第七十三話 シュトリナを信じる者(茸)
オオカミの後についていくことしばし。
やがて、ミーアの目の前に不気味な廃村が姿を現した。
「ここが、バンドゥル村……? ということは……」
朽ちた民家の向こう側、村の中央部に、赤々と火が燃えているのが見えた。
「焚火……、あそこにベルがいるんですのね……」
ミーアは、ほふぅっとため息を吐いてから、荒嵐から降りた。それから荒嵐の首筋を撫でつつ、
「荒嵐、いつでも逃げられるように準備をしていてちょうだいね」
もしも、その機会があったらですけど……と心の中で付け足す。
実際のところ、ベルを助け出して、二人で荒嵐に乗るヴィジョンが一向に見えないミーアである。
――まぁ、一番の目的は敵の正体を見極めることですし……。
「おや、いらっしゃいましたか。ミーア姫殿下」
ふいに、夜の底に響くような声が、ミーアの耳を打った。慌てて視線を向ける……と、そこに立っていたのは、
「ようこそ、お越しいただき、恐悦至極にございます……。おや、その馬はなんでしょうか?」
慇懃無礼に頭を下げるその女性、それは、ミーアの知る人物……。
「バルバラ……さん? ということは……」
「ふふふ、どうぞ、こちらへ。ああ、お一人で、いらしてください」
「……オオカミに、わたくしの馬を食べさせるつもりではないでしょうね?」
「ご心配なく。そのオオカミは、馬は絶対に食べないよう、しつけられております」
ミーアは、不承不承といった様子で、荒嵐の手綱を放すと、
「行ってきますわね、荒嵐。なにかあったら、さっさと逃げて構いませんわよ」
そう指示してから、改めて焚火の方へと向かう。と
「あっ…………」
そこに立っていたのは、後ろ手に縛られたベルと、オオカミを従えた覆面の男。そして……、
「そう……リーナさんが……」
ベルの隣、可憐な笑みを浮かべるシュトリナだった。
「ご機嫌よう、ミーア姫殿下。わざわざ遠いところまでご足労いただきまして」
スカートの裾をちょこん、と持ち上げ、シュトリナは頭を下げた。
「いえ、せっかくのお招きですし、無下に扱うわけにもいきませんわ」
応じつつも、ミーアの脳裏に、夏休み明けのルードヴィッヒとの会話が過ぎる。
――コロッと騙されてしまいましたわ……。イエロームーン公爵家は怪しいと、きちんと聞いておりましたのに……。失敗いたしましたわ……。
忸怩たる思いを抱えつつも、ミーアは未だ、シュトリナのことを悪く思えずにいた。
もしかしたら、なにか事情があるのではないか? 悪いやつらの言いなりにならなければならないような、そんな状況にあるのではないか? と思ってしまうのだ。
――思えば、花陽が仔馬を産もうとしていた時も、リーナさんに手を借りたのでしたわ。あの時も、リーナさんがいなければ危なかったですし、一生懸命に手伝っておりましたわ。そんな方が……、このような悪事に手を染めるかしら?
諦め悪くそんなことを思ってしまうミーアである。
けれど、それ以上に思うことが……、
――というか、キノコ好きに悪い人間はいないはず……。であるならば、なにかしらの事情があるに違いありませんわ!
これである!
キノコプリンセス、ミーアは確信しているのだ。
キノコ好きに悪いやつはいない、と……。キノコにあんなに詳しいシュトリナが悪いやつのはずがない、と。
ちなみに、バルバラはキノコ狩りの時にいなかったから関係ない。コイツは悪いやつに違いない、と確信しているミーアである。
――しかし、これは問題ですわ……。リーナさんは、はたして信用できるのか否か……。
もちろんなんらかの事情があってベルの誘拐に加担したのでも、それで罪なしとはならないだろう。だがそれは、やり直しの時には大きな意味を持つのだ。
もしかすると、シュトリナに関しては、味方に引き入れることができるのかもしれないのだから。
刹那の思考、その後、ミーアは方針を決める。
――ここは、最後までリーナさんを信じてみることにいたしましょう。
理由はとても単純だ。
――キノコ好きに悪い人はおりませんわ。絶対ですわ!
そう、それはミーアのキノコプリンセスとしての直感、いわゆるキノプリセンスというやつである。その直感に従い、ミーアは口を開く。
「リーナさん、あなたは……、なにか事情があって、こんなことをしているのですわね」
ミーアは断言する。
何があっても、最後までシュトリナを信じぬく。そう決心したミーアは、じっとシュトリナを見つめた。
……もしも、彼女が根っからの敵であったならば、もう、それはそれで仕方ない。どうせ、ここで死ぬのだから、どちらでも大差ないのだ。
ミーアの覚悟は茹でたキノコのように固かった! ――そんなに固くなかった!
「……え?」
ミーアの言葉に、シュトリナは、きょとんと瞳を瞬かせた。その表情が戸惑いに崩れる。
「…………なんで? どうして、そんなことをおっしゃるんですか? ミーア姫殿下、どうして、あなたまでリーナのこと……?」
「知れたことですわ。リーナさんがそんなことするなんて、思えないからですわ。わたくしは、あなたのことを信じますわ」
キノコ好きに、悪いやつは、いない!
ミーアは胸に生えた茸信念に基づいて、堂々と言い放つ!
「ねぇ、リーナさん、お話しいただけないかしら? あなたは、無理矢理にやらされているだけですわよね? ベルのお友だちのあなたが、こんなことをするはずがございませんわ」
「ミーアお姉さま……」
ミーアの様子を見たベルが、ちょっとだけ嬉しそうな顔をした。
「そうです。リーナちゃんが、こんなことするなんて、ボクもおかしいって思ってました。リーナちゃんは、悪いやつに脅されてるに決まってます!」
そうして、ベルはバルバラの方を睨んだ。
鋭い視線を受けて、けれど、バルバラは落ち着き払った様子で肩をすくめた。
「なにも知らないとは、幸せなことですね……。うふふ、お嬢さまが今までなにをしてこられたのか……」
「やめて! バルバラ」
顔を歪めたシュトリナに呆れたような視線を向けてから、バルバラは改めてミーアの方を見た。
「そもそも、そのようなことを聞いてどうしようというのですか? ミーア姫殿下。あなたは、ここで死ぬというのに……」
死の宣告、と同時に、のっそりと、男の足元にいたオオカミが立ち上がる。
それを見たミーアは、一瞬、息を呑み……心の中で三度唱える。
――ディオンさんよりは、マシ。ディオンさんよりはマシ。ディオンさんよりは……マシですわ!
そうすると、不思議と怖さが薄れるような気がした。
…………とっておきのミーアのおまじないである。
まぶたの裏で、呆れて肩をすくめるディオンの顔が浮かんだような気がした。
それはさておき……。
――この程度の危機、ディオン・アライアに首を狙われるのに比べれば、恐るるに足りませんわ!
ミーアは、余裕の笑みを浮かべてバルバラの方を見た。
「あら、それはわかりませんわよ? 確かにわたくしはここで死ぬかもしれませんけれど……、それでは終わりませんわ」
過去に舞い戻り、絶対にこの企みをくじいてやる、とバルバラをにらみつける。
「……負け惜しみは見苦しいですよ? ミーア姫殿下」
「さて、果たして負け惜しみかしら?」
負け惜しみである。少なくとも半分以上は。
なにしろ、実際にはもう一度、過去に戻れる保証はないのだ。
それでも胸を張って言い切れる程度の修羅場は、経験済みのミーアである。
「……ふん、時間稼ぎでもしている、のでしょうか……。いや、それとも……」
と、バルバラが逡巡した刹那……、ミーアの視界が真っ白に染まった!
それは、辺り一面に突如として発生した白い煙……。
「……はぇっ!?」
混乱に固まるミーアの鼻に、ほのかに香る匂い、それは月蛍草の……、入浴剤の香りで……。
直後、どすん、とぶつかってくるものがあった。
「うひゃあっ!」
悲鳴を上げるミーア。そのまま地面に押し倒される。
そうして、半ばタックルするみたいにぶつかってきた人物、それは……。
「ベルっ!?」
「ミーアお姉さまっ!?」
拘束を解かれたベルだった。