、それを振り払い、
「やめて、ベルちゃんには、言わないで」
悲痛な声を上げるシュトリナ。それを見たバルバラは、嗜虐的な笑みを浮かべて言った。
「人好きのするその笑顔で仲良くなって、その家族に取り入って、毒で殺したこともありました……。お友だち本人のお飲み物に入れたこともございましたっけ?」
「あっ……」
シュトリナは、へなへな、とその場に座り込み、両手で耳を塞いだ。
もう聞きたくない、というように、頭を小さく振る。
「ふふ、ご存知ですか? イエロームーン公爵家は、たくさんの毒の知識をお持ちで。私めでは、とても太刀打ちできぬほどの毒の知識を、お館さまはお持ちなのですよ」
それから、バルバラは改めて、ミーアたちに向き直る。
「さぁ、公正で、正義を重んじる王侯貴族のみなさま方、ご覧ください。ここに裁かれるべき悪がおります。そして帝国の叡智、ミーア姫殿下……、さぁ、どうぞ、この悪をお裁きください」
「それは……」
「それとも、ミーア姫殿下、まさかと思いますが、この父娘を赦されるおつもりですか?」
こぼれんばかりの笑みを浮かべて、バルバラは言った。
「まぁ、それもいいでしょう。王族だとか帝室だとか、人の上に立たれる方には力がありますから。正しい訴えを握りつぶすことも簡単でしょう。けれど、いいのですか? それで……ねぇ、シオン殿下?」
バルバラは、ミーアの後ろに立つシオンに目を向けた。
「王は公正たれ。サンクランド王国の家訓ではありませんか? 権力を持った者は、清く正しくなければならない。それなのに、ただ、皇女と親しかったから赦免されるなどという事態、あなたは見過ごすのですか?」
その物言いに、シオンはムッとした顔をする。構わず、バルバラは言った。
「聖女ラフィーナはどう思うでしょう? かつて友を殺したこの娘を、友の家を潰すことに加担したこの娘を、友の親を殺すことに協力したこの娘を、無罪放免にすることを、かの聖女が良しとするでしょうか?」
それこそが、毒蛇、バルバラの猛毒だった。
シュトリナとローレンツを”ミーア自身の手によって断罪させる”こと。
あるいは、”断罪しないという判断をさせる”こと。
もし仮に、ミーアが二人に罪を問うた場合……、それは正義の行いと言えるだろう。
けれど……、あれほど仲良くしていたシュトリナを殺すようなことがあっては、ベルとの関係は悪化するだろうし、他の生徒会のメンバーも、ミーアに対して複雑な想いを抱くことだろう。
それはミーアの心に、必ずや傷を穿ち、仲間たちとの絆に亀裂を生じさせるはずだった。
では、イエロームーン家を許した場合はどうか?
正義と公正を重んじるシオンや、神の教えを説くラフィーナは……、このようなイエロームーン家を、裁かないことを潔しとはしない。ゆえに、裁かないという判断を下したミーアとの間に不和を生じるだろう。
あるいは、それは小さな傷かもしれない。取るに足りない些細なひずみにすぎないかもしれない。けれど……、それは、やはり明確な傷でひずみなのだ。
そして……蛇はその隙を見逃さない。
仮にバルバラがここで捕まったとしても、他の混沌の蛇の者がその傷を突き、えぐり、ミーアの仲間たちの絆を破壊するだろう。
それは、聖夜祭の毒殺テロによって、聖女ラフィーナを責め苛み、秩序を破壊する司教帝として、蛇の手先に仕立て上げたのと同じ流れを持った思考だ。殺して排除できないのであれば、その心を責めて、歪めてしまえばいい。秩序の破壊者として、自分たちの手先として利用できるかもしれない。
それは、気づかぬ内に体を蝕み、歪め、ついにはその者を死に至らしめる毒。
そんな狡猾な、一匹の老蛇を前にして、ミーアは……、
――先ほどから、リーナさんに対して、少し無礼が過ぎるのではないかしら?
ちょっぴり腹を立てていた……。
シュトリナをいじめるバルバラに対して……。
そうなのだ、ミーアは……、目の前に倒れている者がいたら、放っておけないタチなのだ。
バルバラがなんと言おうと、ミーアの目に映るシュトリナの姿は、恐ろしい暗殺者ではなかった。弱々しく膝をつく、哀れな子どもだった。
ゆえに、ミーアは思う。
――たぶん、あのご様子ですと、リーナさんも好き好んで悪事を働いていたのではないはずですわ……。
なんと言っても、シュトリナとは同じキノコを採りに行った仲間。共に馬の出産に立ち会った仲。
いわば、茸馬の友なのである。
――リーナさん自身は、きっとそこまで悪い方ではないはず。バルバラさんに脅されてやったに違いありませんわ。これならば、目の前でいじめられていた子を助けただけ、とラフィーナさまを納得させることだってできるのではないかしら?
それは理屈としては、かなりの力業だったが……構うこたぁなかった。
なにしろ、今のミーアは完全無欠の部外者である。
若干、判断ミスしたとしても、一番悪いのはバルバラだし、いざとなればイエロームーン公爵もいる。責任なんかいくらでも押し付けられるのだ。なにせ、完全に部外者だからっ!
ふんすっ、と鼻息を荒くするミーアである。そう! 今のミーアは、恣意的断罪女帝ミーアなのである! 他人事だから、好き勝手言えてしまうのである。
――ふふん、なにか言ってるみたいですけど、このわたくしが、蹴り飛ばしてやりますわ!
強気な断罪皇女ミーアが、今まさに、ここに降臨しかけた……その時!
「お待ちいただきたい。ミーア姫殿下」
不意にローレンツ・エトワ・イエロームーンが口を開いた。
……そして、流れが、変わった!
竹馬の友
茸馬の友