第六十九話 愛馬とともに……
【聖夜祭当日 第二 四つ鐘の刻から半刻ほどたったころ(PM4:40)】
脅迫状に書かれていた場所は、ノエリージュ湖の湖畔から、少し離れた場所にあった。
「草原地帯を抜けた先にある小さな廃村。いかにもな場所ですわね……」
セントノエルから離れた場所に呼び出して、邪魔が入らないようにするつもりなのだろうが……。
「地図を見た限りでは、それなりに離れておりますし……。やはり馬が必要ですわね」
秋の馬術大会の結果から、ミーアが馬に乗れることを見越しての計画なのだろう……。
一番目につかずにミーアを連れ去るにはどうすればいいか? 簡単だ。誘拐される本人に、自分から来てもらえばいい。
相手が普通のお姫さまの場合には馬車などを用意しなければならないため、露見の危険性が増えるが、その点、ミーアは馬に乗れる。
セントノエルから離れた場所であっても、呼び出すことは容易ということだ。
「当然、あちらで馬も用意してあるのでしょうけれど、なにも、そこまで思惑に乗ってやる必要もありませんわ」
セントノエル学園の厩舎を訪れたミーアは、真っすぐに荒嵐のつないである小屋に向かった。
「荒嵐、いるかしら?」
入ってすぐ、ミーアを見つけた荒嵐が、鼻をムグムグ動かした。
一瞬身構えるミーアだったが、幸い、荒嵐はくしゃみをすることはなかった。
「あら、珍しいですわ……。また、くしゃみを吹っ掛けられるとばかり思っておりましたけれど……」
つぶやきつつ、荒嵐のそばに歩み寄ったミーアは、こっそりと、荒嵐に馬具を取り付けていく。いつでも自分一人で馬で逃げられるようにと、そのあたりのやり方はお手の物である。
自分一人で馬に乗る準備を整えられることも、馬龍あたりには高く評価されているわけだが、そんなこととは露知らぬミーアである。
「なんだ? 遠乗りにでも行くのかい?」という顔で、チラリと見つめてくる荒嵐。その目を、じっと見つめてから、ミーアは頭を下げた。
「荒嵐……、申し訳ないのですけれど……、あなたの力を借りたいんですの……。力をというか……、場合によっては命を……ですけれど」
もしも、自分が死んでしまった時、荒嵐が生きて帰れるかはわからない。案外、落馬した自分を放って、とっとと一人で逃げていく可能性は十分にあるが……。なんとなく、この馬は乗り手を見捨てることはないような、そんな義理堅いところがあるような……そんな気がしていた。
だからこそミーアは、荒嵐の首筋を撫でながら言う。言葉が通じているかはわからないけれど、丁寧に、丁寧に、言い聞かせる。
「ねぇ、荒嵐、今のわたくしは、ほかに頼れるものがございませんの。だから、特別にお願いいたしますわ……。わたくしと一緒に来てくれるかしら?」
そんな姫君の願いを受けた荒嵐は……ぶーふーぅ……と深い鼻息を吐き、にやり、と口角を上げる。
まるで、ミーアの言葉を理解しているかのように……。
俺がいれば、どんな罠からだって逃げてやるよ、と言っているかのように……。
「そう……。ふふ、頼もしいですわ、荒嵐。それと花陽、申し訳ないですけれど、荒嵐を借りますわね」
その呼びかけに花陽は、静かな知性を感じさせる瞳を向けてくるのみだった。
荒嵐を引いたミーアは、港へと向かった。
それに振り返る者はいない。ただでさえ、祭りで人通りは多いのだ。当然、荷運び用の馬を引いた商人も少なくはない。
それでも、見つかったら大変とコソコソ移動するミーア。ちょっぴりアヤしい姿であった……。
ほどなくして、彼女は港へとたどり着いた。
指定された船は、すぐに見つかった。それほど大きな船ではないが……、荒嵐を乗せるだけならば十分な大きさがある。
「あなたが、島の外まで運んでくれる商人ですの?」
船の前に立っていた男にミーアは声をかけた。
中年の、いかにも商人でございます、という人の好さそうな笑みを浮かべた男だったが……、
「ええ、そうですが……、えーっと、その馬は?」
ミーアが連れてきた荒嵐を見て、わずかばかり、表情を曇らせる。
「もちろん、遠駆けのための馬ですわ。わたくしの愛馬ですわ」
そう言ってやると、商人は急に慌てだした。
「いや、困りますよ。姫殿下を外に連れ出すのだって、リスクがあるのに……。それに、馬は向こうで用意してるって話でしたよ?」
「あら、その方はきっと、わたくしが普通の馬に乗れると思っていたんですわね。けれど、乗馬って難しいでしょう? わたくし、この自分の馬にしか乗れないんですのよ」
そう言って、ミーアは、荒嵐の方に目を向けた。
空気を読んだのか、荒嵐は静かに、お上品な馬の顔をしている。
「いや、でも、さすがに馬を運ぶのは……」
「できますわよね? できないとは、言わせませんわよ? なんでしたら、追加でお金を要求してもらっても構いませんわよ? あなたに話を持ってきた方に、金貨一袋でも要求してやるといいですわ」
さらりと敵への嫌がらせも欠かさない。他人の金貨袋で、交渉相手の頬を張り飛ばすスタイルである。
……鈍器を用いた脅迫とも言えるかもしれない。
「それとも、このわたくしに意見するおつもりかしら? あなた、それ、どうなるかわかっててやっているんですわよね? ご存知かしら? わたくし、ラフィーナさまとも懇意にさせていただいておりますのよ?」
さらに脅す。
目いっぱい、大帝国の姫君のわがままで殴りに行く。
そもそも陰謀に加担した商人に対して、発揮するような慈悲など持ち合わせてはいないミーアである。
「さぁ、どうなさいますの? 金貨を手に入れられないどころかラフィーナさまにチクられるのと、馬ごとわたくしを運ぶのと、どちらにいたしますの?」
かくして、ミーアは荒嵐とともにセントノエル島を後にした。
自らの、ちょっぴり怪しげな行動が見られていることに、気づくことなく……。




