第七十話 はじまりの忠臣と新しき友と
聖夜祭の手伝いをお願いされたアンヌは、聖堂への荷物運びに勤しんでいた。
――早く終わらせてミーアさまのところに戻らなきゃ……。それにしても……、聖夜祭の当日に、こんなに仕事があるなんて……。
基本的に、アンヌはミーアの従者であり、ティアムーン帝国のメイドである。ヴェールガ公国の管轄であるセントノエル学園の仕事に駆り出されることは、あまりないことだった。
――今日は、聖夜祭だから、手が足りないのはわかるけど……。
ミーアたち、生徒会の手配は、アンヌの目から見て抜かりのないものだった。こんな風に緊急で呼び出されることに、アンヌは若干の違和感を覚えていた。しかも……、
「ああ、まったくついてないわね。なんで聖夜祭の当日にまで、こんなことしなきゃならないのかしらね。ね、あなた知ってる? なんでも、聖堂に置いてあった燭台やら、なんやらが、誰かに壊されてて、それで、急遽、こうして運び込んでるらしいわよ」
一緒に作業に当たっているメイドにそんな話を聞いてしまうと、なおさら落ち着かない気分になってしまう。
――聖堂のものを壊すなんて……、そんな人が学校内にいるなんて……。
そう思うと、不意に、ミーアのことが心配になってしまう。
――ともかく、急いで運んでしまおう……。
そう、アンヌが足を速めた時だった。ふと、視線を向けた先に、アンヌは……、
「あれ? あれは、ミーアさま?」
自らの主の姿を見つけた。
どこか思いつめたような顔で、寮から出たミーアは、そのまま、厩舎の方へと向かって歩いていく。
「ミーアさま……、どうされたんだろう……?」
別に、アンヌはいつもミーアと一緒にいるわけではない。アンヌが仕事で手が離せない時には、学友と出かけていることも、ないわけではない。
セントノエル島は、それだけの安全が確保された場所なのだ。
それに、ミーアは大国の姫君には珍しく、自分だけで買い物ができる庶民派だ。アンヌに隠れて、一人でこっそりおやつを買いに行っていることを、アンヌはきちんと知っている。今のところ、お諫めするほどの頻度ではないので、見て見ぬふりをしているが。
それはともかく、だから、ミーアが一人で町に出かけたとしても、そこまで気にする必要はないのかもしれない。なにか、ちょっとした買い物がしたいから、一人で出かけただけなのかもしれない。
でも……、なんだか、気になる。
「それに、どうして、乗馬用のお召し物を……?」
確かに、ミーアが向かったのは厩舎の方だ。その意味では、不思議はないのだが……。
もうすぐ、聖夜祭の夕べに行われる燭火ミサが始まる時間だ。生徒は制服に着替えて、聖堂へ行くことになっている。それなのに、ミーアの行動は明らかにおかしかった。
「この時間から、遠駆けに行くわけもないし……」
聖堂に向かいつつ、アンヌの胸に嫌な予感が沸き上がる。
ついに、危険な場所にアンヌを連れて行くとは、約束してくれなかったミーア。
ミーアが自分を置いて一人で遠くに行ってしまいそうな……、そんな予感が頭を過ぎる。
「そんなこと……ない、よね……」
冷静に考えれば……、そんなことはない。そのはずだ。
だけど、ここ数日のミーアの雰囲気はどこかおかしかった。昨日も唐突にお礼を言ってきた。
聖夜祭の時には、日ごろ世話になっている人にお礼を言うのが慣習だ。だから、その行動も、おかしいことではないはず……なのに。
「ミーアさま……」
湧き上がる不安感は、見る間にアンヌの心を黒く染めていく。
小走りに聖堂に向かったアンヌは、そこに荷物を下ろすと、すぐに厩舎の方へと走り出した。
「ミーアさま……」
つぶやくように、口から出た声。それは、すぐに、
「ミーアさま、どこですか? ミーアさまっ!」
悲痛な叫び声に変わった。
「すっかり遅くなってしまったわね」
その日の、弓の鍛練を終えたティオーナは、寮への道を急いでいた。
「このままだと燭火ミサに間に合わないかな。少し急ぎましょう」
「はい、わかった、です」
こくり、と頷いたリオラだったが、ふと立ち止まる。
「どうかしたの? リオラ」
「声が……」
「え?」
「声が聞こえる、です」
そう言うと、リオラは、きょろきょろ、辺りを見回して、
「あっち、です」
走り出す。
「ちょっと、リオラ、どうしたの?」
リオラのただならぬ雰囲気を察して、ティオーナも続く。ほどなくして、二人は、学園の外に走り出ようとしているアンヌの姿を見つけた。
「アンヌさん? こんなところでなにしてるんですか?」
「ティオーナさま! リオラさん」
走り寄ってきたアンヌを見て、ティオーナは、緊張に身を固くする。
アンヌの頬が白く染まり、その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいたからだ。
「ミーアさまを見かけませんでしたか? こっちの方に来られたと思うんですけど……。馬を連れていると思うんですけど……」
その口調にも、まるで余裕がない。
それを見たティオーナの胸に、焦燥の火種が宿る。
ミーアと話しておけばよかったという夢の中での後悔……一度は鎮火したと思われていた思いが、再び燃え上がった。
焦ることはない、この聖夜祭が終わって……、そうしたらゆっくり話せばいいと……。
なんだったら、今夜の生徒会の鍋パーティーでゆっくり話せばいいのだと……。冷静な理性が告げている。
けれど、それを大いに上回る焦燥が、ティオーナを突き動かした。
「アンヌさん、私も一緒に探します。リオラ、あなたはラフィーナさま……はお忙しいかな。アベル王子かシオン王子、キースウッドさん、ともかく誰でもいいわ。手を借りられそうな人を呼んできて」
「わかった、です。ティオーナさま、気をつけて」
リオラは頷くと、素早く駆け出した。
それから、ティオーナは改めて、アンヌの方を振り返って、
「私たちも行きましょう。アンヌさん」
早足に歩き出した。
練習で使った矢筒と弓を外すことも忘れて……。