第八十七話 バルバラの罠
「到着いたしました。どうぞ、姫殿下」
ミーアたちを乗せた馬車は、ごく普通に領都≪フォレジョーヌ≫に入った。
領都に入る時に、番兵に止められるということはあったものの、それ以外には、なんの障害に遭うこともなく、一行は町の中心、イエロームーン公爵邸に辿り着いた。
「てっきり、なんらかの足止めに遭うものかと思っていたが、それすらもないとは……」
「不気味だな。ますます、罠を張っていそうな雰囲気だね」
などと、警戒を怠らない二人の王子たち。
それを見て、ミーアも少々不安になる。
――ふむ……、確かに、不穏な感じはいたしますわね……。しかし、不穏な場所に必ず現れる、あの方はいないのかしら?
きょときょとと、辺りを見回していると……、
「ディオン殿には、ほかの任務を担っていただいています」
ルードヴィッヒが言った。
「まぁ、そうなんですの……。ふむ……」
正直、ディオンなしで、イエロームーン公爵のもとを訪れるのは、いささか不安が残るところではあったが……。
「へへへ、まぁ、ディオン隊長がいないと不安ってのはわかりますがね。きっちりと俺らで守りますんで、信用してもらっていいですぜ」
合流した皇女専属近衛隊の隊長、バノスが、豪快な笑みを浮かべた。
「……そうでしたわね。ええ、頼りにさせていただきますわ」
ミーアは、小さく頷く。が、すぐに付け足すように言った。
「ですけれど、自分の命を粗末にしてはいけませんわよ。例えわたくしのためであっても、軽々に命を投げ出すようなことは、しないでいただきたいですわ」
言いながら、ミーアが思い出すのは、赤い髪の公爵令嬢のことだ。
――この方がわたくしのために死んでしまったりしたら、ルヴィさんがものすごく怒りそうですし……、それは避けたいところですわ。
「わかってますぜ。ミーア姫殿下の兵に、無駄に命を捨てようなんてやつは、一人だっていやしませんや」
そう言って笑うバノスだったが、ミーアは若干の不安を隠しきれずにいた。
――うーん、バノスさんって、いかにもわたくしの盾になって死んでしまいそうなんですのよね。こういう時、ディオンさんがいれば、一人で大暴れして平気な顔して帰って来てくれますのに。
ため息を吐きつつ、ミーアは公爵邸の方に目を向ける。と、タイミング良く、人が出てくるのが見えた。
「なっ……!」
思わず、ミーアは目を疑う。現れた人物、それは……。
「ようこそおいでくださいました。ミーア姫殿下。お館さまと、シュトリナお嬢さまがお待ちです」
慇懃無礼に頭を下げたのは、イエロームーン公爵家のメイド……、バルバラだった。
二人の王子たちが一斉に剣に手をかける。
「よくもぬけぬけと出てくることができたものだな」
叩き付けられた鋭い言葉を聞いても、バルバラは、特に気にした様子もなく微笑んでいた。
「王子殿下、もしもシュトリナお嬢さまを無事に帰してほしいのでしたら、どうぞ、ここから先は節度を守って行動していただけるように、お願いいたします」
「武器を捨てろ、とでも言うつもりか?」
シオンの鋭い視線を受けても、バルバラは落ち着いた様子で首を振った。
「まさか、王族の方にそのようなことは申しません。どうぞ、帯剣したまま、お入りください。剣を持つは王者の権利。自身の思うままに、反抗する者を斬り殺す、それが王族という者ではありませんか?」
馬鹿にするように笑うバルバラをシオンが静かに見つめ返す。
「王が剣を振るうは悪に対する時のみ。お前のような、な」
「おお、左様でございますか。さすがは、正義と公正を旨とするシオン殿下。であれば、ふふふ、私も悪人らしく申し上げましょうか? その剣、おいそれとは抜かぬことです。シュトリナお嬢さまを無傷で取り戻したくばね」
ねっとりと絡みつくような視線をシオンに向け、そのまま、アベル、キースウッドを見つめてから、バルバラは言った。
「それでは、どうぞ、お入りください。くれぐれも、我がイエロームーン公爵家のお客さまに相応しく、節度を持った態度でいらっしゃいますように」
どこまでも丁寧に、けれど、その端々に嘲笑を滲ませながら、バルバラは踵を返した。
あっさりと屋敷へと迎え入れた敵に困惑しつつも、ミーアたちはその後を追った。
屋敷の中は、大貴族の屋敷に相応しくなく、質素な造りをしていた。広い廊下には誰のものかはわからない肖像画が無数に並べられている。
――なんだか、こう、地味なおじさんの絵が多いですわね……。実になんとも、パッとしない絵ですわ。
などと思っていると、ミーアの視線に気づいたのか、バルバラが口を開いた。
「歴代のイエロームーン家のご当主さまにございます。ティアムーン帝国を裏で支えた、呪われた血筋の者たちですよ」
「ほう、そうなんですのね……。なるほど」
ミーアはうむうむ、と頷きつつ、
――確かに、冷酷そうな方が多いですわ!
そんなことを思った。
……影響されやすいタイプなのである。
やがて、廊下を抜けた先に見えてきたのは、広い中庭だった。
豊かに植物が茂った庭園、その奥にいたのは……、
「あっ……あれは」
仮面を付けた三人の男たち、その前に膝をつき、首筋に刃を当てられた身なりのいい壮年の男……、それにもう一人、その隣に座り込んでいる少女は……。
「リーナちゃんっ!」
ベルが声を上げる。
っと、うつむいていた少女、シュトリナはゆっくりを顔を上げた。
ベルの方に顔を向け、可憐な笑みを浮かべる、と思われた瞬間、くしゃり、とその笑みが崩れる。
「……ベル、ちゃん」
今にも泣きだしそうな顔をするシュトリナ。そんな少女のもとに、ゆっくりと歩み寄ってから、バルバラは振り向いて言った。
「さて……、それでは始めましょうか。イエロームーン公爵家の断罪の時間を……」