第三十六話 ミーアお祖母ちゃん、盛ってくる!
シュトリナの部屋を後にして、自室に戻ってからのこと。
お風呂に入り、ふわふわの寝間着に着替えて……、そうして訪れた安らぎの時間。
ミーアはふと思い出して、ベルの方を見た。
ベッドの上に座ったベルは、着替えたばかりのもこもこの寝間着の袖口に顔を押し付けて、えへへ、と幸せそうに笑っていた。
ベルは、このふわふわもこもこの寝間着が大好きらしく、いつも着替えるたびに顔を押し付けたり、匂いを嗅いだりしていた。
そんなベルの姿を見て、ミーアは思い出す。
――そう言えば、昔はわたくしも、あんな風に感動しておりましたわね……。
ふわふわな毛布と、満月羊の毛をふんだんに使ったモコモコの寝間着があれば、なんとも幸せな感動に包まれたものであるが……。
――若いって、素晴らしいですわ……。素直に感動できて……。
孫娘を見て、お祖母ちゃんは優しげな笑みを浮か……。
「お祖母ちゃんじゃありませんわ! わたくしだってまだまだ若いですわ!」
お年寄り気分に侵食されそうになった自分を、なんとか鼓舞するミーア。
その声を聴いて、ベルがきょとりん、と首を傾げる。
「え? なんですか、ミーアお姉さま?」
「いえ、なんでもありませんわ。それよりベル、最近なにか一人でやってると思ってましたけれど、リーナさんにあげたあれだったんですわね」
「あ、はい。そうなんです。馬龍先輩と仲良くなって教えてもらいました。えへへ、リーナちゃんは初めてできたボクのお友だちだから、プレゼントできてよかったです」
そう言って、ベルは嬉しそうに笑った。
「そう。それはよかったですわね」
孫娘が健やかに友情を育んでいるのを見て、ついつい温かな眼差しを向けてしまうミーアお祖母ちゃんである。お祖母ちゃん成分の浸食が激しい今日この頃である。
「それにしてもあなた、案外、手先が……」
例の≪馬のお守り≫の出来を思い出し、ベルの手元に目をやる。全然気づかなかったが、彼女の人差し指には、白い布がまかれていた。どうやら、ケガでもしたらしい。
ミーアは見ないことにして、続ける。
「……手先が、その……器用なんですわね。意外でしたわ」
ちょっぴり評価を盛ってやるミーアである。
せっかく、手作りのお守りを友だちにプレゼントできて喜んでいるのだ。微妙な出来だった、などという事実は、この際、触れずともよいことである。お祖母ちゃんの思いやりというものである。
「ふっふっふ。そうですよ。ボク、こう見えても結構できる子なんですよ?」
そんなミーアに、ベルは偉そうに胸を張り、それから少しだけ懐かしそうに瞳を細めた。
「エリス母さまにしっかりと教えてもらいましたから。でも、なかなか教えてくれなかったから、大変だったんですよ。ボクは皇女なんだから、そんなことをやるべきじゃないって言うから……。だから、町の子どもはみんなそういうのやってるから、できないと不自然だって説得して」
「ベル……」
そんな風に論理を組み立てるなんて、この子も過酷な環境の中で懸命に考えながら生きていたんだなぁ、などとしみじみ思うミーアであったが……。
「えへへ、ルードヴィッヒ先生がこう言えばいいって教えてくれた通りに言っただけなんですけど……」
「…………ベル」
自身と同じ匂いを濃厚に漂わせる孫娘に、ミーアは微妙な顔をした。
「そうして納得してからは、いろいろなことを教えてくれました。だんだんと帝国内の状況が悪くなってきてからは、特に熱心に、お料理もお裁縫も。ボクが一人でも生きていけるようにって……」
「そうでしたのね……」
ミーアは、ベルの生きてきた過酷な環境に思いを馳せる。
ベルの手先が器用なのは、そうなる必要があったから。
もしも、ベルが裁縫が得意ならば(まぁ、そこまで得意でもなさそうだったが……)、そうならざるを得ない環境に彼女がいたからなのだ。
地下牢に落とされて数年を過ごした自分と、隠れ潜む逃亡生活を余儀なくされたベル。
どちらが大変だったとは一概には言えないが、それでも、この子も苦労してきたんだとミーアがじんわり目元を熱くしていると……。
「ふっふっふ、家事だって一通りできますよ。だから、乙女力に関してはミーアお姉さまより、ボクの方が上だと思いますよー。ミーアお姉さま、料理とかしたことないんじゃないですか?」
ベルが渾身のドヤァ顔で言った。
「おっ……乙女力……?」
ミーアは、なにやら、得体のしれないものに胸を深々と貫かれた。
正直なところ、ベルの言っている乙女力なるものが、なにかはわからない……。
そもそもミーアは皇女である。高貴なる身分であり、人々から仕えられる立場だ。
料理なんかできなくてもいいし、家事やら裁縫やらができなくても、なんら恥じることはない。恥じることはないのだが……。
――乙女力……。
トゲのように刺さるのは、その言葉だった。
乙女力に劣る……そう言われてしまったことが、まるで、お前は乙女ではない! と言われてしまっているような、そんな気になってしまって……。自分が本当にお祖母ちゃんになってしまったような気がして……。
――こっ、こんなことではいけませんわ! アベルに見捨てられてしまうかもしれませんわ! 最近、この冬を生き残ることに必死でアピールできておりませんでしたし!
ミーア、ここにきて発奮する!
自分はまだまだ乙女! 乙女力とやらで、ベルに負けてなどいられない。
「で、でも、わたくしだってやる時はやりますわよ。この前だってサンドイッチ作りましたし?」
ミーア、懸命の反論を開始!
「え? ミーアお姉さまが、ですか?」
ベルは、びっくりした顔でミーアを見つめる。
「ええ。楽なものでしたわ!」
さらにミーア……、ちょっぴり話を盛る。
「しかも、馬型の革新的で芸術的なサンドイッチでしたわ」
ミーア、さらに盛る! 盛る!! 盛る!!!
「うっ、馬型っ!?」
「そう。今にも走り出しそうな出来でしたわ。味もお見事なもので……」
ミーア、こうなっては後に引けないと、思いっきり盛り尽くすことを決意! 乙女力なるものが、ベルに負けていないと、自分自身にも言い聞かせる。
「宮廷料理にも負けないほどの味でしたわ。美味しく焼いた肉の香ばしさ、シャキシャキの野菜、ふわっふわのパンがそれらを包み込んで、とってもとっても美味しかったんですのよ」
「わぁ! すごいすごい! さすがミーアお姉さまです」
キラッキラと純粋無垢な憧れの瞳を向けてくるベル。
「ボクもミーアお祖母さまのお料理、食べてみたかったな……」
「うふふ、そうですわね……」
ベルの尊敬のまなざしに、気をよくしていたミーアだったのだが……。
「……ふむ、そうですわね。確かに、それならば、アベルにも……ふむ」
直後、なにかを思いついたような顔をした。
「ああ、これは、いいことを思いつきましたわ!」
明るい笑みを浮かべるミーアであった。
その“いいこと”……、苦労人の“あの人”に対してさらに毒を盛るような所業なのだが……。
当然、そんなことは、当の本人も知るよしのないことだった。