第四十八話 黄色くて、白くて……そして……赤い
「う、うーん……」
小さく吐息を吐いて、ミーアはゆっくり瞳を開いた。
ぼやーっと霞む視界……、こしこしと両手で目元をこすり、こすり。
それから体を起こして、辺りを見回した。
「あら……、ここは……?」
そうして、ミーアは思わず絶句する。そこは、なんとも美しい場所だったのだ。
頭上には、繁茂した黄色い葉、その葉がひらり、はらりと落ちてくる。その先の地面の色は、まるで雪が降り積もったかのごとく真っ白で……。
「これは……、白い……キノコ?」
ミーアは、自らの周りを見て、小さく息を呑んだ。
そう、ミーアは、白いキノコが一面を覆った場所に寝転がっていたのだ。
体の下を見れば、まるでミーアを優しく受け止めるかのように、柔らかなキノコの絨毯が広がっている。
「ああ、そうでしたわ……。わたくし、崖から落ちて……このキノコたちがわたくしの体を受け止めてくれたのですわね」
ミーアは、ちょっぴり愛しげに、白いキノコを撫でた。それからふと右の手が握りしめているものに気が付いた。
それは、ベルが作った馬のお守り、トローヤだった。
「ふぅ、なんとか、無くさないでよかったですわ……。ここで落としでもしていたら、探すのが大変でしたわ」
それから、ミーアは恐る恐る立ち上がった。幸いケガはないらしく、どこにも痛みはなかった。
分厚いキノコスーツもまた、ミーアの体を守るのに一役買っていたようだった。
そう、ミーアは今まさに、キノコの加護厚き姫、キノコプリンセスとして覚醒しようとしていたのだ。
……キノコプリンセスってなんだろう?
「それにしても、ケガの功名とはまさにこのことですわね……。図らずも見つけてしまいましたわ……ヴェールガ茸」
ミーアは一面の白いキノコたちを見て、思わずニンマリと笑みを浮かべた。
「なんということですの……、これは、取り放題ではございませんの」
シュトリナは、群生地があると言っていたが、ここはまさにヴェールガ茸(仮)の群生地だった。
「ああ、素晴らしいですわ。早くみなさんをお呼びしないと……」
と、あたりを見回していたミーアは、ふと、あることに気が付いた。
「あら……? あれは……」
白いキノコの絨毯には、よく見ると、点々と色が変わっている場所があった。
さながら、純白の雪原に零れ落ちた血の雫のように……、ぽつり、ぽつりと散った赤い色。不吉な赤色の正体……、かつて見たことがある、それは……。
「ミーアさまっ!」
「ミーアお姉さま!」
可愛らしい声とともに、ガサガサと、なにかが崖を降りて来る音がした。
「ああ、あなたたちも来てくれましたのね……」
やがて、現れたベルとシュトリナの姿を見て、それから、ミーアは視線を上に向けた。
――ふむ、この二人が来られるということは、高さ的には問題なさそうですし、他の方も降りてくることはできそうですわね。キノコ狩りには問題ございませんわ。むしろ、問題は、ここにあるキノコですけど……。
っと、考え事をしていると、次の瞬間、ぼふっという音とともに、体に衝撃が走った!
「うひゃあっ!」
悲鳴を上げて尻もちをつくミーア。見ると、自らにタックルを決めてくれたベルの姿があった。
「うう、無事で、よかったです、ミーアお姉さま」
ぎゅううっと、ミーアに抱き着いてくるベル。
「もう、ベルは甘えん坊さんですわね……」
ミーアは、その頭を優しく撫でてから、
「ほら、ちゃんと、あなたの大切な物は取り戻しましたわよ」
ベルの小さな手に馬のお守りを返してやった。
「あ……これは……」
「あなたが頑張って作ってたお守りですわ。簡単にほどけないように、しっかりと結んでおきなさい。いつも取り戻せるとは限らないですわよ」
偉そうにお説教する口調で、ミーアは言った。
とても木登りに失敗して崖から落ちた人の言葉とは思えない、威厳に満ちた言葉だった。
「……ありがとうございます、ミーアお姉さま」
ベルは再びぎゅうっと、ミーアに抱き着いてきた。
「ふふふ……」
孫娘に懐かれて、満足げなミーアであった。
ひとしきりミーアに甘えて、それから改めて辺りを見回したベルは、歓声を上げた。
「それにしても、とっても綺麗な場所ですね、ミーアお姉さま」
走りだそうとしたベルをミーアは慌てて止める。
「こら、ベル。そんな風にキノコを踏み荒らしてはいけませんわ。このキノコは美味しいということですから」
せっかく見つけたヴェールガ茸を踏みつぶされては大変と、ミーアは大慌てだ。
「はい、わかりました」
と、いったんは立ち止まったベルだが、すぐにでも走り出しそうな勢いで、辺りを見回している。と……、
「あ、リーナちゃん、あれ、あの赤いキノコはなんですか? あれも美味しいキノコなんですか?」
ベルは、早速、白いキノコに隠れた赤いキノコを見つけたらしい。近くにいるシュトリナに尋ねた。
……自分に聞いてくれなかったことが、ちょっぴり悲しいミーアお祖母ちゃんである。だから……、
「さぁ、ちょっと忘れてしまったけれど、確か、美味しくないキノコだったんじゃないかな」
シュトリナの答えを聞いて……、にんまーりと笑みを浮かべた。
「まぁ! リーナさん、あのキノコのことは、さすがにご存知なかったんですわね」
得意げに言ってから、ミーアはベルの方に顔を向けて、
「あれは、火蜥蜴茸という猛毒キノコですわ」
胸を張って言った。どやどやの、どっやどや顔で言い放った!
得意満面、言い放ってやった!
「ちなみに、触るだけでも危ないから……ベル……」
そろーっと、赤いキノコに近づこうとしていたベルの襟首を掴む。
「ダメですわよ。キノコは危ないのが多いんですから、わたくしたちのような熟練者の言うことを、きちんと聞かなければいけませんわ。ねぇ、リーナさん……、あら、リーナさん?」
返事がないのを不審に思い、シュトリナの方に目を向ける。っと、なぜだろう……、シュトリナはうつむいていた。その顔は、前髪に隠れ、表情はうかがい知れない。けれど……。
――あっ、あら? 変ですわね……さっきと同じで、なんだか寒気が……。
ミーアの背筋に、なんとも言えない悪寒が走った。
けれど、それもすぐに消えてしまい、
「うふふ、ミーアさまは、本当にキノコのことにお詳しいんですね。リーナ、驚いちゃいました」
後に残るのは、すべてを塗りつぶすような、可憐なシュトリナの笑みだ。
その完璧な笑みが、なぜだろう、ミーアにはちょっぴり怖く感じられた。