第28.5話 ミーア姫、復讐(リベンジ)する!
せっかくなので、不定期で番外編です。
以降、数字の0,5話は番外編となります。
ティアムーン帝国の冬は冷える。一番寒い時だと雪も降るし、水たまりには氷も張る。
ミーアが閉じ込められた地下牢もまた、じっとしていると凍えてしまいそうなほどに冷え込む場所だった。
そんな冷え込んだ地下牢で、ミーアは一糸まとわぬ華奢な裸身を外気にさらしていた。
「うう、冷えますわね……」
「そうですね、もう冬ですから」
今日は週に一度、体を清めるための水をもらえる日なのだ。
「正直、あまり気のりはしませんが……」
夏ならばともかく、冬の寒さの中で水拭きは体にこたえる。しかも、水には嫌がらせで時々氷が浮いていたりもするのだ。
けれど、この機会を逃しては次に水がもらえるのは一週間後。それまで体が汚れたままというのも、それはそれでつらい。
仕方なくミーアは服を脱ぎ、鳥肌が立つ肌をさすっていた。
アンヌは、ミーアの白い背中を見ながら、水の入った桶に手を入れた。
氷の浮かぶ水は、痛みを感じるぐらいに冷たい。
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、桶を渡してきた水くみ係の顔を思い出し、アンヌは静かな怒りを覚える。一度、抗議してみたことがあるけれど、あっさり無視され、状況が改善されることはなかった。
仕方なくアンヌは、少しでも冷たくないように、湿らせた布を自分の手の中で温めてから使うことにしている。
誰にも知られることのない彼女のささやかな抵抗である。
……まぁ、ミーアは気づいていたのだが。
しばし生まれる手持ち無沙汰な時間、黙っているのも気まずいから、アンヌはミーアにいつも世間話をしてあげることにしていた。
その日の会話はというと……、
「大きなお風呂……ですの?」
「そうなんです。町には大きな浴槽に一杯お湯をためた、公衆浴場というところがあって……ご存知なかったですか?」
「ええ、初耳ですわ」
ある程度の温度になった濡れ布でミーアの背中を拭きながら、アンヌは話を続ける。
「妹たちと一緒に行ったりするんですよ。一日の仕事が終わった後に寄ると、体の疲れが吹き飛ぶんです。この前なんか……」
穏やかな声で、妹たちとの楽しい時間を話してくれるアンヌ。ミーアの目には、そんなアンヌの姿がまぶしく感じられた。
――わたくしも、いっしょに行ってみたかったですわ。
そのささやかな願いを、ミーアは口に出すことなく飲み込んだ。
それが絶対にかなわない願いだと知っていたから……。そんなことを言っても、アンヌを困らせることが目に見えていたから。
代わりにミーアは笑みを浮かべて言った。
「そんなので楽しめるなんて、わたくしにはよくわかりませんわ。しょせんは庶民の楽しみですわね」
「ミーアさま……」
その憎まれ口にアンヌは怒らなかった。
むしろ、その顔に浮かぶ笑みが寂しげなことに気づき、かつての高慢な姫殿下が肩を落としている姿が痛ましく感じてしまった。
かといって、ここで慰めたら、ミーアのプライドを傷つけるに違いない。
しばし考えた末、アンヌはちょっとした悪戯をすることにした。
水につけて、冷たくなった指先でミーアの首筋を、
「えいっ!」
撫でた!
「ひんっ!」
ミーアの華奢な体がぴょんこっと跳ねた。
「なっ、なっ、なっ!?」
びっくりして振り向いたミーアに、アンヌは笑みを浮かべた。
「どうですか? 楽しくないですか? お話ししただけではわからないかと思って、実演してみました。えいっ!」
「ひゃあっ! おっ、おやめなさい、アンヌ! こらっ!」
さんざん冷たい手で首筋やら脇腹やらを撫でられて、ミーアは、ぷくーっと頬を膨らませた。
「覚えておくといいですわ、アンヌ。もしも、あなたと一緒にお風呂に行くことがあったら、必ず復讐してやりますわよ? わたくし、こう見えても結構根に持つ方ですわよ?」
「残念、それは無理ですよー。だって、皇女殿下と平民が同じお風呂に入るなんてありえません」
アンヌはしたり顔で言う。
「あら? それはわかりませんわよ。もしもここから出られる日が来たならば、恐らくわたくしは皇女ではないでしょう? 身分が剥奪されていれば、わたくしはあなたと同じ平民ですわ。当然、一緒にお風呂に行くことだってできますわよ?」
勝気な笑みを浮かべるミーアに、アンヌは笑みを返した。
「あはは、それは確かにそうですね。それじゃ、その時には一緒に入りましょう。私、返り討ちにしてあげますから」
ミーアにはよくわかっていた。そんな日は決して訪れないということ。
ミーアがこの地下牢から出される時は、彼女が処刑される時であるということも。
それは、きっとアンヌも同じで……。
だけど、そんなこと微塵も感じさせずにただ素直に笑みで答えてくれるアンヌに、ミーアは心から感謝した。
――まさか、そんな機会が本当に訪れるなんて、その時には思ってもみなかったのだ。
転生してから後も、その約束はなかなか果たされなかった。
考えてみれば当たり前のことで、まさか帝国皇女たる者が庶民の公衆浴場に行けるはずもない。かといって、城の中、ミーアのために入れた風呂にアンヌが入るわけにもいかない。
けれど、ミーアはぜひアンヌと一緒にお風呂に入りたいと思っていた。あの時に聞いた女子同士での楽しいお風呂というのを体験してみたかったのだ。
その機会は、セントノエル学園にきて、すぐに訪れた。のだが……。
――あの時は、ラフィーナさまがいらして、ゆっくりできませんでしたわ。
ということで、
「アンヌ、お風呂に行きますわよ?」
ラフィーナとお風呂場で鉢合わせした数日後、ミーアは改めてアンヌを誘って大浴場に向かった。
先日と同様、大浴場は貸し切り状態だった。これで気兼ねなくアンヌと一緒に入れる、と、ニコニコのミーアである。
まぁ、誰かいたとしても文句を言わせるミーアではないのだが……。
「では、ミーアさま、お背中流させていただきます」
長い赤毛を頭の上でまとめたアンヌが、しずしずとミーアのそばに膝をついた。
そんなアンヌにミーアは早速、提案する。
「ねぇねぇ、アンヌ、またこの前と同じように、洗いっこしませんこと?」
ミーアは一緒にお風呂に入るだけでなく、楽しく入りたいのだ。
要するに、じゃれあいたいのだ!
先日もアンヌの背中を流したものの、あの時はアンヌが緊張で硬くなってしまっていた。
――あんなの聞いていたのと違いますわ!
ミーアが憧れるのは水を掛け合ったり、くすぐりあったり、そういう楽しいお風呂なのだ。
ということで、今日のミーアはリベンジに燃えていた! そう、復讐である。
「いえ、あの、ミーアさま、それはやっぱり、あの、さすがに……」
この前と同じように抵抗しようとするアンヌに、ミーアはすまし顔で言った。
「アンヌ、残念ですが……、これは命令ですわ。わたくしがわがままなこと、あなたも知っているでしょう? さ、そこに座りなさい。わたくしが先にやりますわよ!」
今日のミーアは強引なリベンジャーなのだ!
そんなわけで、アンヌの艶やかな背中を流し始めて数分。
――んー、おかしいですわ。アンヌ、やっぱり緊張してますわね。これじゃ楽しくありませんわ。
むーっと不満に頬を膨らませるミーアである。
――どうしたものかしら……、あ、そうですわ!
そんな彼女の脳裏を不意にかつての光景がよぎった。
「……ああ、そういえば思い出しましたわ……」
ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「わたくし、あなたに恩義だけでなく、恨みもあったんでしたわ……」
「……へ? あの、ミーアさま、なんのことでしょうか?」
びっくりして、振り向こうとするアンヌに、ミーアはニンマリと笑みを浮かべて。それから冷たい手の平をアンヌの背中に押し付けた。
「えいっ!」
「うひゃっ!」
おかしな悲鳴を上げて、アンヌが飛び上がった。
「なっ、なっ、なにするんですか! ミーアさま!?」
「うふふ、お返し、復讐ですわ!」
「お、お返し?」
不思議そうに首を傾げるアンヌではあったが、楽しそうに笑うミーアを見て彼女が何を求めているのか察したらしく、仕方ないですね、と笑みを浮かべた。
「ミーアさま、ラフィーナさまが言っていたこと、覚えていますか? 一糸をもまとわぬお風呂においては、平民も貴族も関係ないと……」
「え?」
言うが早いかミーアの脇腹に手を伸ばした。
もちろん、彼女の手は今は冷たくない。
氷の浮いた水をミーアに押し付ける意地悪は、ここにはいないからだ。
されど、アンヌには姉妹でお風呂に行ったときに培われたテクニックがあるのだ。
そう、楽しい楽しいじゃれあいテクニックが。
ミーアのすべすべのお腹に触れると、そのままワキワキ動かしてくすぐる!
当たり前のことだが、ミーアは今までくすぐられたことなどない。そんな恐れ多いことをしよう、などという者は一人もいなかったのだ。
免疫が一切ないミーアは、見事に飛び上がった!
「はぇ? うひゃぅっ!」
しかも、アンヌ、妹たちとの戦いでくすぐるコツを心得ているテクニシャンである。
「やっ、やや、やめっ。ひゃああっ!」
ミーアに対抗できるはずもなく、一方的にくすぐり倒されることになった。
こうして復讐者ミーアは呆気なく返り討ちにあい、心からお風呂を満喫するのだった。
……ちなみに翌日、ラフィーナから「大浴場ではお静かにお願いしますね、ミーアさん」と笑顔で注意を受けた。
滅茶苦茶怖くて涙目になったミーアは、
「やっぱり復讐なんてするもんじゃありませんわ!」
との思いを新たにしたとか。
めでたし、めでたし。
悪役令嬢といえば復讐! なので、今回はミーアの復讐譚でした。
誰が何と言おうと復讐譚です。
ミーアがアンヌに復讐する話で、ミーアがアンヌとイチャイチャする話じゃありません。