第六十話 太心者のミーアは踊る!
「ああ、探しましたわよ、アベル。シオンのところにおりましたのね」
なにげなくそんなことを口にするミーアであるが、よくよく考えればわかる通り、ここは男子寮である。そこまで厳密には決められていないものの、基本的には女子の立ち入りは禁止となっている。
少なくとも意中の男子を遊びに誘うために、ずんずん足を踏み入れていい場所ではない。
けれど、放蕩ミーアはそんなことは気にしない。
なにしろ、今のミーアには怖いものなど…………ちょっとしかない。
そうなのだ、小心者ミーアは、ついに太心者ミーアに成長したのだ。
……放っておくとFNYになってしまわないか、若干心配ではあるが……。
「ミーア、男子寮に来るなんて、いったいどうしたんだい?」
驚いた顔をするアベルに、ミーアはちょっぴり悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「実は、少し付き合っていただきたいことがございまして、今、よろしいかしら?」
「え? あ、ああ、えーと」
アベルはシオンの方に目を向ける。と、シオンは苦笑いを浮かべて、
「姫のご所望だ。謹んで受けるのが紳士のマナーというものだろう」
小さく、アベルにウィンクする。
「話の途中ですまない。それじゃあ、ちょっと行ってくる」
そうして、躊躇いがちなアベルを首尾よく連れ出したミーア……、であったのだが、
「それで、ボクはなににお付き合いすればいいんだろうか?」
首を傾げるアベルに、思わずミーアは言い淀む。
「うーん、そうですわね……」
ここに来て、まさかのノープランである!
街に繰り出してお菓子屋巡りがよろしいかしら? などと思いかけたミーアであったが、寮から外に出ようとした際、冷たい風に吹きつけられて、すぐさま断念する。
――この寒さでは、外に出るのは少し気が引けますわね。
寒さが厳しい日にはベッドの中から出たくないミーアである。冬の寒さが厳しい街でデートするということは選択肢にない。欠片もない。
――とすると、どこか学内で……ん?
その時だった。ふいにミーアの耳がとらえた音。それは、弾むような楽しげな音楽だった。
ミーアは思わず吸い寄せられるようにして、音楽が聴こえた方向、大ホールへと向かう。
聖夜を祝う燭火ミサの後に開かれる盛大な宴会、そのための準備が進むホールでは、現在、飾りつけの作業が佳境を迎えていた。
どこか荘厳な雰囲気のする木の壁には、普段はしまい込まれている黄金細工の聖画が飾られていた。壁の天井付近には、華々しい赤い布が垂れ、賑やかな祝祭の空気を演出している。
そして、ホールの前方には巨大な楽器を抱えた楽団が、たたずんでいた。どうやら、当日のダンスパーティーの曲のリハーサルを行っているらしい。
それを見て、ミーアの脳裏に閃くものがあった。
「ダンス……、あ、そうですわ」
頭に浮かんだのは新入生歓迎ダンスパーティーの時の出来事だった。思い返してみれば、あの日以来、いろいろあってアベルとダンスをすることができていない。
「うん、そうですわね。せっかくですし、聖夜祭の前に、アベルのダンスの腕前を見て差し上げますわ」
「え? それはどういう……」
「申し訳ないですけど、ここ、少し借りますわね」
「ちょっ、ミーア!」
戸惑うアベルの手をしっかりと握りしめて、ミーアはホールの片隅、空いているスペースに向かった。
周りの者たちが驚くのをよそに、ミーアはアベルにそっと身を寄せる。
「さ、踊りましょう、アベル」
そうして、ミーアは、スカートの裾を華麗に掴んだ。
最初、呆気にとられた様子だったアベルだったが、やがて苦笑いを浮かべて、
「今日はやけに強引だね、ミーア」
その指摘に、ミーアは挑発するような笑みを浮かべる。
「あら、ご存知ありませんでしたの? わたくし、もともとわがまま姫として知られておりますのよ?」
「そうなのかい? ということは、いつもの調子が戻ってきたということか……。それなら、協力しない手はないな」
そう言うと、アベルもミーアに身を寄せる。そうして、二人は華麗にステップを踏み始めた。
周りで聖夜祭の準備が進む中、踊る二人……。一見すると、ロマンチックに見えなくもな……いや、ぶっちゃけ……邪魔である。邪魔者以外の何物でもない。こいつら、周りで必死に仕事してるのに空気読めよ! という話である。
そんな無軌道な若者二人を前に、楽団の者たちは呆れ……ることはなく、むしろノッた!
もともとは、ノリのいい人たちなのである。しかも、彼らは新入生歓迎ダンスパーティーでも演奏を担当していた者たちだった。あの夜のミーアのダンスを知っていた彼らは、熱狂の夜を思い出し、即興で二人のダンスに合わせて曲を弾き始めた。
賑やかな、ノリの良い曲に、ミーアは上機嫌に笑い、
「あら……うふふ、二人だけで楽団を独占ですわね」
音楽に合わせて華麗に舞った。
そして、その超一流のダンスに、今日はアベルもついてきていた。
「まぁ、アベル、ダンスの腕が上達したのではなくって?」
「はは、それは光栄だ。実は披露する機会はなかったが、あの日以来、こちらも練習していたんだよ」
少しだけ得意げな顔をするアベルに、ミーアは勝気な笑みを返す。
「うふふ、それは感心ですわね。では、もう少し難しいステップをやってみますわよ」
そうして、ミーアは動きを激しくする。
アベルと呼吸を合わせて踊るのが楽しくって、夢中でステップを踏む。時に体を離し、次の瞬間には体を預け、クルリ、クルリ、とアベルの周りを、妖精のように舞い踊る。
時間を忘れてしまうような、楽しいひと時。
夢のような時間……。
ふいに……、
「ねぇ、ミーア、ボクは……、ボクでは不足だろうか?」
真面目な顔でアベルが言った。
「? 不足とは、どういう意味ですの?」
「君が、ここ数日、なにかを悩んでいる様子なのは知っていた。だから、心配していたんだ。ボクにもシオンにも、なにも言っていなかった。もしかして、誰にも言わずに一人で抱え込んでいるんじゃないかって……」
「アベル……」
思わず、感動に言葉を詰まらせるミーアに、アベルは真剣な顔で言った。
「ボクでは、君の悩みを分かち合うことはできないだろうか? ボクはこの通り、凡庸な人間だからなにもできないかもしれないが、それでも君の負担が少しでも軽くなるなら、なんでもやるつもりだ」
優しく気遣う言葉に、ミーアは思わずクラッとする。胸の内をすべて打ち明けてしまいたくなってしまう。
けれど……、ミーアは、こみ上げた思いをすべて飲み込み、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「では、そうですわね……。わたくしにダンスの腕前が追いついたなら、その時に、教えてあげますわ。わたくしの、大切な秘密を」
すべてを、打ち明けても解決にならないことは、すでにわかっていた。彼らに秘密を打ち明けたとしても、自分は彼らの目を盗んで、セントノエル島を出てしまうのだ。
そして、その場合の皇女伝は、言わなかった場合よりもはるかに悲惨だった。
ミーアを失い、自暴自棄になったアベルは悲惨な最期を迎える。シオンも同様に、サンクランドを傾かせてしまう。他の者たちも、同じようにショックで立ち直れなくなってしまうのだ。
ミーアの影響力がいかに強かったかを表すために書かれた記述、それを思い出すだけで、ミーアはなにも言えなくなってしまう。
――打ち明けてしまった方が、わたくしを守り切れなかったことへの後悔は強くなってしまう。それで、アベルまで不幸なことになってしまうなんて、わたくしも死にきれませんわ……。
いろいろな対策を講じては来ても、結局、死ぬことを受け入れつつある自分に、ミーアは嫌な気分になった。首を振り、ミーアはつぶやく。
「……今は余計なことを考えないで、ダンスを楽しむことにいたしましょう」
それは、とても充実した時だった。
なんだか久しぶりに、心から笑ったような気がした。
けれど、楽しくて楽しくて、今死んでしまっても構わないというぐらいに楽しかったはずなのに、ミーアの心の中に、わずかなしこりが残った。
――なんだか、やり残したことが、まだある気がいたしますわ。なにかしら……?
ミーアが、そのことに気づくのはもう少し後のことだった。
思いつく限りの悪行(つまみ食いとか、ベッドの上でお菓子を食べたりとか、朝から甘いものを食べたりとか……)をやり尽くしたミーアが、一つだけやり残したこと……。
そこに、聖夜祭を生き残るための最後のピースがあるということを、ミーアはまだ知らなかった。