第五十七話 ミーアの憂鬱(表)
秋も深まり、徐々に冬の足音が聞こえるような寒い一日。聖夜祭を一週間後に控えたある日のこと。
ミーアの部屋には、友人のラーニャ・タフリーフ・ペルージャンが訪れていた。
ペルージャン農業国では、毎年、聖夜祭に、自国の果物で作ったお菓子を提供している。各国の王侯貴族の子弟が集まるセントノエルである。クロエなど商会の関係者も多いため、目をつけてもらえれば、大きな商売に発展する可能性が高い。
そんなわけで、ペルージャンの姫君たちは気合を入れて、例年、新商品のお菓子を売り込んでいくのである。
この日、ラーニャは聖夜祭に出す予定のお菓子を持参して、ミーアの部屋に来ていた。ミーアに食べてもらって、アドバイスをもらうというのが表向きの理由であったが……、本当の目的は別にあった。
それは……。
「あの……、アンヌさん、少しよろしいですか?」
つつがなくお茶の時間が終わり、ミーアの部屋を出たところで、ふいにラーニャが立ち止まった。見送りに出てきたアンヌに、ひそめた声で尋ねる。
「はい、なんでしょうか?」
首を傾げるアンヌに、一瞬、躊躇した様子を見せたラーニャだったが、やがて意を決して口を開いた。
「ミーアさま、お元気がなさそうでしたけど、どうかされたんですか?」
実のところ、ラーニャがお菓子を持参してきたのも、ミーアの心配してのことだった。
最近、ミーアは元気がないのだ。
いつも沈んだ顔で、気付けば憂鬱そうにため息をこぼしている。
今日も、お菓子で元気になってもらおうと、選りすぐりのものを持ってきたラーニャであったが……。
「ミーアさまが、お菓子を残されるなんて初めてだったから……私、動揺してしまって……」
そう、先ほどミーアのお皿には、きわめて珍しいことにお菓子が残されていた。
いつも完食し、器用にも欠片も残さずに平らげていたミーアが……、である。
ちなみに、本日出されたのは、フルーツをふんだんに使ったパイだった。ミーアが残したのは、パイ生地の端っこの部分、ちょっぴり固くなってる部分である。甘くて柔らかい部分はちゃっかり食べているあたりは、さすがミーアである。
まぁ、それはさておき、最近、ミーアに食欲がなさそうだということは、すでに周囲の者たちも知るところとなっていた。
食堂でも必ず一口分程度は、いつでも残すようになってしまい、厨房のスタッフも心配していた。
「もしかして、毒キノコでお腹を壊した影響がまだ残ってるんじゃ?」
などと気を利かせて、消化に良い物を作ってくれたりもしたのだが、その追加の料理も、やっぱり一口分程度残してしまっていた。
パンの一欠けらも残さない主義のミーアにしては、これはとても珍しいことだった。
ちなみに、すでにお気づきのこととは思うが、通常の料理九割と、追加の料理を九割食しているので、食べている量としては増えているのだが……。
食べ物を残さないはずのミーアが残したというイメージが強すぎるため、その真実に気づく者は、残念ながら一人もいなかった。
「お心遣い、感謝いたします。ラーニャ姫殿下」
アンヌは深々と頭を下げて、それから、苦しげに顔を歪めた。
「ですが、私にもわからないのです。情けない話ですが……、ミーアさまが、なにかに悩んでおられることは確かだと思うのですが……、私にお話しくださらないんです」
「そう……ですか」
ラーニャは、心配そうにアンヌの顔を見つめていたが……。
「きっとなにか理由があるんだと思います。ミーアさまのことですから。だから、あまり気落ちしないでください。私の方でも、元気を出していただけるように、いろいろと考えてみますから」
そう言って去っていくラーニャに、アンヌは深々と頭を下げた。
部屋に戻ると、ミーアがぼんやり、窓の外を眺めていた。
はふぅ、と切なげなため息をこぼすミーアに、アンヌは悲痛な表情を浮かべる。
「ミーアさま……」
思い出すのは、ミーアが毒キノコを食べて倒れた時のことだ。
――あの時、ミーアさま、約束してくださらなかった……。死地に赴く時に、私の同行を許してはくださらなかった。
アンヌは、ちゃんとミーアの言葉を聞いていた。一言一句、聞き逃さないように聞いていて、そして、ミーアが、あえて言及を避けたことにも、きちんと気が付いていたのだ。
――もしかしたら……、近々、あの時みたいに危険なことが起こるのかもしれない。それで、ミーアさま、不安で……、でも、私のこと巻き込まないようにって、一人で抱えこんでおられるのかもしれない。
さらに、ここ最近、アンヌには気になることがあった。それは……。
――最近、ミーアさま、少しお肌が荒れてる気がする。もしかして……、なにか心配事があって、寝てないのではないかしら……?
そのことに気付いてから、何度か夜中に様子を見に行ったことがあったが、その時にはぐっすり眠っているように見えた。でも……。
――ミーアさまのことだから、私に心配させないようにって、弱ってるところを見せないということだって考えられるわ。ミーアさま、そういうところあるから……。
……そうだっただろうか? 割と、アンヌには弱味を見せまくっているような、そんな気がしないではなかったが……。
それは、ともかく、アンヌはミーアのことを大変心配していたのだ。心から心配していたのだ。
だが……、ミーアが、本当に夜も眠れぬほどに悩みぬいていたのかというと……。
実はそんなことはなかったりするのである。




