第三十話 ハンカチ投下作戦
セントノエル学園の男子寮と女子寮の間には美しい中庭がある。
水の庭園と呼ばれるそこには、豊富な水源を持つこの国に相応しく、大きな噴水と水路が整備されている。
色とりどりの花々に彩られたそこは、非常にロマンチックな場所であり、数多の恋人たちの告白の場として利用されてきた。
――出会いを演出するにはうってつけの場所ですわ!
ミーアは、用意したハンカチをギュッと握りしめて、悪い笑顔を浮かべた。
それは、ラフィーナと出会った翌日のことだった。
アンヌの諜報活動の結果、もうすぐアベルがこの場所を通るらしいという情報をキャッチしたミーアは、現在、中庭のベンチにすわって、その時を待っていた。
ちなみに、今日からミーアは学校支給の制服を身にまとっている。真新しい上着と折り目正しいプリーツスカートからなる制服は、ミーアの心中とは対照的な純白で、一点の曇りもない。
そんな美しい制服に身を包んだミーアは、見た目には清楚で美しい、まさに帝国の聖女といったたたずまいをしていた。
そよそよと、噴水が奏でる音色に耳を傾けることしばし、目的の人物がやってきた。
――来ましたわね!
獲物を目にしたミーアは小さく息を吐いて、ベンチから立ち上がる。
アベルの少し前の位置を歩きだしたミーアは、ちらちらと後ろを窺いつつ、タイミングをうかがって……、
――今ですわ!
ハンカチを投下する。
ひらひら、と、軽やかに舞ったハンカチは、狙いたがわずアベルの足元に落ちた。
それを見たミーアは、内心で快哉を上げる。
――我ながら、完璧なコントロールですわ。これなら!
ミーアは、呼ばれるのを今か今かと待ちながら、できるだけゆっくり歩く、歩く……歩いているのに…………まだ呼ばれない。
――おかしいですわね?
ハンカチの状態を確認すると、むなしく草に引っ掛かり、風に揺れているだけだった。
――なっ、なっ、なぜ、ハンカチを拾わないんですの!?
今度はアベルの方をうかがう、と、アベルは、そのすぐ脇にいた女の子に声をかけていた。
「お困りですか? お嬢さん」
なぁんて、キザな言葉が聞こえてくる。
完全に、ミーアは忘れていた。
そうなのだ、一方にハンカチが落ちていて、もう一方に困ってる女の子がいた場合、アベルは迷うことなく女の子に直行する。
そして、あわよくばお近づきになろうとする!
軽くてキザな残念イケメン、それこそがアベル・レムノという少年の本質なのだ。
さらに、不幸は続く。
「うん? これは……、落し物か?」
ミーアのハンカチを拾い上げた人物がいた。
美しい白銀の髪と、鬱陶しくなるぐらい凛々しい顔、ミーアの仇敵シオンが、優雅な動作でハンカチを拾い上げたのだ。
「だれか、ハンカチを落としたものはいないか?」
「なっ、なっ、なっ!」
思わず歯ぎしりしつつ、ミーアはその場を去ることにする。シオンとティオーナとは知り合いにならないことが、ミーアの第一目標だからだ。
絶対に声をかけられてはいけない、そんなことになったらお終いだ!
気づかないふりをして撤退するほかない。
歩き出そうとしたミーアだったが……、
「あっ、それ、ミーア様のものですよ」
もう一人の仇敵の声が、追い討ちをかけてきた。
シオンのそばに走り寄るのは、ティオーナ・ルドルフォン。
「私も昨日、同じ物をお借りしたので、間違いありません」
そう言って、彼女は大切に洗ったハンカチを取り出して見せた。
ミーアの使うハンカチは帝室の職人が作ったものだ。腕利きの職人たちは、敬愛する皇女殿下の私物に趣向を凝らし、端の部分のレースに独特の模様を入れたのだ。
それが動かぬ証拠となった。
「あ、あそこに、ミーア様が!」
――よよ、余計な事を!
もはや、こうなっては逃げようもない。観念したミーアは、優雅に後ろを振り返り、それから、自らの制服をたたいて、
「あら、本当ですわ。うっかり落としてしまったようね」
笑みを浮かべた。
「教えていただいて、どうもありがとうございます」
「そうか。これは、ミーア皇女殿下のものだったか」
シオンはそう言うと、ミーアの前まで来て、胸に手を当てて一礼。
「お初にお目にかかる。サンクランド王国の王子シオン・ソール・サンクランドだ。ミーア皇女殿下、お噂はかねがね」
「これは、ご丁寧に。ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
ミーアも、スカートの裾をちょこんと持ち上げて一礼。
では、これで、とそそくさとその場を立ち去ろうとしたのだが……。
「ちょうど良いところで出会った。ミーア殿下、失礼だが、明日のダンスパートナーはお決まりですか?」
イヤな予感がした。
「もし、まだであれば、ぜひ立候補したいのだが……」
――どうして、なぜ、このようなことにっ!?
女の子であれば、誰でも一撃で降参したくなるような、シオンの笑顔を見て、ミーアは内心で悲鳴をあげた。




