第五十四話 シュトリナにはお友だちがいない
シュトリナ・エトワ・イエロームーンは、可憐な少女だった。
いつでも花が咲くような笑みと、鳥が歌うような声で、心が弾むような話をしてくれる。
たくさんの人に囲まれて、可愛がられる、愛らしい少女だ。
事実、社交界に顔を出せば、彼女の周りにはいつでも人がいた。
……でも、彼女には友だちはいなかった。なぜなら……、それは。
「まさか、ミーア姫殿下ご自身が、偽ヴェールガ茸を食べるなんて、予想外だったわ」
一日の終わりが近づく夜の時間。
それは、日の光を恐れる悪人が、悪だくみをする時間……。
シュトリナは、自室で髪を整えてもらっていた。
しゅ、しゅっとリズミカルに、髪をすく音が響いていた。
椅子に腰かけたシュトリナ、その長い髪を従者であるバルバラが丁寧に手入れをしていた。ベテランのメイドに相応しく、その手際は見事なものだった。
「まったく、最悪ね。まさか、火蜥蜴茸が見つかってしまうなんて……」
手鏡で、自らの髪が整えられていくのを見ながら、シュトリナは、ふと思う。
そういえば最近は、お風呂に入る回数が増えたな、と。
皇女ミーアに近づくため、入浴に適した薬草を探したり、ミーアの妹分であるベルと一緒に、お風呂に入ったり……。
そんなことをしていたせいか、シュトリナの髪は今まで見たことがないぐらいにキレイに輝いていた。
――まぁ、そんなのは、どうでもいいけど……。
シュトリナは、瞳を閉じて話を続ける。
「お父さまから、なにか連絡は?」
「最近は、皇女ミーアの手の者の監視が強化されているらしく、迂闊に連絡を取れないとのことです。手紙なども、恐らくは監視の対象でしょう」
「あら、失礼な人たちね。愛娘からお父さまへのお手紙も覗かれているなんて……」
もちろん、手紙に危険なことを書く際には、イエロームーン家に古くから伝わる暗号を用いて書くようにはしているが……。それでも油断はできない。
相手は、かの帝国の叡智の配下なのだから。
「お父さまが、その者たちを始末してくださるまで手紙でのやり取りは危ないかな。ああ、面倒くさい」
ため息をこぼすシュトリナ。そんな彼女に、バルバラの感情のない声が尋ねる。
「なぜ、あの場でミーア姫殿下を始末してしまわなかったのですか?」
「あの場で? あの二人を、リーナ一人で殺せばよかったって、そう言うの?」
「シュトリナお嬢さまであれば、それも可能であったのではないかと……」
探るような上目遣いで見つめてくるバルバラに、シュトリナは笑みを浮かべた。
「殺すだけならもちろんできるわ。でも、あそこで殺してしまったら、捜索に来た者たちに火蜥蜴茸も見つかってしまうでしょう? それにリーナが疑われてしまうわ。それは、意味がないことでしょう?」
あの時、シュトリナにできたことは、ほとんどなかった。
生徒会のメンバーに火蜥蜴茸を見つけさせないこと、あるいは見つけたとしても、それが猛毒のキノコであると知られないこと……。
それ以外に、聖夜祭における毒殺テロを成功させる道はなかったのだ。
帝国の皇女、ミーアを殺してしまえば、その死は必ずや注目を集める。
仮に崖からの転落死を装ったところで、辺り一帯を調べられることは目に見えている。皇帝は愛娘、ミーアの死に怒り、悲しみ、公国に徹底した調査を要求するだろう。
その結果、シュトリナに疑いの目が向くかもしれない。
もし、そうなれば……、暗殺計画を実行することなど、できるはずもない。
「それでは意味がないって、リーナは思ったのだけど、間違っていたかしら?」
小首を傾げるシュトリナに、バルバラは無言で視線を送っていたが……。
「なるほど、ご賢明な判断であったかと……。さすがはシュトリナお嬢さま」
小さく頭を下げると、バルバラは、無言でシュトリナの後ろに回った。そうして、彼女の美しい髪を櫛で整えていく。
「しかし、やはり皇女ミーアは邪魔ですね……。このままでは、我々の計画の邪魔になることは確実でございます」
「そうね、なんとかしないといけないって、リーナも思ってるわ」
歌うような、朗らかな口調で、シュトリナは言った。
「おや……、お嬢さまもそうお思いですか?」
対して、バルバラは、わずかながら意外そうな顔をした。
「あら、当たり前でしょう? 帝国の立て直し、レムノ王国の革命阻止に続いて、今回のことですものね。計画をこれだけ潰されたんですもの。なんとかしなきゃって、誰でも思うわ」
「そうでしたか。それは好都合。であれば、聖夜祭の暗殺の標的を皇女ミーアに変える、ということにも、ご同意いただけますか?」
その言葉には、さすがのシュトリナも驚いた顔をした。
「簡単に言ってくれるわね。毒を手に入れる手段もなくなったし、いったいどうやって、ミーア姫殿下を手にかけろというの?」
肩越しに振り替えるシュトリナ。すると、バルバラが、抱きすくめるように、首筋に腕を回してきた。
「これを……お使いになればよろしいではないですか」
なにかをシュトリナの首に巻き付けた後、バルバラは身を離した。
あとに残されたもの、シュトリナの首にかかっていたもの……、それは、ベルがプレゼントしてくれた馬のお守りだった。
「あの少女は、皇女ミーアのお気に入りなのでしょう? 利用するつもりだと、お嬢さまも言っておられたではないですか? それをつけたところを見せて、喜ばせて……甘い言葉で心を操ればいい。心を支配するは、我々、蛇の得意とするところ……そうではありませんか?」
「でも……」
なにかを言いかけたシュトリナだったが、まるで、それをかき消すように、バルバラが言った。
「今までだって……幾度もやってきたことでしょう?」
それを聞き、すとん、とシュトリナの顔から、表情が消える。
対照的に、バルバラはねっとりと笑みを浮かべた。
「大丈夫、上手くいきます。この、バルバラがついております」
まるで、蛇が笑うかのように……。
シュトリナ・エトワ・イエロームーンは、可憐な少女だった。
誰からも愛され、大切にされるはずの少女には、けれど、友だちが一人もいなかった。
なぜなら彼女が、お父さまに言われて親しくなる子は……彼女のお友だちは、みんな破滅していったから。
父親が死に、母親が死に、時にはお友だち自身が……。
でも、シュトリナは別に悲しいとは思わなかった。相手は自分と同じ貴族だ。友誼を結ぶのには、必ず裏があるし、贈り物には打算がある。きっとそうだ。そうに違いない……。
だから……、いなくなったって気にしない。
悲しくもないし、つらくもない……。
お友だちが彼女の前からいなくなった時、その子からもらったプレゼントを捨ててしまうのが、いつしか、シュトリナの習慣になっていた。
――今までも幾度もやってきたこと……。また、捨ててしまえば、なんとも思わない。
そうしてシュトリナは、首にかけられた馬のお守りをギュッと握りしめるのだった。