第六十三話 今度こそ、良いお友だちになるために
シオンを見送り、ルードヴィッヒへの書簡を手早く作ったミーアは、再びベッドの上にダイブした。
「ふぁ、疲れましたわ……」
手紙を一枚書くという重労働を終え、疲労困憊なミーアである。手足を投げ出し、ぐんにょり、枕に顔をうずめる。
「それにしても迷惑をかけた人間に謝る……なるほど、それは確かに心残りなく死を迎えるためには必要なことでしょうね……。けれど、そういう人は、わたくしにはおりませんわね」
前の時間軸ならばいざ知らず、ミーアはずっとやり直しの日々を過ごしてきたのだ。
クビにするはずだった料理長は、今でもしっかりと帝国の料理長を務めている。その忠勤に応えるよう、父に進言すらしている。
手遅れになるまで知らなかった新月地区にも、積極的に働きかけるようにした。死にかけていた町は、徐々に活気を取り戻しつつある。
前の時間軸でミーアがやらかした罪といえるようなものは、ことごとくやり直し、覆していた。
にもかかわらず……、なぜだろう、シオンの言葉が妙に心に引っかかる。
「まぁ……、気のせいですわね。それよりもわたくしの場合は、お礼を言っておく方の方が多そうですわね。アンヌとルードヴィッヒ、アベルとシオン、クロエにラフィーナさまに……それから……、ティオーナさんにも一応はお礼を……」
その時だった。ふいにミーアを違和感が襲った。
ミーアは大切なお友だちに、死を迎える前に、自然にお礼をしようと思った。
その中には、かつての仇敵であったシオンも入っていた。もはや彼に対してのわだかまりはほとんどない。キースウッドやリオラなどに対しても溝などは感じていないミーアである。
まぁ、ディオンは現在進行形で怖いから別として……、それ以外の周りの人間たちを、ミーアはおおむね素直にお友だちと呼ぶことができる。
けれど……、なぜだろう? ティオーナだけは、ほんの少しだけ心に引っかかるものがあった。お友だちと呼ぶには溝があるような……、なにか、そう呼ぶのを邪魔するものがあるような……、そんな気がして。
その瞬間、ミーアの脳裏に甦る風景があった。
チリチリと痛む手のひら……。
呆然とした顔をする一人の少女の顔……。
自らの取り巻きが上げる罵声と……、
「貧乏貴族の娘がシオン王子と仲良くするなんて、身の程知らずも甚だしいですわ!」
口汚く罵る自らの声。
ずっと……ずっと忘れていたことを、ミーアは思い出した。
「ああ、そう……。そう、でしたわね……。謝らなければならないこと……、ありましたわね……。ティオーナさんにあの時のこと……、謝っておりませんでしたわ……」
ミーアは前の時間軸、シオン王子と仲良くしているティオーナを見つけて……、それが悔しくって……。シオン王子に無視されたのが寂しくって……。
自らの内に生まれた激情に促されて、ティオーナの頬を叩いたのだ。
思えばそれは、ミーアが唯一やり直すことができていない問題だった。
なぜなら、それは……。
「わたくしが、なにをするでもなく、なくなってしまったことだから……」
歴史の流れの中で、なかったことになってしまった出来事。
それはただ一つ、やり直しによって清算できなかった「ミーアの罪」だった。
もちろん冷静に考えれば、ティオーナは自分を処刑した人物だ。
頬を張ったぐらいならば相殺されている……と、理屈では言えるかもしれない。
けれど、それは……理屈の問題ではないのだ。
ミーアは、あの日の出来事が自分の胸に引っかかっていることを、はっきりと自覚していた。
どんな理屈をつけようと気になるものは気になる。特に、死を間近に控えた時、残された時間で、できることが限られた今は……、意地を張るべき時ではなかった。
「思えば……、あれのせいでわたくしは、素直にティオーナさんとお友だちになれなかったような気がいたしますわ」
やり直すことによってその罪が消えるというのであれば、断頭台を回避した時点で、すでにティオーナへの恨みはないのだ。それに彼女はレムノ王国の時も選挙戦の時も、ミーアのためにいろいろやってくれたのだ……。
「気の置けないお友だちになっても不思議ではないはずなのに、どこか溝があるような気がしますわ。このモヤモヤをなんとかしないと、死んでも死にきれませんわね」
それは、ようやく見つけた答え。
もちろん、あの頃のティオーナに謝ることはもうできない。
それに、身に覚えのないことで謝られても、ティオーナは戸惑うだけだろう。
……しかし、そんなことは知ったこっちゃなかった。
なにしろ、ミーアは自分ファースト。しかも、今のミーアは刹那を生きる女なのである。
押しつけ上等である。
「もしも、あの時のことをきちんと清算しておいたら……。もしも聖夜祭の夜に、わたくしが死んでしまって、もう一度やり直しができたなら……、その時にはきっとティオーナさんと良いお友だちになれるはずですわ」
なんだか、すっきりした心持でミーアは頷いた。
「ふむ、善は急げ……ですわね」
翌日、ミーアはティオーナに会いに行くことにした。
お詫びの印の、豪華な菓子折りを携えて。……別に、自分が食べたかったわけでは……ない。