第八十四話 ミーアパンデミック!~モニカ、恐ろしいことに気付く!~
「話を戻します。ミーア姫殿下に対し暗殺を謀った、シュトリナ・エトワ・イエロームーン、およびその従者バルバラと、オオカミを連れた暗殺者、その三名の足取りなのですが……、どうやら、サンクランド方面へと逃走を図ったようです。そこで、警戒に当たっていたサンクランドの騎兵隊と遭遇したとの情報が入っています」
「ほう。我が国にか……。しかし、警戒に当たっていたというのは、どういうことだ……」
怪訝そうな顔でつぶやくシオンに、モニカは小さく笑みを浮かべて見せた。
「実は、オオカミを連れた暗殺者についてですが、事前にルードヴィッヒ殿から連絡を受けていました」
――あら、ルードヴィッヒが?
と、そこで、ミーアは思い出す
――ああ そう言えば、ルードヴィッヒから、報告を受けていたような……。帝国内で命を狙われたとかなんとか。
脳裏に、ルードヴィッヒの几帳面な文字が甦る。
確か、あの手紙には、オオカミを使う暗殺者のことも書いてあったはず……、などと今にして思うミーアである。
なにしろ、秋からのミーアは、聖夜祭の暗殺事件に気を取られていたため、細かなことにまで気を使ってはいられなかったのだ。
――ああ、失敗しましたわ。もし、敵がオオカミを使うと知っていたら、骨付き肉の一本も持っていきましたのに……。
ミーアの頭の中に、敵のオオカミを骨付き肉一つで翻弄する自身の姿が思い浮かんだ。
『ほら、いきますわよ! ちゃんととってくるんですわよー!』
などと……、とても楽しい空想だった!
「さらに聖夜祭の前日、ルードヴィッヒ殿から緊急の連絡を受けたのです。そのオオカミを連れた暗殺者が、ヴェールガ公国を経由して、サンクランド王国の辺境地帯に向かう、と」
「ふむ……、そちらに関しては聞いておりませんわね。ルードヴィッヒには、イエロームーン公爵家と混沌の蛇とのかかわりを探らせておりましたから、その一環での行動であれば、特にわたくしがどうこう言うことでもありませんけれど……」
「そうでしたか。恐らく、緊急性の高いものだったからでしょう。我々に届いたものは、伝書鳥を用いた極めて簡易な文書でした。逃亡ルートと、兵の配置に関するもので……」
ティアムーン帝国とヴェールガ公国とは、そこまで離れてはいない。けれど、通常、ミーアがやるような、手紙を馬で運ばせるやり取りでは、数日単位で時間が必要になる。対して、伝書鳥などを用いた連絡であれば、短時間で情報のやり取りができるのだ。
だから、ミーアのところに報告が来ていないのも無理からぬこと……。そう、モニカは言いたいのだろう。
実際のところ、ミーアは、ルードヴィッヒの行動に制限をかけたことはない。
「良きイエスマンであれ」と自らに任じているミーアにとって、ルードヴィッヒは理想的な家臣である。意見を言うなど、とんでもない! ミーアの返事は「イエス」か「いいね!」しかないのである。
――ああ、それにしても、いつも通り、ルードヴィッヒに任せておくと間違いがありませんわね。この安定感、さすがですわ。
ミーアは満足げな笑みを浮かべた。
――やっぱり、さすがね、ミーア姫殿下は……。
報告をしつつ、モニカは感心していた。
普通、頭のいい権力者であればあるほど、部下の行動をしっかりと把握しておきたいもの。ゆえに、部下の独断専行は嫌われるものなのだ。
にもかかわらず、ミーアの満足げな顔はどうだ。部下を信頼するのと同時に、もしも失敗があったとしても、自身が挽回できるという絶対の自信がなければできないことだ。
モニカは改めて、ミーアを見直しつつ、説明を続ける。
「ルードヴィッヒ殿からの連絡を受け、本国に連絡を取りました」
サンクランド王国の諜報機関「風鴉」は、レムノ王国での事件以来、表向きは活動していないことになっている。白鴉を切り離し、組織の再編の最中だということだが……、けれど、まぁ、それはそれ……。
必要最低限の者たちは当然動いているし、緊急の事態にも対処できるようになっていた。
モニカも、風鴉の者たちが受け取ってくれることを期待して、連絡を送ったのだが、動きは迅速だった。
詳しい事情を問うことなく、即応できる騎兵を動員してくれたのだ。
「ルードヴィッヒ殿の指示に従い待ち伏せをかけたのですが、作戦は成功。敵を罠にかけることができました」
「え? それでは……!」
期待に満ちた目で、ベルが見つめてくる。けれど、モニカは小さく首を振った。
「残念ですが、捕縛には至っておりません。狼使いの方は包囲網をすり抜けて、どこかに姿をくらませ、イエロームーン公爵令嬢、および下手人のバルバラを乗せた馬車は、ヴェールガ方面に転進。その後、ティアムーン帝国、イエロームーン公爵領へと向かったようです」
「実家へ帰った、と……? だが、そんな愚かなことをするだろうか?」
不思議そうな顔をするアベルに、モニカは笑みを浮かべた。
「ルードヴィッヒ殿の指示を元に誘導いたしました。完全な包囲を敷いてしまうと、かえって危険と、あえて、帝国への脱出路の包囲を薄くしていました」
モニカの言葉に、アベルは頷いた。
「そうか。確かに、あの男を死兵にしてしまうのは、避けたいところだな」
「はい。死兵、死を覚悟した兵は、恐ろしい力を発揮するもの……。その暗殺者が実力者であるならば、不用意に追い詰めるのは危険です。もっとも、警戒に当たっていた騎兵たちでは、追い詰めるまでいかなかったようですが……」
それでも意味はあった。
狼使い一人であれば、突破できる程度の包囲。それが、今回は功を奏したのだ。
敵を分断し、その上で、取り戻したい人物……、シュトリナを手の届くところまで引き寄せることができたのだから。
そこまで考えて……、モニカは恐ろしいことに気が付いた。
――これ……、あの時と同じだ。レムノ王国の時と……。
かつて、レムノ王国において、白鴉のグレアムのもとにいたモニカは、知っている。
白鴉の企みの、そのことごとくを破壊し、いつの間にやら自分に都合の良い結果をかすめ取っていった、帝国の叡智のことを……。
たとえば……、もしも、今回の暗殺未遂事件が起こらなかった場合、ルードヴィッヒの送ってきた指示は失敗だったことになる。帝国からやってきた暗殺者は、死兵になることなく、包囲網を楽々と突破して逃げたことだろう。
けれど……、そうはならなかった。ミーアは望む結果を、きちんと手にしている。
もしかして、ミーアは……、すべて計算していたのではないか……、とモニカは思わざるを得なかった。
もちろん、冷静に考えれば、そんなことありえるはずがない。どうやれば、そんなことができるのか、モニカには見当もつかない。
けれど、目の前にある事実を繋ぎ合わせれば……そうとしか思えないのもまた事実なのだ。
ここ最近、不安げにしていたミーア。その様子から、彼女は自身に対して暗殺計画が企てられていることを察知していた。
そして、共同浴場でのこと。シュトリナに、例の煙が出る入浴剤をさりげなく見せていたことから、彼女が容疑者に目星をつけていたこともわかる。また、容疑者がわかっていたにもかかわらず、彼らの計画を止めなかったのは、シュトリナのことを思ってのこと。
シュトリナに悔い改める機会を与え、取り戻さんと欲してのこと。
そして……、事実として、ミーアは帝国から遠くの地へと連れ去られようとしているシュトリナを帝国内の、手の届く位置にとどめた。
ミーアたちを助けるという、悔い改めの意思を確認したうえで、である。
『きっとミーアお姉さまは、リーナちゃんを助けるために行動していたに違いありません!』
自信満々に言っていたベルの言葉を、モニカは否定する気にはなれなかった。
――これが、すべて偶然と考えるのは、無理がある……。
それから、恐る恐るといった様子で、モニカはミーアの方を見た。
「……ミーア姫殿下、いったいどこまで、計算されていたのですか?」
その問いかけに、ミーアは答えることなく、ただ、ちょっぴり困ったような笑みを浮かべるのみだった。
――あとでラフィーナさまにも、お考えを聞いてみよう……。もしかしたら、私より、ミーアさまの行動を冷静に見られているかもしれないし。
……この後、ラフィーナに話を聞いたモニカはますます、ミーアに対しての畏怖を強固なものにしてしまうのだが……。
まぁ、どうでもいい話なのである。