第五十一話 ミーア姫、泣かせてしまう……
毒キノコを食べて昏倒したミーアは、その後、三日間の安静を言い渡された。
幸いすぐに嘔吐薬を処方されて、胃の中身をすべてひっくり返したので、毒の影響は最低限で抑えられた。
乙女的にはいかがなものか? というあれやこれやがあったものの、ミーアはすぐに健康を回復した。
そのおかげで、今回の出来事は自分の不注意で起きたことだから、周りの者に累が及ばないように、ということもラフィーナに伝えることができた。そうでなければ、今頃は、混沌の蛇用に"専門家"たちを集めて、尋問部隊を編成、送り出している頃だっただろう。
まぁ、それはよいのだが……。
「んー、暇、暇、暇ですわー」
ベッドの上で、ミーアが退屈そうに言った。
なまじっか元気になってしまうと、横になり安静にしているのが苦痛になってくる。
まして、食事は味気ない病人食になってしまったために、ミーアの日常は一気に楽しげのない、灰色なものになってしまっていた。
まぁ、同情の余地などまったくなく、完全無欠で自業自得なわけだが……。
ということで、暇を紛らわすべく、ミーアはお抱え作家のエリスが送ってきた原稿を読み直そうと思ったのだが、あえなく、アンヌに見つかり取り上げられてしまった。
こうなってくると、ミーアとしてはなにもすることがなく、今まさに退屈に体が腐ってきそうになっていた。
「あ、そうですわ……。ねぇ、アンヌ、なにか、楽しい話をしていただけないかしら?」
そうして、ミーアは部屋の掃除をしていたアンヌに話しかけた。
唐突に楽しい話をしろというのは、なかなかの無茶振りである。けれど、ミーアは、このぐらいならば、甘えても大丈夫と思っていた。
忠臣アンヌは、このぐらいならば許してくれると……。
だから……、
「あ……あら?」
返事がいつまでもないことにミーアは一瞬戸惑う。それから、アンヌの方に目を向ける。と、アンヌは、一瞬だけミーアの方に目を向けてから、つい、と顔を背けてしまった。
「……え?」
明らかに様子がおかしい……。
そのことを敏感に感じ取ったミーアは、慌ててアンヌに言った。
「ちょっ、どうかしましたの? アンヌ」
そう話しかけても、こちらを振り返らないアンヌ。どうやら、なにか怒ってるみたいたぞ? と、ミーアは気づく。だが……、その理由がわからない。
「ど、どうなさいましたの? わたくし、なにかあなたにしたかしら……?」
まったく心当たりがないものの、ミーアは慌てて、ベッドの上に起き上がり、正座する。
――どうしましょう、いったいなぜ……?
普通であれば、主君に対して従者が、こんな形で不満を露わにすることなどあり得ない。
確かにミーアとアンヌの関係は普通の主従ではない。ミーアはアンヌのことを大切な従者として大切に思っているし、この程度の無礼はなんとも思わない。
けれど、アンヌがミーアの恩情に甘えることも今まではなかったのだ。
しっかりと従者の礼を尽くしてきていたのだ。
そんなアンヌが、無視をした。怒って、ミーアの呼びかけに応えようとしないのだ。
これは、よほどのことだ、と、ミーアはオロオロするばかりである。
しばしの重たい沈黙……、その後……、アンヌは口を開き、
「ミーアさま……、また……、私を置いていきました」
ミーアと目を合わさないまま、絞り出すように言った。
「へ? あ、ああ……それは……」
あなたが、疲れていそうだったから……、そう言い訳しようとしたミーアだったが……、アンヌの顔を見て、思わず息を呑んだ。
「森の奥で崖から落ちたって……、私は心臓が止まってしまうかと思いました」
アンヌがミーアの方に顔を向ける。その瞳は潤み、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……アンヌ」
それを見て、再び慌てるミーア。思えば、こんな形でアンヌを泣かせてしまうことは、初めての経験で……、だから、どうすればいいのかわからなかったのだ。
「それに……、鍋もそうです……。ミーアさまには、きっと深い考えがあるんだって、私は信じてます。だから……、どうして毒キノコを採ってきて鍋に入れたのか、どうして、それをご自分で食べたのかは、聞きません……でも……」
と、そこで、アンヌの顔がくしゃり、と歪む……。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、止めどなく流れる涙。
震える声で、アンヌは言った。
「もし……、もしも……、次に危ないことがある時には、私も絶対についていきます。どこまでだって、一緒に行きます。どんなに危ない場所にだって行きます。馬にだって乗れるようになりました。剣だって、必要ならば覚えます。だから……、だから、私を……、置いていかないでください」
深々と頭を下げるアンヌに、ミーアは、
「アンヌ……あなたは……」
一瞬、言葉に詰まる。鼻の奥がツーンとしてしまい、声が震えないように気を付けなければならなかったからだ。
少しの間、黙り込んでから……、ミーアは言った。
「あなたは……、本当にわたくしの腹心ですわ……アンヌ」
彼女の示した忠義に、ミーアの心は深く、深く、感動して……。でも……、
「ええ……、あなたの気持ちはよくわかりましたわ。その忠義、わたくしの心の中にとどめておきますわ」
曖昧なことを口にして……、約束しなかった。
なぜならミーアは知っていたからだ。このままでは自分の命が、この冬までで終わることを……。
そして、その死に方は、アンヌを巻き込みかねないようなものであることを……。
――万が一、もしもわたくしが死んでしまうのであれば……、それにアンヌを巻き込むわけにはいきませんわ。
彼女の示してくれた忠義に、優しさに、そんな形で応えることはできないと……、ミーアは、心の中で首を振った。
――それに、ベルのこともございますわ……。
もしも、自分が死んでしまったら、誰に大切な孫娘を任せればいいというのか……。
ふいに、ミーアは未来の自分のことを思った。
毒殺されたという自分も、きっと娘や孫のことを託す相手がいたから、安心して死んでいくことができたのではないか、と。割と苦しい死に方だったとはいえ……。
――ま、まぁ、ともかく、別に危ない目に遭おうとしているわけじゃありませんし? 当日は寮の部屋に閉じこもっていればいいだけで、うん、大丈夫ですわ。きっと……。
そんなミーアの心情を知ってか知らずか、アンヌは涙で赤くなった瞳で、じっとミーアを見つめていた。まるで、ミーアの胸の内を透かし見るかのように。
「ふふ、そんな目で見ないでくださいまし、アンヌ。わたくし、そうそう危険に突っ込んでいったりはいたしませんから」
はぐらかすように笑うミーアを見ても、アンヌは黙ったままだった。
…………ちなみに、この"ちょっぴりいい話風"の主従の会話……、ミーアがノリノリで毒キノコを食べてしまったことにより、生まれたものなのだが……。
ツッコミを入れるような無粋な者は、この場にはいないのであった。