第四十六話 ミーアお祖母ちゃん、格好いいことを言う!
――というか、そうでしたわ、思い出してみれば、今回のキノコ狩りには、わたくしの命がかかっていたんでしたわね……。
もぐもぐサンドイッチを頬張りながら、ミーアはようやく思い出す。
サンドイッチによって栄養補給したことで、ようやくミーアの脳みそが活動を始めたのかもしれない。
そもそもの話、ミーアはなぜ、キノコ狩りをしようなどと言い出したのか?
美味しいキノコ鍋を食べるため? いや、違う!
聖夜祭の夜、食べ物の誘惑を受けないためである。
生徒会で美味しい美味しい絶品キノコ鍋パーティーをして、それによって、混沌の蛇が用意した食べ物の誘惑から、身を守ろうという作戦なのだ。
極めて真面目な理由があるのである! 命がかかっているのである。
では、どうだろうか? 先ほどまでミーアが採ってきたキノコにそこまでの魅力があるだろうか? 蛇が絶品スイーツを用意した時、それを退けることができるだろうか?
エグかったり、苦かったりするキノコで……、ミーアの胃袋を掴むべく、敵が用意してくる食べ物の誘惑を退けるキノコ鍋を作れるだろうか?
残念ながら……答えは否である。
もっともっと美味しいキノコが必要なのだ。
そう、森の奥にあるあのキノコ……ヴェールガ茸がやはり必要なのだ。
問題は、どうやって森の奥に行くかであるが……。
――みなさんに提案しても却下されそうですわね。むしろ、監視が厳しくなる恐れもございますし、なんとかわたくしだけで行けないものかしら……。とすると……、なんとかしてみなさんの目を誤魔化す必要がございますわ。特に……。
ミーアはちらり、とベルの隣にいるシュトリナに目をやった。
――シュトリナさんが気を使って、わたくしに張り付いてくれてますし……。なんとかして、撒く必要がありますわね。ふむ、どうしたものか……。もっと美味しいキノコを採ってくるためにはどうすれば……。
「ミーアさん?」
「……そう、美味しいキノコが必要……もっと、もっと……」
などと、ぶつぶつつぶやきつつ、気づけばミーアは立ち上がっていた。なんの考えもなしに、ついうっかりと……。
「ミーアさん、どうかしたのかしら?」
そうラフィーナに声をかけられて、それで、ミーアは我に返った。
気づけば、立ち上がったミーアに、みなの視線が集まっていた。
「あ、ええ、ええっと? わたくしは、その、ちょっと……」
あわあわと、言葉にならない声が口から出る。
――し、しまった。つい、気持ちが森の奥に行き過ぎてしまって……、体が勝手に!
ミーア、焦る。
焦り焦り、焦りに焦って……、結果、咄嗟に口をついて出たのは……、
「ちょっ、ちょっと、キノコ摘みに行って来ようと思いまして……」
そのまんま、何一つ偽ることのない本音が出てしまった。
大失態である!
――って! そのまんまですわ! 森の奥に一人でキノコ摘みに行くとか、絶対に止められてしまいますわ!
ミーアの脳みそが食事によって活動を始めた、というのは、どうやら錯覚だったようだ。
ミーアの頭脳には、やはり美味しいサンドイッチではなく、甘いものが必要だったのだ。
――うう、駄目ですわ……。こっ、ここから挽回する方法がまったく思い浮かびませんわ……。
悲嘆に暮れかけるミーア。だったのだが……。
「キノコ摘みって…………ああ」
ミーアの言葉を聞いて、その場にいた全員は、なにやら察したかのように頷いた。
それから、
「じゃあ、気を付けて」
と、微妙に気まずそうな顔で言ってくれた。
「あ……あら?」
意外な反応に、ミーアは首を傾げる。
唯一、アンヌだけがついて来ようとしたが、
「ああ、アンヌは休んでいて大丈夫ですわ」
ミーアは、慌てて言った。
――アンヌはわたくしとは違って、森の素人ですし。無理はさせられませんわ。
そう考えて、ミーアは安心させるように笑みを浮かべる。
「一人で大丈夫ですから」
そうして、ミーアはその場を後にするのだった。
ちなみに……、その場にいた者たちは、みな察したのだ。
ミーアが言っているのは、いわゆる用を足しに行く際の常套句「お花を摘みに行ってくる」を、キノコ狩りに合わせて、ちょっぴりシャレた言い回しにしたものだ、と……。
まさか、ランチの最中におもむろに立ち上がって、一人でキノコ狩りに行くなどと……、そんなことを言うわけがないだろうと……、そんな常識が、みなの判断を惑わせたのであった。
「ふふふ、上手くいきましたわ!」
ともあれ、上手く生徒会のメンバーを撒いたミーアは、鼻歌を歌いつつ、森の奥へずんずん進んでいく。
目指すは絶品キノコ、ヴェールガ茸の群生地である。
「それにしても、みなさん、快く送り出してくださいましたけど、どうしたのかしら?」
しきりに首を傾げるミーアであったが……、すぐにピンときた!
「いえ、そうですわね。別に驚く必要などありませんわ。わたくしは、森の熟練者。味はさておき、あれほどのキノコを集めたこのわたくしの手腕が、ようやく認められたということですわね!」
そう考えると、がぜんやる気が出てくるミーアである。
「ふむ、確か、地図によればあの野原から……」
などと、鼻息荒くつぶやきつつ、ミーアは木々をかき分けながら道なき道を進んでいく。
ほどなく、ミーアの行く手を遮るようにして、ちょっとした崖が姿を現した。
「崖……ですわね。ふーむ……、これは地図にはございませんでしたけれど……」
腕組みしつつ、ミーアは崖下に目をやる。けれど、その斜面にも黄色い木の葉が繁茂しているため、それがベールのようになっていて下までは見通せない。
「下が見えないのは問題ですわね。なんとかして崖を降りるべきか……、それとも、迂回して進むべきか……。この崖を下った場所に、キノコの群生地があるか、それとも、迂回した先にあるのか……」
見たところ、崖はそこまでの高さはなさそうだった。頑張れば降りられそうである。
しばし、黙考。その後、ミーアは己の直感を信じることにする。
「ずばり、迂回が正解ですわね! このわたくしのベテランキノコガイドの勘が告げておりますわ!」
…………別に、崖を下るのが大変そうだから、とか、そういう情けない理由ではない。あくまでも、ミーアは自らの勘に従ったまでのことである。
「ふむ……それでは、崖に沿って左に進んでみようかしら……」
そうして、ミーアは崖を右手に見ながら歩き始めた……のだが、
「ミーアさまーっ!」
いくらも歩かない内に、そんな声が追いかけてきた。
「あら……あれは?」
立ち止まり振り返ると、そこには、小走りにやってくるシュトリナの姿があった。
見つかってしまっては仕方ない、とミーアは、彼女がやってくるのを待った。
やがて、すぐ目の前までやってきたシュトリナはいつもと変わらない、花のような笑みを浮かべて……、
「もう、ミーアさま、ダメじゃないですか。一人でこんなに森の奥に入ってしまったら……」
笑みを、浮かべて……
「…………ねぇ、なにかあったらどうするおつもりだったんですか? ミーアさま」
浮かべたまま……、かくん、と首を傾げる。人形みたいに唐突に。
その顔は、変わらない。笑みを浮かべたままだ。
その仕草だとて、子どもっぽい、愛らしい、あどけないもので……、そのはずで。
なのに……、なぜだろう? ミーアに、ゾクッとした寒気が走った。
――あ、あら? 鳥肌? どうしたのかしら……、わたくし、なんだか背筋が寒いような……。
「ねぇ、ミーアさま、どうするおつもりだったんですか? なにか、あったら……」
上目遣いに見つめてくるシュトリナ。ミーアは反射的に一歩後ずさりそうになって……。
「ミーアお姉さま、リーナちゃん!」
っと、次の瞬間、シュトリナの背後から、ベルが走ってくるのが見えた。こちらに手を振りながら、嬉しそうにやってくる。
「もう、ベルちゃん……。待っててって言ったのに……」
それを見て、シュトリナがつぶやいた。と同時に、ミーアを襲っていた寒気が薄らいだように感じた。
――い、今のは、いったい……?
などと首を傾げるミーアだったが、すぐにその思考は断ち切られる。なぜなら、
「きゃあっ!」
走ってきていたベルが、突如、前方にすっ転んだからだ。一面を覆う黄色い葉、それに足を取られたのだ。
「あっ……」
誰かの口から、声が漏れる。
盛大に転んだベルから、ひゅーんっとなにかが、宙に投げ出されるのが見えた。
「あれは……?」
呆然とそれを眺めるミーアの目の前、ゆっくりと放物線を描いて飛ぶそれは……、ベルが精魂込めて作っていた小さな馬のお守り(トローヤ)だった。
馬のお守りはそのまま崖の方へと向かって飛んでいき、落ちるかと思われたが……、その直前、崖に斜めに生えている木の枝に、なんとか引っかかった。
「あ、ああ……、よかった」
息を詰めていたミーアは、思わず、ほう、っと息を吐いた。
それはどうやら、そばにいたシュトリナも同じようで、ほとんど同時に息を吐く音が聞こえた。
それから気を取り直したように、シュトリナはベルに言った。
「よかった。あれぐらいなら、取れそうね、ベルちゃん」
けれど、ベルは、木に引っかかったお守りを見て、少しだけ黙ってから、小さく首を振った。
「いえ、危ないです。失敗したら崖から落ちてしまいますから」
そう言って、ベルは笑みを浮かべた。
「別に、また作ればいいだけですから、大丈夫です。大切に握りしめていても、なくなってしまう時にはなくなってしまう。ただそれだけのことです」
そんなことを言って、でも……、ちょっとだけ寂しそうな顔をする。
それを見たミーアは、微妙な罪悪感にとらわれた……。
そもそもの話……、ミーアが無理をして一人で森の奥になど入らなければ、こんなことにはならなかったわけで……、小心者の良心が、ずきずき痛んだ。
それに、ミーアは知っている。ベルが頑張って、シュトリナとお揃いのものを作っていたということを。
なるほど、確かに、また作ればいいのかもしれない。けれど、、
――あれは、ベルが心を込めて作った唯一無二のもの。であるならば、そう簡単に諦めるべきではございませんわ。
幸いにして、お守りは、崖に斜めに生えた少し太い木に引っかかっている。
頑張れば、十分に取れそうに思えた。なにしろ、ミーアは森の熟練者なのである!
満を持して、ミーアはベルに言った。
「ベル、確かにその通りですわ。どれだけ大切にしていても、離さないように握りしめていても、無くなる時には無くなるもの。それは正しいですわ。でも……」
そうして、ミーアはお守りが引っかかっている木に手をかけた。木は、崖に斜めに伸びていて、上るのは、それほど難しくないように見えた。
「ミーアお姉さま……なにを?」
びっくりした様子で目を見開くベルに、ミーアは言った。
「それは、最初から諦めることの理由にはなりませんわ。それがなくならぬように、力を尽くして握りしめること、その努力を怠る言い訳にはならないのですわ!」
そう言い放って、ミーアは木の上に乗る。
――大丈夫ですわ。わたくしは森のベテラン。キノコのベテランは、木登りだって簡単にできてしまうはずですわ。
奇妙な自信を胸に、ミーアお祖母ちゃんは格好いい笑みを孫娘に見せて……、次の瞬間、
「ひゃあああああああっ!」
足を滑らせて、崖の下へと落ちていった。