第四十三話 老ルードヴィッヒの神学的推論
「ルードヴィッヒ先生、神さまは本当にいるんでしょうか?」
その日、やって来て早々にミーアベルが投げかけた質問に、ルードヴィッヒは首を傾げた。
「ふむ……突然、どうされたのですか? ミーアベル殿下」
とりあえず、なんとか手に入れた茶葉を用意して紅茶を淹れつつ、話を聞いてみる。と……、
「実はここに来る途中で、先祖の叡智が手に入る≪神の壺≫というものが売ってたんです。値段がちょっぴり高かったけど、これを使えばミーアお祖母さまのお知恵が借りられるのではないかと思って……」
期待に瞳をキラキラさせつつも、そんなことを言うミーアベル。ルードヴィッヒは、彼女のチョロさが若干心配になりつつも、しばし黙考する。
答えを出すのは簡単なことだ。帝国は、中央正教会の築いた宗教圏の中にある。だから、そこに住まう者たちは素朴に、神がいることを信じている。
だから「いる」と言ってしまえば良いし、もし仮にミーアベルが、皇女に返り咲くことができた時のためにも、そう教えておいた方が良いはずだった。
けれど、とルードヴィッヒは思い直す。型通りの答えを出すのは簡単なことだが、それでは彼女のためにならない、と。
「思考をする」ことは貴重だ。ゆえに、ただ答えを与えるのではなく、ミーアベルに考えさせることを目的として、ルードヴィッヒは論理展開を組み立てる。
「そうですね……。私は神という存在はいると思っています」
そこまでは、ごく普通の見解だ。が、そこに根拠を付け加える。
「そうでなければ、説明がつかないことが世界にはたくさんありますから」
「例えばどんなことですか?」
きょとん、と首を傾げるミーアベルに椅子を勧めつつ、ルードヴィッヒは眼鏡の位置を直した。
「そうですね……。例えば、わかりやすいのは人間でしょうか。ミーアベル殿下や私のような」
「へ……? ボクやルードヴィッヒ先生ですか?」
不思議そうに瞳を瞬かせるミーアベル。ルードヴィッヒは悪戯っぽい笑みを浮かべると、眼鏡をはずして、ミーアベルの前に置いた。
「この眼鏡、よくできているとは思いませんか? なぜ、これで目がよりよく見えるようになるか、ミーアベル殿下は考えたことがありますか?」
ベルは、それを手に取り、レンズを覗いてみたりしながら、小さく首を振った。
「この眼鏡という道具は細かい原理はおいておくとして、大昔の賢者が知恵を絞り、人間の目の構造を考え、どのように見えているかを調べ、そして、ズレを調整するという”意思”を持って仕組みを考えたもの。これは、知恵を持つ者が、『こういうものを作ろう』という想いを持って生み出したものです。例えば、この眼鏡の材料である硝子や鉄を無造作に置いておいたからと言って、意思を持たぬ雨が削り、知恵を持たぬ風が形を整える、ということはないでしょう?」
ルードヴィッヒは眼鏡をかけなおして、続ける。
「では、この眼鏡を作り、使う、人間はどうでしょう? 多くの絡繰り細工や芸術品より、さらに繊細で完成された人間というものは……、いったいどのようにして作り出されたのだと、ミーアベル殿下は思いますか? 風や雨が土を削り、作り出したものであると思われますか?」
「いいえ、思いません」
そう言って、ミーアベルは小さく首を振った。
ルードヴィッヒは神、すなわち人間よりも力を持ち知恵を持ち、世界を設計した存在がいると、思考の末に確信していた。
その方法はわからないまでも、ルードヴィッヒは信じているのだ。人間、そして、この世界は少なくとも、知恵を持つものが「作ろうという意思」を持って作り出したものであると……。
そうでなければ説明がつかぬものが、この世界には多すぎるのだ。人間だけではなく、動物も植物も、虫も……。
誰かが綿密に設計し、作り出したと、そう考えざるを得ないと……彼は判断していた。
ふいに、かつて師に言われたことを思い出す。
『この世の事象すべてを、なにも考えることなく神と悪魔のせいにしてしまうことは、“人間を思考するもの”として設計した神の御心に背くことになる。それは神の御業を素晴らしいものとする信仰と矛盾する。されど、この世の事象すべてと、神と悪魔が無関係であるという方向性をもって思考することもまた、視野を狭め、我らが思考の自由を阻害することになる』
それ以来、ルードヴィッヒは、出来うる限りバランス感覚を持って物事を見られるように、自身を律してきたつもりだった。
できることならば、ミーアベルにも、そのように考える癖を身に着けてほしいと願う彼であったが……。
「では、やっぱり神の奇跡の壺も、本物ということですか!?」
ウキウキ顔で今にも飛び出して買いに行きそうなミーアベルを、ルードヴィッヒは慌てて止めた。
「落ち着いてください。ミーアベル殿下。神がいたとして、奇跡の壺などというものがあるかは別問題です」
「へ? なぜですか? ルードヴィッヒ先生」
再び、きょとん、と小首を傾げるミーアベル。
どこからどう聞いても怪しいだろう! というツッコミを飲み込んで、ルードヴィッヒ、しばしの黙考。その後に再び口を開く。
「仮に世界を作ったのが神だとします。綿密に≪世界を律する理≫を、神が組み上げたとします。しかし、奇跡とは、その世界を律する理を覆すもののことではないですか?」
死んでしまった先祖の知恵は手に入らない。それは世界の理だ。壺の起こす奇跡とは、その理を覆すものである。
ミーアベルは小さく首を傾げてから、
「はい、そうです!」
などと……、わかっているのか微妙な、ちょっぴり元気のいい返事をした。
苦笑しつつ、ルードヴィッヒは続ける。
「自身が丁寧に作った理を覆すような真似を、そうそう神がなさるでしょうか? 私であれば、自分が大切に作ったルールをそう簡単に破ろうとは思いませんが……」
奇跡とは、滅多に起きないもの。もしそれが起こるとするならば、それこそ、世界全体が壊れるほどの危機が訪れた時ではないか? とルードヴィッヒは考える。適当に作った理であれば、簡単に破るのかもしれないが、この世界を律する理は、調べれば調べるほど完成している。
――しかし、そうなると、あながち今この時に奇跡が起きても不思議ではないような気もするな……。司教帝ラフィーナの暴挙、サンクランド、ティアムーンの危機。多くの人が死に、歴史が壊れてしまうかもしれないこんな時だからこそ、あの方の叡智を借りるなどという奇跡が、もしかしたら起こるかもしれないが……。
ルードヴィッヒは首を振って、その考えを頭の端に追いやる。それから、ミーアベルを見つめた。
「奇跡とは、必要があってこそ起きるもの。決して安直に手に入るものではございません。だからこそ、この世の理を大きく外れるような奇跡を謳う者が居た時には深い注意が必要です。都合よく神の名を騙り、こちらを騙そうとする者はいくらでもいるのですから……」
その日の勉強の途中、いつものように気持ちよさそうに居眠りするミーアベルを横目に、ルードヴィッヒは先ほどの会話を考えていた。
「すべての物事は論理づけることができる。そして、神の奇跡などというものは、容易に起きるものではない……。神の奇跡……そして、祝福された地もまたしかり、か……」
“神の祝福”によって、毒を持つ植物が一切存在しないセントノエル島。
厳戒な警備を敷き、外部から毒を持ち込むことも不可能なはずの学園内で起きた大量毒殺事件……。
大陸を揺るがした重大な事件に対しては、様々な憶測や推論が存在している。
警備の不備を突いて外から持ち込まれた説や、なんらかの条件下でしか毒性を発揮しない特殊な毒であった説など。いくつかの有力な説はあれど、未だ定説と呼べるほどのものは存在していなかった。
その後に訪れた大陸の動乱期のせいで、事件の記憶は薄れて、真相の解明は不可能と言われていた。
恐らく後の歴史家たちは、世紀の謎などと言って書き記すことだろう。が……、
「思い込みとは、恐ろしいもの。結局、そういうことなのだろうな……」
ルードヴィッヒ・ヒューイットには、そのやり方の見当がついていた。
それは、警備の隙を突くわけでもなく、なにか複雑な毒を使ったわけでもなく……。
もっともっとわかりやすいこと、ちょっとした思い込みを利用したトリック。
すなわち……、
「”神の祝福”によって、清浄なる水が流れるセントノエルには、毒性の植物は育たない……。その前提が、そもそもの間違いだ……」
セントノエル島には神の祝福を受けるような、特別な伝承は存在していない。だから、セントノエル島が仮に祝福を受けていたとしたら、それは、"祝福を受けた国である神聖ヴェールガ公国の一部だから"という理由以外にはない。
だが、それでは祝福を受けた国、ヴェールガには毒草の類は存在しなかっただろうか?
それは否、である。偽ヴェールガ茸は、その名の通り、ヴェールガ公国内に広く存在する毒キノコだ。つまり、神が祝福した土地であったとしても、毒を持つものは厳然と存在するのだ。
だというのに、セントノエル島にだけ毒草の類が存在しないというのは、論理的矛盾だ。
「理屈で考えるならば……、セントノエルに毒草の類は生えないというのは、ウソということになる」
では、それがウソだとすると、それは果たしてどういうものだったのか?
害意のない迷信、特に意味のないウソという考え方はもちろんできる。
だが、積極的な目的を持ったものという可能性も十分にある。
≪神の壺≫の場合、その『目的』は高く売りつけるためだが……、では、セントノエル島の場合にはどうか?
「警備の目を誤魔化すため……というのは、有力な候補だろう……」
毒物を「持ち込むこと」ができなくとも、もともと、島に毒性の動植物が存在していたのでは何の意味もない。にもかかわらず、警備にあたっていた者たちは油断した。
外から持ち込ませなければいいのだと、そこに力のすべてを注ぎ、島の中のことを考えに入れていなかった。
「盲点は、その奇跡に対する信仰……」
大陸の動乱期にあって、ルードヴィッヒはその事件について調べていた。
結果、一つの奇妙な事実を発見した。
それは、セントノエル島に対するその風説が……意外にも、そこまで古いものでないということ。
いつの時点か、はっきりとしたことは言えない。けれど「セントノエルに毒草は生えない」という噂は、セントノエル学園が開校した当初には存在しないものだったのだ。
初期の生徒の中には、危険かもしれないので、不用意に島の植物に口をつけるな、との注意がなされていたという記録が残されている。
いつの時点からか発生した奇妙な迷信。もしも、それを流したのが、セントノエル島内に強力な毒草を見つけた者だったとしたら……? ”些細なきっかけ”で偶然にも足を踏み入れた場所で、強力な毒物を発見してしまった者だったとしたら……?
そして、その迷信が、警備の目を外から入ってくる毒物のみに向けるために、意図してバラまかれた噂であったとしたら……。
「その当時の警備責任者、サンテリ・バンドラーという男は、三十五年間、島の警備についていた。彼が赴任するより前から、その情報が流されていたとしたら……」
はたして、誰がその噂を流したのか……。
彼はすでに調べ、推論を立てていた。その当時、セントノエルに通っていた人物、そして、暗殺事件があった頃、偶然にも、年老いてから授かった娘が同じくセントノエルに通っていた、そんな人物のことを……。
「イエロームーン公爵……、最弱にして最古の貴族……。いったい何を考えていたのだろう……」
ルードヴィッヒは過去を見通さんとするかのごとく、瞳をそっと細める。けれど、すぐに疲れたため息を吐いた。
「もっとも、仮にわかったところで詮無きこと、か。あの方は逝ってしまわれたのだ。今さら、司教帝ラフィーナに真相を明かしたとて、彼女が止まることはないだろう。口惜しいことだ」
そんな苦いつぶやきを、ベルが聞くことはなかった。
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