第六十六話 聖夜祭当日 動き出した陰謀
【聖夜祭当日、八鐘の刻(AM:8:00)】
運命の一日の幕開けは、ごく静かなものだった。
朝、もぞもぞとベッドから起きだしたミーアは、アンヌを伴い、共同浴場へと向かった。
そこで寝汗を流し、顔を洗って、しゃきっとした顔になる。ミーアが朝からシャンとしているのは珍しいことである。
「ふむ……、こんなものかしら……?」
「ミーアさま、今日はずいぶんと気合が入っておられますね」
ちょっぴり驚いた顔のアンヌに、ミーアはそっと微笑んだ。
「そうですわね。まぁ、今日ぐらいは……」
それからミーアは朝食をとり、生徒会室へと向かった。
「あら、ミーアさん、ご機嫌よう」
部屋に入ると、すぐに、ラフィーナが声をかけてきた。
「ラフィーナさま? はて……、今日はなにか生徒会の仕事がありましたかしら?」
警備体制のチェック、祝宴の準備の進捗、島への人の出入りのチェック体制などなど……、生徒会で目を通しておくべきものには、一通り目を通していた。
そもそも、当日に生徒会のメンバーがするべきことは、ほとんどないはずだが……。
「いえ、大丈夫よ。なにかあれば、集まっていただくことになると思うけれど……。ふふふ、あの日以来、サンテリが張り切ってくれているから、私たちのすることはないんじゃないかしら」
ラフィーナは笑みを浮かべて言った。
「これもミーアさんのおかげね」
「そんなことはございませんけれど……」
まったくである。ミーアは食欲に忠実に、毒キノコを食しただけなのだから。
「しかし、それではいったいなぜ、こんなところに?」
「少し、感慨に浸っていたの」
ラフィーナは、静かで穏やかな笑みを浮かべた。
「私が、ここの主ではなくなって、もう一年が経つんだなぁって……。うふふ、なんだか、少し不思議な感じがするわ」
それからラフィーナは、ちょこんと机の上にお尻を乗せた。ちょっぴりお行儀が悪いその仕草が、ラフィーナらしくなくって、ミーアは少し驚く。
「実はね、毎年、この日はここに来ていたの。身を清めて、聖衣に身を包む前に、気合を入れるためにね。ミーアさんは知らないかもしれないけど、結構、聖夜祭の儀式って、緊張するのよ」
「それは、心中お察しいたしますわ」
「でもね、今年は少し違うの。緊張はもちろんしているわ。だけど、その後で、みんなでパーティーをするって思うと、なんだか楽しくって……」
それからラフィーナは、無邪気な子どもっぽい笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、私は行くわね。今夜の鍋パーティー、楽しみにしているわ」
生徒会室を出て行くラフィーナを見送って、ミーアは小さくつぶやく。
「今夜……、そう、ですわね……」
いったいなにが起こるのか……、今はわからない。だけど、鍋パーティーがある。大切な仲間たちとの楽しい時間が待っている。それに、今夜の鍋にはキノコが入っているのだ。
絶品キノコ鍋なのだ! 絶品キノコ鍋なのだ!! 絶品キノコ鍋なのだっ!!!
――大丈夫。いかなる誘惑があったとしても、わたくしがセントノエル島を出るということは、ありえませんわ。
それから、ミーアも、生徒会室を後にした。
【聖夜祭当日 十の鐘の刻(AM10:00)】
「あっ、ミーアさま!」
祝宴の会場である大ホールの前を通りかかった時のことだった。
ミーアは不意に、声をかけられた。
視線を向けると、そこにはラーニャ・タフリーフ・ペルージャンの姿があった。
「ああ、ラーニャさん。ご機嫌よう……」
愛想よく笑みを浮かべつつ、ラーニャのそばに行く。と、その目に飛び込んできたのは……
「まぁ! とっても美味しそうですわね」
机の上に並べられたお菓子の類だった。ペルージャンの威信をかけた品ぞろえに、ミーアは思わず舌なめずりである。
先日の反省もあってか、食べ物の近くには、ヴェールガの衛視が監視役として、厳しい視線を向けているため、つまみ食いは難しそうだが……。
「ああ、とても美味しそうですわね……」
「ふふふ、ぜひ、食べに来てくださいね。ミーアさま、お待ちしておりますから」
ミーアは、そのお誘いに笑みを浮かべて、
「ふふふ、ラーニャさん、いつもありがとう。ペルージャンの食べ物には、いつもお世話になっていますわ。そうですわね……。できるだけ、来られるように努力いたしますわ」
曖昧な返事をするのみだった。なぜって? なぜなら……。
――今夜はキノコ鍋の予定ですし……、お腹の隙間、あるかしら……?
などと、腹(具合の)算用をするミーアである。
なにしろ、今夜は絶品キノコ鍋なのだっ!!!!
不安にもなろうというものである。
それをジッと見つめていたラーニャは、ふいに机の上に置かれていたカップケーキを一つ手に取ると、スプーンとセットでミーアに渡した。
「ミーアさま、これ」
「あら? これは……」
「味見用です。どうぞ」
「? え、ええ、ありがとう?」
小首を傾げつつも、ミーアは、ラーニャが差し出したお菓子をパクリ、と口に入れた。
「むっ! これはっ!」
「どうですか?」
「口の中でとろける旨味……、この濃厚な甘みは……、もしや、これは、甘露マロン?」
「はい。わが国で開発したマロンスイーツケーキです」
「ああ、やはり……、このこってりした甘みはマロンの甘味でしたのね。うふふ、ひさしぶりに食べましたけれど、とても美味しかったですわ」
ミーアは、カップをラーニャに返しながら言った。
……ちなみに、こう聞くと、一口味見をして返したように感じるかもしれないが、この間にミーアはカップの中のケーキをペロリと完食している。
スプーンを器用に使い、一かけらもカップには残っていない。食べ方がとても綺麗なミーアなのである。
「この調子ならば、ペルージャンは安泰ですわね。今夜の祝宴もきっと盛況だと思いますわよ」
そうして笑みを浮かべるミーアだったが……、ラーニャは笑わなかった。
ただ、じっとミーアを見つめてから、
「あの、美味しいもの、もっとたくさんありますよ。ミーアさま。私のところだけじゃなく、ほかのみなさんも、腕によりをかけた美味しいものを用意しています。だから……」
ラーニャは必死な口調で言った。
「絶対に食べに来てください。ミーアさまに元気になっていただきたくって、たくさん美味しいもの用意しましたから」
まるで、そう約束しないと、ミーアがどこかに行ってしまうと、思っているかのように……。
「ええ、わかりましたわ。そこまで言うのであれば……」
ミーアは、ちょっぴり、キノコ鍋を食べるのをセーブすることに決めた。
――それに、甘いものは別腹という有名な格言もございますし、大丈夫ですわね。
【聖夜祭当日 第二 四つ鐘の刻(PM:4:00)】
その後、一通り学園内を回った後、自室で、おとなしくしていると、不意にノックの音が聞こえてきた。
応対に出たアンヌであったが、すぐに困り顔で戻ってきた。
「ミーアさま、申し訳ありません。少し、席を外してもよろしいですか?」
「別に構いませんけれど、どうかいたしましたの?」
「それが……、今夜の祝宴のための手が足りないとかで、お手伝いをお願いされてしまいまして……」
「ああ、今日は特別の日ですし、そういうこともございますわね。ふむ……、そういうことでしたら、問題ありませんわ。我が帝国の威信にかけて、しっかりと手腕を振るってくるとよろしいですわ」
アンヌは、一瞬、不安そうな顔をして、
「はい、わかりました。でも、あの……ミーアさま」
それから、なにか、言いたげな様子でいたが……。
「んっ? どうかなさいましたの?」
ミーアの問いかけに、小さく首を振った。
「いえ。なんでもありません。それじゃあ、行ってきますね、ミーアさま」
「ええ……。あ、そうですわ。それと、もしもどこかでベルを見たら、部屋に戻ってくるように言ってくださるかしら? なんだか、今日は朝から見ていないような気がしますし……」
ベルはミーアの一つ下の学年だ。部屋を出たら、夜まで顔を合わさないことも、よくある。なのだけど……、なぜだろう。今日は、そのことが少しだけ引っかかる。
「ベルさまですか?」
アンヌは怪訝そうな顔をしていたが、すぐに頷く。
「わかりました。それでは、行ってまいります」
そうして、アンヌが出て行ったのを見送ると、ミーアは、ベルのベッドに、ちょこちょこと歩み寄った。
その下に隠してあるミーア皇女伝を取り出して、改めて中身をチェックしようというのだ。
――恐らく、記述は変わっていないと思いますけれど……、最後の最後にもう一度、皇女伝のチェックを……ん?
その時だった。
小さなノックの音が聞こえてきた。
「はて? 誰かしら? アンヌが戻ってきた……、というわけではないでしょうけれど……」
首を傾げつつ、ミーアは、扉の方へと向かう。
無防備に、その扉を開けようとしたミーアだったが、ふと、その足元、扉の隙間から差し込まれた一枚の紙に、視線が向く。
そこに書かれていたのは……、
貴女の大切な妹君、ミーアベルさまの身柄は、我々が預かりました
ミーアベルさまの命が惜しくば、どうぞお一人で、指定の場所までお越しください。
そんな文章で始まる、脅迫状だった。