第五十九話 帝国にて消えた男……刹那姫ミーア来襲す!
「ふぅ……」
廊下を歩きつつ、アベル・レムノは深いため息を吐いた。
聖夜祭を控えた学園内には活気が満ち溢れているのに、彼の気持ちは沈むばかりだった。
「いったい、どうしたんだろう、ミーアは……」
彼女の元気がないことは、当然アベルも気が付いていた。
ずっと、彼女に追いつきたいと思い、頑張ってきた。
彼女を守れる男になりたいと剣の腕を磨き、その叡智に近づきたいと勉学に励んできた。
けれど、どれだけ頑張ってもアベルには、ミーアがなにを悩んでいるのかが、まったくわからなかった。いや、それだけではなくって……。
「……悩んでいるのに、ミーアは一言もボクに相談をしてくれない」
そのことが、地味にショックであった。
確かに、ミーアは、しばしばその天才に任せて行動してしまう。先日、みなが肝を冷やした毒キノコ騒動しかり、である。天才であるがゆえに、周りへの説明を怠ってしまうことがあるのだ。
それはわかっていて……、あるいは相談してくれなくて寂しいと思っているのが、あくまでも自分がいじけているだけであって……、それは格好悪いことだとも理解できていて……。
それでも……悔しかったのだ。
そうして悶々とすること数日、アベルは意を決してシオンのもとを訪ねることにした。
「ボクでは見えないことも、シオンには見えているかもしれない」
アベルの中で、シオン・ソール・サンクランドは、未だに届きえない高い壁だ。いつかは乗り越えたいと思っているが、その差の大きさに、いつも打ちのめされる相手である。
正直、そんな彼に助言をもらうのは少しだけプライドが傷つくことではあったのだが……。今はそれ以上にミーアのことが心配だった。
ということで、アベルはシオンの部屋を訪れたのだが……。
「おや、君は……」
「これはアベル殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
そこで意外な人物と鉢合わせすることになった。メイドのモニカである。
「やあ、モニカ。君か……」
彼女が間諜としてレムノ王国に潜入していた時には、よく顔を合わせていたものだったが、このセントノエルに来てからは、あまり会う機会もなかった。
「元気そうでなによりだ」
「はい。ラフィーナさまには、よくしていただいております」
「そうか……。しかし、その君がどうしてシオンのところに?」
その問いかけに答えたのはシオンだった。
「少し手伝ってもらいたいことがあったから、協力してもらっているんだよ」
その言葉を裏付けるように、シオンの目の前、机の上に紙が乱雑に積み重ねられていた。
「それよりアベル、君の方こそどうしたんだ? 俺の部屋に来るなんて珍しいな」
「ああ、実は最近ミーアの元気がないようだから、なにか心当たりがないかと思ってね、相談に来たんだが……。でも、お邪魔なようだったら、時間を改めるよ」
「いや、構わない。一休みしようと思っていたところだ」
シオンは、グッと体を伸ばして、大きく欠伸をした。
「そうかい? しかし、お疲れのようだけど、いったいなにをしていたんだ?」
怪訝そうに眉をひそめるアベルに、シオンは一枚の紙を差し出した。
「ああ、実は……、これを調べていたんだ」
「うん? これは……、イアソン、ルーカス、マックス、タナシス、ビセット……、なんなんだい、この名前は?」
見たことのない名前の羅列に、アベルは内心で首を傾げる。
「ミーアの元気がないことは、俺も気付いていた」
そう言って、シオンは肩をすくめた。
「だから、心配はしていたんだが、あいにくと彼女を元気づける方法が思い浮かばなかった。だから、俺は俺にできることをしようと思ったんだ」
「君にできること……?」
「そうだ。先日来、俺はずっと風鴉のことを調べなおしていたんだ。レムノ王国での失態を取り戻すため、名誉挽回のためになにができるか、と、ずっと考えながらね」
その言葉でアベルは、生徒会選挙の時にシオンが言っていたことを思い出した。
生徒会選挙に立候補するようにミーアに誘われた際、シオンは名誉挽回の機会は自分で作る、と言っていたのだ。
「その名前の羅列は、帝国内に潜伏していた風鴉の構成員が使っていた名前だ」
「風鴉の……? 帝国内から引き揚げてきた内の誰かが使っていた、ということかい?」
「いや、そうじゃない。帝国内で行方をくらませた構成員が使っていたものなんだ」
「行方をくらませた……」
その言葉に、ピンとくるものがあった。アベルはわずかに声を低くして言った。
「もしかして……、以前、蛇の情報をもたらしたと言っていた者のことかい? 確か帝国四大公爵家の一つが混沌の蛇と関与しているという情報を伝えてきたという……」
「ああ、さすがに勘がいいな。その通りだ」
シオンの言葉を補足するように、モニカが口を開いた。
「その方は、私の師でもあった方で……。帝国に対する諜報網の基礎を築いた人でした。現地の協力者たちをまとめ上げる、諜報責任者と呼ばれる立場の方で……」
「もしも、その男が生きていたら……。彼の持っている情報はきっとミーアのために役立てることができると、思ったんだがな……」
シオンは小さく首を振った。
「なかなか、上手くはいかないものだ」
「やはり、もう消されている可能性が高いということかい?」
「それもあるが、ここからでは調べられることにも限界がある。なにしろ、帝国内の風鴉は全員、本国に撤収してしまったからな。一応はモニカに、風鴉の緊急用の連絡法を試してもらっているのだが、今のところ反応はなしだ」
そう言って肩をすくめるシオンであったが、アベルは感心しつつ、それを見ていた。
――シオンは着実に自分がすべきことをして、ミーアの力になろうとしている。それなのに、ボクは、なにをやっているんだ……。
思わず、ため息を吐くアベルだったが、ふいに、その肩をシオンに叩かれる。
「しっかりしろよ、アベル。ミーアが元気がないというなら、元気づけるのは君の役目だぜ」
「ははは、できる自信はないが……。でも、そうだな、せいぜい頑張ってみるとしよう」
ミーアがなにを考えているか、理解することは難しい。その悩みを共有してくれることも、もしかしたらないのかもしれない。
けれど、ミーアを元気づけることぐらいはできるはず……。
「ボクはボクにできることを、か」
そんな、いたって真面目な話をする男子ズのところに、
「ああ、こんなところにおりましたの。アベル、ちょっとよろしいかしら?」
刹那を生きる女、ミーアが来襲した!