第二十一話 波乱の予感
「ふむ……こんなものかしら?」
「はい。よくお似合いですよ、ミーアさま」
着替え用に準備された幕屋にて、ミーアは、騎乗服に着替えた。
純白のブラウスとブラウンの上着、長ズボンとブーツを身に着けたミーアは、キリッとした顔で帽子を被り……、
「……心なしかお腹が苦しいような……」
自らのお腹をぽむぽむ、と叩いた。
「……やはり、露店で食べすぎたのは、よくなかったですわね……」
着替えるミーアのすぐ横、備え付けられた小さな机の上には、先ほどまで焼き菓子に刺さっていた串が、一、二、三…………六本……、六本っ!?
カップケーキのようなものを串に刺したそのお菓子は、たいそう美味で、ついつい食べ過ぎてしまったミーアなのであった。体重の増量に、荒嵐が職場放棄をしないか心配だ。
「ふわぁ、それになんだか少し眠くなってきましたわね。微妙にやる気が起きませんわ。でも、あの匂いは反則……、わたくしのせいではございませんわ」
などと誰にするでもなく言い訳していると……。
「失礼いたします、ミーアさま」
外から声が聞こえた。
「あら、クロエ。どうぞ、入って」
ミーアの許可を待って、クロエが中に入ってきた。さらに、その後ろには、ぞろぞろと一団の少年、少女の姿があった。
「まぁ、ティオーナさん、それに、みなさんも……」
クロエ、ティオーナを筆頭に入ってきたのは、生徒会選挙の時にミーアの陣営だった者たちの姿があった。
どうやら、みんな、ミーアを応援するために集まってくれたようなのだが……。
ふと、ミーアはティオーナの手元に、串に刺した焼き菓子を見つけて、思わず苦笑いである。
――まぁ、生徒会長選挙の時とは違いますわよね。
今回は、あくまでも遊び気分。みな、馬術大会を楽しんでいるのだろう。
と、ミーアの視線に気づいたティオーナが、
「あっ、えっと、これは……」
慌てて隠そうとするが、ミーアは、菓子のなくなった串を一本見せて微笑んだ。
「買ってしまいますわよね、美味しそうでしたし」
そうして、二人は、まるで悪戯がバレた子どものような顔で笑い合った。
「頑張ってください、ミーア姫殿下。我々は、みな、殿下のことを応援しています」
「まぁ、ありがとう。みなさん。頑張らせていただきますわ」
ミーアは応援団に、小さく頭を下げる。せっかく自分を応援してくれようというのだから、丁重に礼を返しておく。
――もっとも、今回は応援の面では心配しておりませんけど。
相手がラフィーナであるならばともかく、である。いかに四大公爵、いかに星持ち公爵令嬢とはいえ……、今回は皇女たるミーアの方が断然格上である。
その上、生徒会の付き合いからサフィアスが、腐れ縁でエメラルダあたりも今回は応援に回ってくれるだろう。さらにさらに、ベルがシュトリナを懐柔して、一緒に応援してくれるから……。
――あら! もしかして今回、勢力的には、わたくし、結構すごいことになってませんこと? 四大公爵家の内、三つを掌中に収めておりますわ。
そこに、聖女ラフィーナ、シオン、アベルの三人の応援を取り付け、騎馬王国の馬龍の応援まで得られるこの状況。
そう、ミーアの権勢は今まさに、大陸全土をうかがえるほど絶大なものとなっていた!
――ふっ、勝ちましたわね。
勝利を確信して、笑顔を浮かべるミーア。その笑みは、どこか乾いた、虚しい笑みだった。
――ああ、これが生徒会長選挙だったら、わたくしの心は安らかでいられたのに……。
現実逃避の虚しさに、ミーアは、はふぅっと切なげなため息を吐いた。
そうなのだ、今回、人気というものは、あまり役に立たないのだ。
問われるのは、ミーアの乗馬技術と、なにより馬の足の速さであって……。
――あの赤い馬……夕兎とか言ってたかしら……。荒嵐では、あれに対抗するのは難しいでしょうねぇ……。
半ば諦めモードに入っているミーア。そんなミーアに、頼りになる参謀、クロエが進言する。
「それで、ミーアさま、私たちでコースを少し見てきたんですけど……」
クロエは、メガネをキラリと光らせつつ、ミーアの方を見つめて……、
「今回の大会、波乱が起きそうです」
「……それは、どういう意味ですの?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、クロエは小さく頷いて見せた。
「実は、先ほど確認したところ、雨でぬかるんでいるところがかなりあるみたいなんです」
大会当日である今日は見事な晴れ模様なのだが、前日は一日ずっと雨が降っていた。
コースにぬかるみ、水たまりができていても、まったく不思議ではなかったが……。
「ぬかるみ……」
ミーアは、ちょっぴり渋い顔になる。
――それは、ちょっと乗りづらそうですわね……。
今まで練習していた通りの地面ならばいざ知らず、コースが荒れていたら、下手をすると振り落とされてしまうかもしれない……。
――どうせ、勝てないんだったら、いっそのこと棄権してしまうという選択肢も……。
などと、ますます弱気になるミーアに、クロエは笑顔で言った。
「これは、とっても面白いことになりますよ、ミーアさま」
「はぇ? えっと、どういうことですの?」
「つまり……、単純な馬の速さでは勝負が決まらなくなった。馬を操る技術や戦略、そして運が関係するようになる、ということです」
ミーアが出るレース、女子の部の参加者は……、二人だけだったりする。
いくら女子に人気が出てきたとはいえ、まだまだ乗馬ができる姫君は、あまり多くはないのだ。実のところ、本当は馬龍の妹もエントリーしてはいたのだが……。
「ははは、ちょっと嬢ちゃんたちじゃ相手にならないからな。せっかくの決闘なのに、二位と三位じゃあ、盛り上がらないだろ?」
そんな馬龍の気遣いによって、馬龍の妹君は男子の部にエントリーすることになった。
ということで、ミーアとルヴィは無事に一騎打ちをする形になったのだが……、大方の予想は、ルヴィ有利というものだった。
理由は、乗り手の問題というよりも、やはり……、馬の問題だった。
ルヴィが連れてきた夕兎。あれは、大陸有数の名馬と名高い馬だったのだ。
「セントノエルで飼育している馬も確かにいい馬だが、あれには勝てないだろう」
「レッドムーン公爵家も、大人げない。あのような馬を学校の馬術大会に駆り出してくるとは……」
そんな声が、あちらこちらから聞かれる始末。
そのような状況を踏まえた上で、クロエは言うのだ。
「これで、万に一つも勝てる可能性が出てきましたよ、ミーアさま!」
と。
そんなクロエの声を聞きながら、ミーアは……。
――ああ、やっぱり万に一つなんですのね……。
と、小さくため息を吐くのだった。




