第八十三話 朝食会
「失礼します、ミーア姫殿下……」
遠くにノックの音、次いで自分を呼ぶ声を聞いて、ミーアはゆっくり目を覚ました。
「ん……ぅん?」
目をこすりこすりしつつ、辺りを見回す。
いつも通りの自身の部屋の光景に……、ミーアは違和感を覚えた。
――あら? 変ですわね……。いつもでしたら、アンヌが応対に出てくれますのに……。
そう思いつつ、体を起こしたところで、ミーアは見つけた。
自らのベッドの傍ら……、床に丸くなって眠るアンヌの姿を。
「まぁ……」
すやすや、と眠るアンヌに、ミーアはついつい微笑ましいものを感じる。
――昨夜は、助けに駆けつけてくれましたし……、きっと疲れたのですわね。
ちなみに、ミーアは勘違いしているが……、丸一日寝て、今は朝である。つまり、ミーアが襲われたのは、一昨日の深夜から昨日の明け方にかけてのことである。
失われた一日には、アンヌはもちろん、きちんと働いていたのだが……。
時空を飛び超える姫、ミーアは、そんなこと、知る由もないのである。
「それにしても……、いったいどうしたのかしら?」
いつもは、きちんとベッドで寝ているアンヌである。それなのに、こんな風にベッドの下の床で寝ているなんて……。
首を傾げるミーアだったが……、すぐに思い至る。
「もしかして……、また、わたくしが一人で、いなくなってしまうと思ったのかしら……」
だから着替えもせずに、こんな風にミーアの足元で寝ていたのではあるまいか……。
「ふむ……」
と、そこでミーアは考える。
基本的にミーアは、緊急の時のために、一人でなんでもできるようにしている。当然、ドレスに着替えるなどというのは、朝飯前なのだが……。
そして、いつもであればアンヌが疲れて寝ているのであれば、無理に起こしたりせずに、一人で着替えを済ませて、さっさと来客の応対に出てしまうところだが……。
――声をかけずに行ってしまったら、怒られてしまいそうですわね。
そう考え、アンヌの肩をゆする。
今日のところは気を利かせて、わがままを発揮することにしたミーアである。
そうして、寝ぼけ眼のアンヌに着替えを手伝ってもらったミーアは、ドアの前で待っていた人物を迎えた。
やってきたのは、ラフィーナの使いであるメイドのモニカだった。
「ラフィーナさまから、朝食会のお誘いです。もしもよろしければ……」
「あら……朝食会……」
ふと、ミーアはお腹をさする。
「ふむ……、ちょうどお腹が空いていたところですわ。でも、なんだか今朝はやけにお腹が空きますわね……」
くーっと、長き惰眠をむさぼったミーアに抗議するように、お腹の虫が鳴き声を上げた。
朝食会の会場は、セントノエル学園の秘密の花園だった。
「あら、来たわね、ミーアさん」
「ご機嫌よう、ラフィーナさま。お招きいただき、感謝いたしますわ」
ちょこん、とスカートの裾を持ち上げて、それから、ミーアは辺りを見回した。その場に集っていたのは、ミーアを助けに来てくれた面々、アベルとシオン、ティオーナにベル。それにキースウッドとリオラである。
それを見て、わずかばかりミーアは警戒する。
――このメンバーで、朝食会ということは、必然的に話す内容は決まっておりますわね。
などと思いはしたものの……、それも、食事が出てくるまでだった。
――ふむ、まぁ……なにはともあれ、腹ごしらえですわ。しかし、なぜでしょう、すごくお腹が空いてるんですのよね……。
早速、テーブルの上に並べられたパンに手を伸ばす。
温かなパンを真っ二つに割る。パリッと心地よい音、ふわりと湯気が立ち上り、香ばしい匂いが立ち上る。食欲を刺激する香りに、ミーアは思わず唾を飲み込む。
一口サイズにちぎったパンを口の中に放り込む、と、サクサクとした表面の内側、柔らかく焼けたパン生地が口の中に溶けていき……。
――ああ、良い腕ですわ。実にいい。さすがはセントノエル。ラフィーナさまの朝食会。パン一つで、これほどわたくしの心を感動させるとは……。
丸一日、なにも食べなかったため、普段より五倍は美味しく感じるミーアである。
それから、目の前にあった濃厚ハチミツジャムをパンにたっぷり塗りたくり始めるミーア。甘い甘ぁいパンを食べ、シャクシャクと新鮮なサラダを、さらに、とろりと濃厚な野菜と燻製肉のスープを一口。しめに甘いフルーツを口に入れたところで、ラフィーナが口を開いた。
「さて……、それでは、本題に入りましょうか……。今日、みなさんに集まっていただいたのは、ほかでもない、聖夜祭の日の事件について、お話ししたかったから。モニカさん」
呼ばれて、モニカが一歩前に出る。
小さく頭を下げてから、彼女は言った。
「はじめに、リンシャさんですが、幸い、怪我は大したことなく。手当てをした翌日には普通に生活できるようになっています」
「あ、ボク、今朝お見舞いに行ってきました。元気そうで良かったです……」
ベルはにっこり笑みを浮かべて言ってから、小さくうつむいた。
「リンシャさんだけでも、無事で……良かった」
「ベル……」
そこでミーアは気が付いた。ベルの前に並べられた朝食が、一切手付かずのまま残されていることに……。
そっと自らのそばにあったハチミツの瓶を、ベルの前に差し出して、ミーアは言った。
「まだ、諦めるのは早いですわよ。リーナさんを助けられないと決まったわけではありませんわ。今は、食べて元気を出しなさい」
「ミーア、お姉さま……」
ベルは、ハッとした顔で、ミーアの方を見てから……。
「あの、すみません……。今朝、リンシャさんのところで、お見舞いのペルージャン産フルーツをたくさんいただいてきたので、ボク、お腹が一杯で……えへへ、ペルージャンベリーというものが、とても美味しかったです」
「…………ベル」
ミーアは、目の前の孫娘との血のつながりをはっきりと認識してしまった。
――ふむ、やっぱり、朝は甘い食べ物ですわよね。
……どうやら、二人とも食欲の方には、なんの問題もなさそうだった。