第七十八話 苦労人キースウッド氏、無茶ぶりされる!
――なかなかに、危ないところだったな。
シオンと共に駆け付けたキースウッドは、辺りの様子を眺めつつ思う。
身を寄せるミーアとベル。それを守るようにしてたたずむ二頭の馬。
そしてその周りを、敵の手の者だろうか、二匹のオオカミが隙を窺うようにして回っている。
――間一髪、間に合ったというところか。やれやれ……。
先ほどまでの綱渡りのような状況を思い出し、キースウッドは思わず安堵のため息をこぼした。
シオンの意向を受け、学園内の見回りをしていた彼は、学園の裏門近くで、血まみれのリンシャを見つける。
医務室に運び込まれる間際、彼女は、シュトリナとバルバラによって、ベルが誘拐されたことを伝えて、そのまま意識を失ってしまった。
危急の事態に、急ぎそのことをシオンに教え、ミーアたちのことを探すと、その関係者のほとんどが行方不明になっているという状況。しかも、ミーアの部屋には脅迫状が放り捨ててあるという有様である。
シオンのもとに戻り、すでに剣を用意していた彼と合流。すぐさま島を出る。
元より、リンシャの話から、かなりの緊急事態が起きていることはわかっていた。それゆえに、彼らの行動は、誰よりも迷いのないものとなった。
それでもなおギリギリであったことに、キースウッドは背中が寒くなる。
――ミーア姫殿下を失うというのは、計り知れない損失だ。間に合って良かった。
などと、思っていると……。
「キースウッド、オオカミは任せる。できれば排除して脱出路を開いてくれ」
シオンの命令に、キースウッドは思わず苦笑を浮かべた。
「うわー……、いつも通りのムチャぶりとはいえ……、このレベルはちょっとなかったかなぁ」
思わずぼやく。
なにしろ、敵は巨大なオオカミ二匹である。普通の者であれば怖気づいてしまうところだが……。
――もっとも、あちらはあちらで大変そうだしな。ここは俺が踏ん張るしかない、か。
キースウッドは、先ほどアベルの渾身の一撃が止められるのを冷静に見ていた。
アベルの一撃は、キースウッドでも侮りがたい威力を持っている。正面からまともに受ければ、刃がへし折れるだろうし、腕にダメージが残るはずだ。というか、そもそも反応できたこと自体が離れ業である。
にもかかわらず、それを易々と受け切った辺り、敵の実力は決して低くはない。
――シオン殿下も、あの覆面を倒すのは難しいと踏んだんだろうな。やれやれ……、仕方ない。早いところオオカミを排除して、脱出路を開くとするか。
オオカミと言えど、しょせんはただの獣。あちらの手練れを倒すよりは幾分かマシだろう、などと、思いつつ剣を抜いたところで……。
「うおっ!」
唐突に、噛みついてきたオオカミに、慌てて身を躱す。と、キースウッドの動きを読んでいたかのように、避けた先に大口を開けたオオカミがっ!
「くっ!」
避けきれない、という刹那の判断。キースウッドは回避も防御も捨てる。
狙うは首筋、真下から喉を貫く構え。
――噛まれた瞬間に、突き殺せば、ダメージは最小限のはず。この攻防でまず一匹仕留められるのは大きい。
半分捨て身の攻撃は、けれど、実現することはなかった。
オオカミはキースウッドの目を見て、直後、立ち止まって後方へと下がったのだ。
「なっ!?」
思わず、驚愕の声をあげてしまうキースウッド。
着地したオオカミがさらに、後方に、二度、三度と飛び退る。
その地面にザク、ザクと、矢が刺さっていく。
加えて、もう一匹の方にも派手に燃え盛る火矢が飛んでいくが、オオカミはそれを恐れるでもなく、冷静に、命中弾だけを避けていく。
――味方に射手がいるのか。それは助かるが……、しかし……。
矢の応酬にも怯むことなく、オオカミはキースウッドに注意を向けていた。その時点で、キースウッドは理解する。
――難なく矢を避けるのみならず、こちらの捨て身の意図を察して、下がった。ただのオオカミじゃない。相当、戦い方を仕込まれているな……。なるほど、それで、馬を襲わずにいたのか……。
その振る舞いは、まるで戦士のようだった。
剣を持った人間との戦い方を熟知しているかのような、その動き……。キースウッドは、認識を改めざるを得なかった。
すなわち、自分が相手にしているのは、ただの巨大なオオカミではない。
オオカミのごとき俊敏で、力も強い戦士である、と。
――これを退けるは、至難か……。それならば……。
身構えつつも、キースウッドはシオンに言った。
「シオン殿下、このオオカミ、ただのオオカミじゃないみたいなんで、倒し切るのは少し厳しそうです。時間稼ぎに切り替えてもいいでしょうか?」
「……そうか。わかった。確かに無理に脱出を図る必要はないな。では、一時、時を稼ぐとしようか」
シオンの返事を聞いて、キースウッドは内心で笑う。
――伝わってなによりだ、殿下。さて、あとは……上手く引っかかってくれればいいんだがな……。
っと、そこで、グルル、という唸り声が聞こえた。
「おっと、待たせてすまないな」
改めて、オオカミと向き直り、キースウッドは肩をすくめた。
「しかし、時間稼ぎだけでも命懸けだな……。やれやれ、ああ、お腹が痛くなってきた……」
彼らのやり取りを見て、歓声を上げたのは、ベルだった。
「ミーアお姉さま! 天秤王が助けにきてくれました! すごいすごい!」
憧れのシオン・ソール・サンクランドが助けにきてくれたのだ。否応なしにテンションも上がるというものである。
「それに、アベルお祖父さまも!」
忘れずに、お祖父ちゃんの方にもフォローを入れるミーハーベル!
……アベルお祖父ちゃんは、泣いていい。
ともあれ、援軍の到来に、ベルは一気に元気になった。
「これなら……もしかしたら……」
シュトリナを助けに行けるかもしれない……、と、そう思ったからだ。
……ちなみに、ミーアとは違い、ベルの方は落馬で少しだけ泥がついているだけで、割と普通の格好をしていたりする。
荒嵐が、鼻をむぐむぐさせているのを見て、さっさか離れていたために、難を逃れたのだ。
ちゃっかり者のベルである。
「いけー! 天秤王! ほら、ミーアお姉さまもご一緒に!」
拳を突き上げて応援する孫娘のキラキラ輝く姿を見て、
「がんばれー……お二人とも、ファイトですわよー……」
泥かぶり姫のミーアは、感情のこもらない声を上げるのだった。