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第二十七話 唸れ! 恋愛脳!

 ゴールラインを超えた時、ルヴィは静かに瞳を閉じた。

 耳に響き渡る歓声。

 賞賛の声が飛び交う中、目を開けたルヴィは、前を行くミーアの姿を見た。

 ついに届かなかった、その小さな背中を、ただただ見つめることしかできなかった。

 ――ああ……、負けたんだ……。

 その実感は、遅れてやってきた。

 だけど、後悔はなかった……ないはずだった。

 だって死力を尽くして、できることをやって、それで……負けたんだから。

 大切なものを手に入れるために全力を尽くすことができた。戦うことができた。

 それ自体は、とても幸せなことのはずで……そのはずで……だから悔いはないし、思い残すことなんかあるはずもなくって……。

「いい勝負だった……な。うん、勝負なんだから、当然、負けることだってあるってことぐらいわかってたし……ひくっ……」

 不意に、口から息が漏れる。ひく、ひくっと息が切れて、上手く息が吸えなかった。

 ぐにゃり、と目の前の景色が歪む。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、とその瞳から、なにかが零れ落ちる感触……。

 両手で懸命に拭うけれど、溢れる涙を止めることはできなくって……。

 ルヴィは、幼い少女のように泣きじゃくった。


 ――うぐぐ、か、勝ったのに、どうしてこんな目に?

 しょんぼりヴィクトリーランを披露してしまった上に、荒嵐のくしゃみで吹き飛ばされるというオチまでつけてしまったミーアは、着替えるために幕屋に向かっていた。

「お疲れさまです、ミーアさま。とっても、格好良かったですよ! すぐに、綺麗にして戻りましょう」

「うう、よろしくお願いいたしますわね、アンヌ」

 その途中のことだった。

 ミーアは、ルヴィの後姿を見つけた。

 ――ふむ……、まぁ、いささか情けない姿を晒してしまいましたが勝ちは勝ちですわ。これでバノスさんのことでとやかく言われることはございませんわね。それで良しとしなければなりませんわ。

 ふんす、と鼻息を吐いてから、

 ――それにしても、そもそもルヴィさんが、こんなことに巻き込んでくれなければ、わたくしが恥をかくことはございませんでしたし……。ここは思いっきり勝ち誇って、少しでも憂さを晴らさなければなりませんわ!

 ミーアは思いっきりドヤってやるべく、ルヴィの前に歩み出て……。

「……ぇ?」

 思わず、言葉を呑み込んだ。

 ルヴィが、子どもみたいに泣きじゃくっていたから……。

 ――え? え? どういう……え? なんでこの人、泣いてるんですの?

 ミーア、混乱!

 さらに……。

「さっきのミーアさまの乗馬、素晴らしかったですね」

「ええ、さすがはミーアさん。すごいレースでした」

 などと……タイミング悪く、ティオーナとラフィーナの声が近づいてくるのを、ミーアの耳が敏感にも察知する。

 ――まっ、まずいですわ。こんなところを見られたら……、わたくしがルヴィさんをイジメてるみたいに思われてしまいますわ!

 刹那の判断! ミーアはルヴィの手を引いて、着替え用の幕屋に向かった。

「とっ、とりあえず、こちらへ。さ、早くお入りなさい」

 幸いなことに、大会への女子の参加者は、ミーアたち以外だと馬龍の妹のみ。当分、この幕屋には誰も入ってこないだろう。

「アンヌ、申し訳ないのだけど、誰も入ってこないように外で見張っていてくれないかしら?」

 念には念を入れて、アンヌに指示。それから、改めてルヴィと向き合う。

 ルヴィは、ここに来るまでに泣き止んでいた。もっとも、その顔は、涙でベタベタになっていて、ひどいものだったが。

 荒嵐のくしゃみでベタベタになっているミーアと、どちらがマシか、微妙なところだった。いや、そうでもないか……?

「まぁ、とりあえず、顔を拭きなさい」

 そう言って汗拭きを手渡しつつ、ミーアは考える。

 なぜ、ルヴィが泣いていたのか……? ということを。

 ――いいえ、そんなの考えるまでもありませんわね。わたくし、こういう話題には結構、鋭いんですのよ!

 最近、クロエから借りた恋愛小説に、ちょっぴりはまったミーアである。

 気分は、すっかり、恋愛マスターだ! そんなミーアの優秀な"恋愛脳"が告げる。すなわち!

「ルヴィさん、あなた……、バノスさんのことが好きなんですのね?」

 そう指摘しつつも、

 ――なぁんて、ね……。まさか、そんなはずないですわよね。

 思わず、自らの推理に苦笑するミーアである。

 ――確かに、バノスさんは独身だったはずですけど、お二人では年の差はもちろん、身分差もございますし……。なにより、バノスさん、いい人ですけど、顔は若干、山賊入ってますし……。

 恐らくは自分に負けたことが悔しくて泣いていたんだろう、とミーアは判断する。

 なので、あくまでも、「恋愛」に関することはジョークとして言っていたわけだが……。

「よく、わかりましたね……。ミーア殿下」

 小さく頷きつつ、頬を染めるルヴィにミーアは思わず飛び上がった。

「うえぇ!?」

 想定外の事態に、動揺を隠しきれないミーアである。

「あー、そ、そうなんですのね……。ああ、そうじゃないかと思ってましたけど? でも、ちょっぴり大胆といいますか、驚いてしまいましたわ……」

 などとブツブツ言いつつ……、ミーアは改めて冷静に考えてみる。

 ――ということは、わたくしは恋の邪魔者ということになりますわね……。馬に蹴られないように注意しなければ……あら? でも確か、こういう恋を邪魔する役目の人って、刺されたりすることもあるんじゃなかったかしら……?

 クロエ蔵書から得た知識を思い出し、ミーアはちょっぴり背筋が寒くなる。

 剣術の鍛練を積んでいるルヴィの前にあっては、自分など、とても相手にならない。

 ミーアは、ちらりとルヴィの方を見る。

 涙で赤く濁った瞳をしているルヴィ。今は、その瞳には恨みの色は見られないが……。

 ――これは、やりそうな顔してますわね!

 ミーアは思い出していた。かつてあったことを……。

 大飢饉の際に何があったのかを……。

 援軍の依頼をしに行った時、断られたこと。その理由が、バノスの死にあったとするなら……。

 ――静海の森での事件が、わたくしのせいにされているのでしたら、ルヴィさんがわたくしを恨んでいたとしても、不思議はないはず。だから、あの時に断った。

 あらゆることが、ルヴィの恋心を中心に、つながっていく。

 かつてないほどの冴えを見せるミーアの頭脳。ミーアの恋愛脳が唸りを上げていた。

 ――恋した男の復讐のために、わたくしの依頼を断ったのですわね……。身を滅ぼしてでも、恋を貫く……。なんて、素敵……じゃない。危険な発想法ですわ!

 ルヴィをこのまま放置するのは危険。そう判断したミーアは、しばしの逡巡の後、口を開く。

「ルヴィ・エトワ・レッドムーン、約束を守っていただきますわ」

 ぴくん、っとルヴィの肩が揺れる。

 それを完全に無視して、ミーアは続ける。それは危険な人物から剣を取り上げるため? 否、そうではなくて……。

「あなたの剣を、わたくしに預けなさい」

 彼女の剣を自らのものとするために……。ミーアは静かに手を差し出す。

「あなたには、わたくしの皇女専属近衛部隊の責任を担っていただきますわ」

「…………え?」

 パチクリとルヴィが瞳を瞬かせていたが、構わずミーアは続ける。

「現在の部隊長であるバノス隊長の副官として、彼をサポート。作戦立案などの補助をしなさい」

 厳かに、ミーアは言った。

 そこには、刹那の計算があった。

 ルヴィが混沌の蛇であるという疑いはもちろんある。

 彼女の涙が嘘だとは思いたくないが、それでも、蛇であればそのぐらいの演技をやってくると、ミーアはきちんと理解していた。

 その上で、ミーアは考えたのだ。

 ――ルヴィさんがすでに蛇である可能性と、今後、蛇になる可能性……。それを慎重に検討しないといけませんわ。

 もしも、ルヴィをバノスから引き離し、なおかつ彼女の剣を取り上げるようなことをしたら、どうなるか?

 そんな傷心の彼女を、はたして混沌の蛇が放っておくだろうか?

 ――レッドムーン公爵家は、軍部に多大な影響力を持っている。もしも、蛇の連中が帝国を瓦解させようとするならば、ルヴィさんは、とても都合が良い人材と言えますわ。

 ミーアに恨みを抱いたルヴィが、混沌の蛇の一員となる……、それは最悪の未来と言える。

 では逆に、彼女をバノスのそばに置いた場合はどうか?

 当然、彼女が今現在、蛇でなかった場合には、将来的に蛇になることを防ぐことになる。

 大きな恩を売ることができる!

 では、もしも、彼女が蛇であった場合はどうか?

 バノスへの恋情がすべてウソで、ミーアの陣営に潜入しようとしていた場合は?

 ――サフィアスさんの場合と同じことですわね。それ……。バノスさんのそばにつけてやって、しっかり監視させれば、動きが取れなくなるはずですわ。

 バノスに恋しているという名目でミーアに近づいてきた以上、彼から離れるような行動はとりづらくなるはずだ。どれだけ監視されたとしても、文句を言われる筋合いはないということである。

 ――野放しにするよりは、むしろ、そちらの方が対処がとりやすいかもしれませんわね。

 と、そこまでは計算していたのだが……。

 ……けれど、実のところこの計算、最初から一つの流れに沿ってされたものだったりする。

 それは、ルヴィとバノスの恋愛を成立させるというもので……つまりは!

 ――身分違いの恋とか…………燃えますわね! 実に!

 これである!

 クロエから借りた本の中にあった、騎士と姫君の恋愛劇……。それを実際に間近で見られる機会……。それを逃すことなどできるだろうか? 

 否、できない!

 ――ぜひ、見てみたいですわ!

 もっともらしい理由をこねくり回しつつも、実になんとも恋愛脳なミーアなのである。

「私を……、皇女専属近衛部隊に……?」

 呆然とつぶやくルヴィに、ミーアは言った。

「ルヴィさん、あなたにだけ話しておきますけれど……近い将来、皇女専属近衛部隊に重要な役割を課そうと思っておりますの。護衛だけでなく、わたくしの手足となって働く部隊になってもらいたいって思っておりますの」

 大飢饉の時、苦労してルードヴィッヒが用意した食料の輸送部隊は、幾度も襲われた。

 飢えた民衆や、食糧不足にあえぐ兵士の一部は盗賊となり、襲い掛かってきたのだ。

 補給につけた護衛自体が略奪部隊に変貌することもしばしばで……、裏切りに遭う都度、ミーアは思っていたのだ。

 ――ああ、頼りになる部隊が欲しいですわ……。裏切らないで、きちんと仕事をする兵が……。

 もしかして、裏切るかも……? などと不安に思わずにいられることは幸せなこと。

 ミーアは肝心の食糧輸送部隊に、自らの最も信頼する部隊である皇女専属近衛部隊を使えないかと考えていたのだ。

 ――もしも、ルヴィさんに入ってもらえたなら、結構、美味しいことですわ。上手くすると、精強と名高いレッドムーン家の私兵団を派遣していただけるかもしれませんし……。

 前の時間軸で断られてしまった援軍……。そこから兵を出してもらうことも可能となるかもしれない。

 ――まぁ、そこまで上手くいくかはわかりませんが……なにはともあれ、バノスさんとルヴィさんの恋模様は気になりますし。ふふ、ちょっぴり楽しみですわね!

 ほくそ笑むミーアであった。



 ティアムーン帝国女帝、ミーア・ルーナ・ティアムーンは友人が多い人物として知られている。

 彼女の親友と言った時、まず思い浮かぶのは、聖女ラフィーナや星持ち公爵令嬢であるエメラルダ、フォークロード商会のクロエや辺土伯令嬢のティオーナなどだろうか。

 身分も出自も様々な女性たちが、彼女の友人として、深い絆を育んでいた。

 では、女帝ミーアの盟友と言った時に、一番に名が挙がるのは誰だろうか?

 様々な見解があるだろうが、筆者はルヴィ・エトワ・レッドムーンの名を挙げたいと考える。

 四大公爵家の一角、レッドムーン公爵家に生まれた彼女であるが、その名はむしろ、帝国史上初の黒務卿(こくむきょう)を務めた女性として知られているのではないだろうか。

 軍務を司る黒月省のトップ、黒務卿となった彼女は、自らの実家の影響力をフルに活用し、また大将軍ディオン・アライアらとも協力し、帝国軍に改革をもたらした女性だ。

 古き慣習によって生じていた無駄を一掃、極めて合理的なシステムを構築することで、女帝ミーアの改革に一役も二役も買った人物として記録されている。

 ところで、大貴族の令嬢である彼女がどのような経緯で軍務に足を踏み入れたのかは、謎とされている。レッドムーン公爵家は確かに黒月省に近しい家柄ではあったものの、なぜ、その家の令嬢が、そのような殺伐とした世界に進んだのかは、はっきりとした記録が残っていないのだ。

 彼女の軍人生活の出発点が皇女専属近衛部隊であったことから、後の女帝、皇女ミーアの意向が働いたものと考えるのが妥当だろうが、あくまでそれは推測の域を出ない。

 謎と言えば、もう一つ。彼女の夫についての記録も、不思議なことにどこにも残されていなかった。

 帝国四大公爵と言えば、皇帝を除けば、帝国最高位の貴族として知られている。その令嬢の夫の名がどこにも記されていないことは、大きな謎である。

 一説には、歳の離れた平民の兵士を夫に選び、生涯、その者に添い遂げた、などという荒唐無稽なものまで存在している。

 その身分違いの恋をかなえるべく、女帝ミーアとその仲間たちが後押しした、などという話も残されているが、これはさすがに飛躍が過ぎるというものだろう。

 彼女の三人の息子が偉丈夫で、並外れた高身長を誇っていたこと、そして、彼女の相手として釣り合う貴族の男子に、そのような高身長の者が見当たらないことを理由に出てきた俗説の一つだろう。

                               とある歴史家の論文より

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― 新着の感想 ―
でもバノスさん士爵になっちゃったから記録に残されてないのは変ですよね。これからさらに何かのエピソードがあって記録に残さないようになるんでしょうか?
[一言] あぁ……恐れていた事態がついに現実に……。嘘だと言ってよ、バノスさん……(バノスガチ恋勢の慟哭) それはそれとして、お話もキャラ造形もとても面白く魅力的で楽しく拝読させていただいております…
[良い点]   [一言] 最後の部分 めっちゃ好き
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