第六十二話 ゴロゴロミーアの忘れ物
「うーん……、なんだか、やりつくした感はありますけれど……、まだ忘れてることがあるような気がいたしますわね……」
聖夜祭までは、残り二日。あまり日は残されていない。やれることは徐々に狭まってきていた。
そんな中、ミーアはベッドの上でゴロゴロしていた。刹那的に生きると決めたから……ではない。基本的にミーアは何もない状態ではゴロゴロしている生き物なのである。
そこに、シオンが訪ねてきた。
「ミーア、少し相談したいことがあるんだが、いいだろうか?」
ノックの音とともに聞こえてきたシオンの声。
「あら、シオンが女子寮に来るなんて、珍しいですわね……」
ミーアは、ごろんごろんとベッドの上を転がってから、しゅたっ! と床に降り立った。それから、自らの格好を見下ろして……、若干しわしわした部屋着を眺めて……。
――ふむ、まぁ、シオンだから別に構いませんわね。
安定の乙女力を発揮する。
それから、ニコやかな笑みを浮かべて、シオンを出迎えた。
シオンはミーアの格好を見て、一瞬、驚いた様子を見せるも……、
「休んでいたのか……。これは、すまないことをしたな……」
申し訳なさそうに、頭を下げた。
どうやら、ミーアが寝起きだと勘違いしたらしい。まぁ、実際に先ほどまでベッドの上でゴロゴロ転がっていたのだから、そこまで間違ってはいないが。
「別に構いませんわ。あなたがここに来るなんて、よほどのことでしょうし。今はアンヌがおりませんから、お茶などはご用意できませんけれど……」
そうしてミーアは、シオンを部屋に招き入れた。
「それで? 相談とはなんですの?」
「ああ、実は君のところのルードヴィッヒ殿に、頼みたいことがあってな」
「まぁ、ルードヴィッヒに? なにかしら?」
「単刀直入に言うと、以前話した帝国内で消えた風鴉の諜報員を探し出してもらいたいんだ」
「帝国内で消えた風鴉の諜報員……」
……はて? そんな人いたかしら……? などと内心で首を傾げるミーアである。
「さすがに、ミーアでも覚えていないか。帝国の四大公爵家にアプローチがあったという情報をもたらしてくれた人物なのだが……」
「……あ、あー。いましたわね、あの方ですわね!」
などと、いかにも覚えてますよ、というアピールをするミーアだったが……、実は覚えていない。ミーアは特に覚えておかなくていいことは忘れてしまえる、便利な脳みその持ち主なのだ。
「しかし、その方を探してどうすると?」
などと疑問に思うミーアなのだが、シオンの説明を聞いて納得する。
「なるほど……、確かに味方になっていただければ心強いですわね。さすがはシオンですわ」
「ふふ、前に言っただろう。名誉挽回の機会は自分で作るって……」
シオンは、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべて、それから肩をすくめた。
「などと格好つけてみたところで、こうしてミーアに手を借りなければならないのが情けないところだな……。正直、学園にいながらだとできることも限られてしまってね」
「あら、別にご自分を卑下する必要はございませんのに……。それで、具体的にはなにを調べればいいんですの?」
「ああ、これなんだが……」
シオンの渡してきた紙を見て、ミーアは眉をひそめる。
「はて、これは……? マックス:商人、ビセット:執事、タナシス:地方文官……?」
「これは、その男が使っていた偽名と偽の身分だ」
「ほう……、なるほど。ちなみに人相書きのようなものはございませんの?」
「残念ながら。変装術もお手の物らしくてね」
「なるほど……。まぁ、そうでしょうね……」
頷きつつ、ミーアは紙を眺める。
――それにしても、さすがですわね、シオン。アベルから聞いていた通り、混沌の蛇と戦うために、きちんと戦略を練っているんですわね……。あ、そうですわ!
ふいの閃き。ミーアはポコンと手を叩いて言った。
「シオン、試みに聞いてみたいのですけれど、よろしいかしら?」
「うん? なんだろう? 俺に答えられることだったら、いくらでも答えるが……」
首を傾げるシオンに、ミーアは満足げに頷いてから言った。
「仮に、あくまでも仮にの話なのですけど、あと二日で命が終わるとしたら、あなたはどんな行動をするかしら?」
唐突な、なんとも言い難い問いかけ。けれどシオンは腕組みをし、律義に考え込む。
「あと二日で、か……。あまり時間がないから、あまり多くはできないし、そうだな……。まずは、恩義のある者たちにお礼をして……」
小さく唸ってから、続ける。
「あとは、迷惑をかけた者たち、俺自身の未熟さ、頑なさから謝ることができていない者たちに、謝罪をすると思う」
「まぁ! シオンにもそんな人がおりますの?」
驚いて声を上げるミーアに、シオンは苦笑を浮かべた。
「それは一人、二人はいるさ。もしも、普通に生きていく中で、誰にも迷惑をかけず、誰にも謝る必要もないと思うのであれば、それは傲慢というものではないかな」
シオンは肩をすくめつつ言った。
――なるほど……、まぁ、確かにシオンならば、そうかもしれませんわね。
心の中で、うんうんと納得の頷きを見せるミーアは、
――もっとも、わたくしの場合はこいつと違って、迷惑かけた人なんかおりませんし、謝る必要なんかありませんけれど……。
なんとも、傲慢なことを考えていた!
「ふむ、でも……、まぁ、そうですわね……」
とそこで、ミーアはシオンに向かい姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「シオン、あなたにお礼を申し上げますわ」
「うん? なんだ、急にどうしたんだ?」
「いえ、アベルから聞きましたわ。あなたがわたくしのことを心配して、せめて負担を軽くするために、といろいろ行動してくれているって。ご心配をおかけして、申し訳なかったですわ」
それを聞いたシオンは、苦り切った顔をした。
「アベルめ、余計なことを……」
それから、ため息を吐いて、シオンは言った。
「あー、勘違いしないでほしいんだが、俺はあくまでも名誉挽回のために行動しただけだ。自分のために……」
「ええ、わかっておりますわ。あなたは、あなたの勝手をやった。ですが、わたくしもお礼を言っておかないと、なんだかモヤモヤしそうだった。だから、こうして頭を下げた。それだけのことですわ」
それから、ミーアはニコリと笑みを浮かべた。
「わたくしは、わたくしのために、勝手をしているだけですから、どうかお気になさらずに」
そんなミーアを見たシオンは、しばし沈黙し……、それから、はぁ、と深いため息を吐いて……。
「ああ……。くそ、やっぱり、励ます役をアベルに譲るんじゃなかったかな……」
小さな声で、つぶやくのだった。
……シオンは知らない。
ミーアが、心の中で、
――こいつに借りを作るのは、なんだか落ち着きませんし。お礼を言うのも、頭下げるのもタダ。ならば、下げておくに越したことはありませんわ!
などと、ちょっぴりゲスなことを考えていることを。
そして……、彼が知らないことはもう一つあった。
それはこの時に彼が言った言葉が、ミーアの心に残り続けること。
お礼を言い忘れている者はいないが、謝っていない者は本当にいないだろうか?
今の時間軸ではいなくても、前の時間軸では……?
心に残り続けた問いかけは、さながら導の光のごとく、ミーアに一つの忘れ物の存在を気付かせる。それは……。