第五十三話 キノコ食い聖人、ミーアの沙汰
「せっ、聖人ですと? それは、いったい……?」
解せぬ、という顔をするサンテリ(……とミーア)にラフィーナは静かな口調で言った。
「サンテリ、あなたは本気でミーアさんが、利己的な目的のために、あんなことをしたのだと思うの?」
「そうではない、と……、ラフィーナさまはそうおっしゃるのですか?」
ラフィーナは重々しく頷いて、
「もちろん、違うわ。そうよね? ミーアさん」
話を振られたミーアも重々しく頷く。
正直なところ、ラフィーナがなにを言っているのか、まったく理解できないミーアであったが、それはそれ……。波に逆らわず、長いものには抵抗なく巻かれていく、ミーアらしさが光る行動である。
ミーアの神妙さを装った顔を見て、満足げな笑みを浮かべるラフィーナ。
「そう。ミーアさんがそんな愚かで、自分勝手なことをするはずがない。悪ふざけや冗談でやったというのも違う。そもそも、おかしいとは思わない? キノコ狩りに行った先で猛毒キノコを見つけたこと、そこから、わざわざ弱毒性の方のキノコを持ち帰り、誰にも知られずに、それを秘密裏に鍋に入れた上に、入れた本人が……、本人だけが、食べる? こんな偶然があるかしら? まるで、わざと自分が毒を食べようとして行動したみたいじゃない」
「それは、まぁ……、普通の行動とは思いませんが……」
ミーアの異様な行動はサンテリも認めるところである。
「ミーアさんの行動には、しっかりとした目的があったはずだわ」
確信に満ちた口調で、ラフィーナは断言する。
「もっ、目的……。それは……」
ミーアは、固唾を飲んでラフィーナの言葉を待った。今明かされる、"自分自身"の行動の裏に隠された驚愕の目的を知るために!
「その目的は……、聖夜祭の警備体制を改善すること……」
「なっ!? それはどういう意味でしょうか? 我々の警備に不備が?」
憮然とした顔をするサンテリ。その態度からは、自己の仕事に対する揺らがぬ自負が感じられた。
「ない……、とは言えないのではないかしら? ミーアさんは、毒を”持ち込めないはず”の島で、毒を混入させられないはずの場所で作った鍋に毒を入れ……、そして食べたのよ?」
「それは……」
サンテリは一瞬言いよどむも、すぐに首を振る。
「なるほど。確かに、この島の中に毒キノコが生えていたことを見つけたのはお手柄であったでしょう。我々の想定外のことではありました。しかし、たとえこの島で致死性の毒キノコを入手できたとして、それを聖夜祭の警備を破って入れられたとは思いません。状況が違うではないですか?」
サンテリの言を受けても、ラフィーナは厳しい表情を崩すことはなかった。
「そう……、確かに生徒の食べるもの、宴会にて供されるものに入れることは不可能かもしれない。今日以上に厳重な警備態勢が敷かれるでしょう。けれど……、それでは従者の方たちに出されるものに対してだったらどうかしら?」
ラフィーナは上目遣いに、サンテリを見つめる。
「私たち、生徒会の役員に今日ふるまわれたものと、従者たちに聖夜祭の日にふるまわれるもの、どちらの方が、厳重な監視の下で作られるかしら?」
暗殺が行われるのは、なにも聖夜祭の日に限ったことではない。普段のラフィーナたちに対する警備だとて、十分に厳重なものなのだ。
だから、聖夜祭の日の従者たちへの警備、どちらが厳重かと問われれば前者としか答えようがないサンテリであるのだが……、
「従者……でございますか?」
怪訝そうな顔で、サンテリは言った。
「それは、確かに、従者の者たちに供されるものであれば、毒物を混入することも可能かもしれませんが……、その者たちに毒入りの料理を出すようなことを、下手人がいたしますでしょうか?」
「国の要人を殺害し、その国に混乱を引き起こすという目的なら、それをする意味はないでしょうね。けれど、我がセントノエル学園の評判に傷をつけるためだったら、どうかしら?」
それはサンテリ自身が言ったことだ。今回のような不祥事は、セントノエル学園生徒会、栄えあるその名誉に傷をつけることになる、と。
「もしも、これで各国の従者たちが、このセントノエルで殺されたとしたら? 混沌の蛇と戦うために、みなをまとめ上げる立場のヴェールガ公国が、そのような失態をしてしまったら団結に亀裂が入ってしまう……。そうは思わないかしら?」
ラフィーナは静かに瞳を閉じて言った。
「ミーアさんは、その危機を証明してくれたのよ。体を張ってね」
「まさか……。大帝国の姫君が、そのようなことをするはずが……」
サンテリは驚愕の表情で、ミーアの方を見つめる。突然、視線を向けられて、油断していたミーアは、一瞬混乱。手でも振っておこうかしら……、などと手を上げかけたところで……、ラフィーナの声が遮った。
「いいえ、ミーアさんならば、やるわ……。他の誰かが傷つくぐらいならば、自分が傷つくことを選ぶ。ミーアさんは、そういう人よ……」
そういう人ではないミーアとしては、「そ、そんなに持ち上げられても……」などと思わなくもなかったが……、当然、口にはできない。
長いものには巻かれるのがミーアの基本戦術なのである。
ラフィーナがそう言うなら、そうなのだ!
「あなたもよく知っているでしょう、サンテリ。大切な友のために命を捨てる。これ以上に大きな愛はないと、中央正教会の聖典には、そのように書かれているわ。けれど、それを躊躇なく実践できる者が、果たしてどれだけいるかしら? 警備の不備、毒殺の危険性を明らかにするために、自ら毒キノコを食べる……。誰かのために……従者のために、平民のために……、それができる人がいるかしら?」
なんだか、自分に対する評価が危険な水域まで上昇しているのを感じないではないミーアだったが……、反論などしない。
ラフィーナがそう言うなら、そうなのだ!
――ミーアさんという方は、誰かのために毒キノコを進んで食べる、自己犠牲の人……。どこのミーアさんか知りませんけれど、ラフィーナさまが言うことに間違いなどございませんわ!
自分にそう言い聞かせるミーアである。
「実は、生徒会で相談していたの。聖夜祭の警備に不安がある、と。そうしたら、ミーアさんが、この件は任せるように言ってくれた、そして、あなたをあの鍋パーティーに呼ぶように進言してくれたの」
そっと胸に手を当てて、ラフィーナは、
「だから、今回の騒動はすべて私のせい……。もしも責められるべき人がいるとするなら、私よ」
静かな、穏やかな声で言うのだった。
――自己犠牲、か……。懐かしい、言葉だ。
ラフィーナの話を聞きながら、サンテリ・バンドラーは、ふと遠い昔のことを思い出していた。
彼は、もともとは公国の衛兵だった。
幼き日より、聖典を固く信仰していた彼は、将来は聖職者になることを嘱望されていた。けれど、彼が選んだのは公国軍の衛兵という道だった。
聖典の教えである≪自己犠牲の精神≫が、自らの身を盾として貴人を守る衛兵と重なるように、彼には思えたからだ。
そうして、彼は衛兵となり、栄えあるセントノエル島の警備主任にまで上り詰めた。
この数十年、誠心誠意、自己の仕事に邁進してきたという自負はあった。けれど……、いつからだろう? そこに、驕りの心が入ってきたのは……。
――神の教えに従って人々を守るために仕えてきたつもりだったが……、いつの間にか、自らの成してきた仕事を神としていたのか……。
まさか、年端もいかぬ少女に自己犠牲を強いてしまったのが、自分自身だったとは……。
どこか、悄然とした顔で、サンテリは、ミーアに頭を下げた。
「私が頑迷なばかりに、ミーア姫殿下に多大な苦痛を強いてしまったこと、謝罪のしようもございません」
それから、サンテリはラフィーナの方に顔を向け、やはり深々と頭を下げた。
「ラフィーナさま、私を、どうか警備から外していただきたく……。また、必要とあらばいかなる罰も受ける覚悟にございます」
「ダメよ、サンテリ。残念だけど、それは認められない」
サンテリの覚悟の言葉は、けれど、ラフィーナによってあっさりと却下された。
「なぜです……? ミーア姫殿下に、毒キノコを食べることを強いてしまったのです。責任を取らなければ……」
「確かに身を引くことは潔い態度といえるでしょう。自らの行動に罪の意識をもってしまったのなら、罰を求めようという心情も理解はできます。けれど……、ミーアさんは、そんなことを望んでいないわ」
そうして、ラフィーナはミーアの方に顔を向けた。
「え? ああ、ええ……。そうですわね……」
完全に置いてけぼり状態だったミーアは、急に話を振られてわずかに慌てる。
気分を落ち着けるために、目の前のお茶に手を伸ばして一口。
ほふぅっと息をこぼしつつ、考えをまとめる。
――まぁ、わたくしが勝手に毒キノコを食べてしまったせいで、この方を辞めさせるのは、後味が悪そうですし……。後で、もしも適当な考えで毒キノコを食べたことがバレたら……、それこそ大変なことになりますわ。
常に最悪な事態に備える。それこそが、小心者の戦略というものである。
自分勝手な理由で忠臣を解雇させられたと知ったら、ラフィーナはきっと怒るに違いない。
それは怖い! 想像しただけで、お腹が痛くなってくる。
――ここは、後でバレても大丈夫という形を作っておいたほうが、きっと心休まるというものですわね。同時に、あまり掘り返されないよう蓋をしてしまえれば、なおよいというもの。
となれば……。
素早く計算を整えて、ミーアは聖女のごとく穏やかな笑みを浮かべた。
「わたくしは、"勝手に毒キノコを食べた"という罪を、ラフィーナさまに許していただきました」
まず……、自らの勝手な行動を不問に付すことを"既定事実"としてしまう。それに加えて、
「わたくしは、別にそうだと思いませんが、ラフィーナさまは、わたくしに罪悪感を覚えておられるご様子。ですから、わたくしは、あえて、ここに宣言いたします。ラフィーナさまのわたくしに対する罪を許すことを」
ラフィーナが今回のことを気に病んで、おかしなことをしないように釘を刺す。この話は、これでおしまいにして蒸し返さないように! という配慮である。
不都合な真実に、「それはもう終わったこと」という、蓋をしてしまおうというミーアの力業が光る。
そして、その仕上げとして……。
「わたくしも、ラフィーナさまも許されるのであれば、あなた一人に罪を背負わせることはフェアではないと考えますわ。だから、あなたもまた、許されるべきですわ」
サンテリのせいにしてこの場を乗り切れば、きっと後に禍根を残す。
責任を取らされた者には後々まで不満が残り続け、それに突き動かされて、なにかのきっかけで過去を掘り起こそうとするかもしれない。
それではまずいのだ。ミーアの理想は、みんなで有耶無耶にすることである。
仮に、掘り起こされても問題にはならないようにしつつ、掘り起こす気にもさせないようにする。
二重三重に蓋をして、それから、やりきった顔でミーアはサンテリの方を見た。
そして、ふと気づく。
サンテリの頑固そうな顔が、わずかばかり崩れていることに。それは、たとえて言うならば、そう……、固い雪が溶け、その下から柔らかな土が覗いているかのような……そんな印象だった。
もしかしたら、今ならば……。
ミーアは急遽、ここで付け足すことにする。
「ただ、一つだけ言わせていただけるならば……、わたくしは、あなたの仕事に敬意を払っておりますわ」
まず、ヨイショ。これが基本である。その上で、
「そして、これからも、その仕事に全身全霊をかけて邁進することを期待いたしますわ」
種を蒔く。
サンテリの仕事は、ミーアたちの命に直結する大切なものだ。だからより一層、熱心に励んでもらえるなら、それに越したことはない。
――今ならば、警備に手を抜くなと言っても素直に聞いてもらえそうな雰囲気ですし……、それにもしかしたら、サンテリさんの警備に気合が入ることで、わたくしの暗殺が防がれることだって……。
聖夜祭における、自らの死亡を防ぐべく、打てる布石はすべて打つ。
小心者の戦略である。
「ああ……なるほど。確かに……」
ミーアの言葉を聞いたサンテリは、一瞬、呆けた顔をした後、
「確かに、あなたは聖人の名に相応しい方だ。であれば、このサンテリ、そのお言葉を胸に刻み、職務に当たろうと思います」
ミーアの前に片膝をつき、誓いの言葉を述べたのであった。
サンテリ・バンドラーは、その生涯をセントノエル島の警護のために費やすことになった。
この老警備主任は、常々、若い者の意見を聞きたがり、決してそれを軽んじることがなかったという。
「私は、自分より知恵のある者がいることを知っている。経験を重ね、老年になった自分の思考が硬直しがちであることも知っている。だからこそ、経験が不足していようとも、柔軟な思考を持った若者の考えを真剣に聞かなければならない。あらゆる不測の事態に対処できるよう、あらゆることを検討し、常に視野を広くもたなければならない」
その老人の信条は、セントノエルの警備の礎となり、島の治安はより一層、強固なものとなっていくのであった。