第十八話 生命の神秘と奇妙な既視感
「どっ、どど、どうしましたの? 花陽?」
慌てて、花陽のそばに歩み寄るミーア。花陽は横向きに倒れたまま、苦しそうに息を荒げていた。
「たっ、大変ですわっ! アンヌっ! 馬龍先輩を呼んできて!」
「はい、わかりました!」
駆け出したアンヌを見送ってから、ミーアは花陽の傍らにしゃがみこんだ。
「しっかりするんですのよ、花陽。今、すぐに馬龍先輩がいらっしゃいますわ。そうしたら……」
と、優しく話しかけているところに、馬龍が駆け込んできた。
「どうした、嬢ちゃん。花陽がどうかしたのか?」
「ああ、馬龍先輩……」
ミーアは、安堵に座り込みそうになりつつ、馬龍に場所を空けた。
「花陽が、すごく苦しそうで……。あ、もしかしたら、産まれる時は、みんなこうなのかもしれませんけれど……」
ミーアの言葉は、尻すぼみに消えた。
馬龍の顔が、とても厳しいものだったからだ。
「……普通、馬は俺たちが手を出さなくっても、子を産めるはずなんだ。それが上手くできないってことは……」
ごくり、と喉を動かしてから馬龍は、ミーアの顔を見て言った。
「逆子かもしれない……」
「逆子?」
けれど、その説明はなかった。
馬龍が口を開きかけたところで、ひときわ高く花陽がいなないたからだ。
と同時に、花陽のお尻の方から、小さな馬の後ろ足が出ているのが見えた。
「くっ、時間が惜しい。嬢ちゃんの従者に、飼育員を呼んでくるように頼んでるんだが、このままだと間に合わない。俺たちで引っ張り出すぞ。嬢ちゃん、手を貸してくれ」
「…………はぇ?」
咄嗟に言われて、ミーアは、「はて、引っ張り出すって、誰に言っているのかしら?」などと思わずあたりをキョロキョロと見まわしてしまう。
それから、ようやく、
――え? え? も、もしかして、わたくしに言っているんですのっ!?
一瞬の躊躇。けれど、直後にミーアは見つけてしまう。
ちょっぴり不安そうにこちらを見つめるシュトリナと、期待に瞳をキラキラさせた孫娘の姿を……。
引くに引けない戦いがあるのだ……。
「わ、わかりましたわ、やりましょう」
決然とした表情を浮かべて、ミーアは言った。それから花陽の方を見る。
――安心なさい、花陽。わたくしが、助けて差し上げますわ!
それは、花陽に大きな恩を売るため…………ではなかった。
端的に言ってしまうと、ミーアは、子を産まんとする花陽に共感を覚えていたのだ。
――この子は、将来のわたくしですわ……。
そう思えばこそ、気合も入る。
なんとか、花陽を助けるべく、ミーアは腕まくりをした。
そこから先のことは、あまりにも必死すぎて、おぼろげにしか覚えていないミーアである。
馬龍の合図に合わせて、飛び出た足を思いっきり引っ張って……、休んで、もう一度引っ張って……。
そんな断片的な光景は思い出せるのだが……、上手く一つながりの記憶として思い出せなかった。
そうして、気づくと、ミーアは厩舎の中で、腰が抜けたように、へたり込んでいた。疲労感から、手足に力が入らなった。
その目の前、ぐったりと倒れた仔馬と、その前に膝をついた馬龍の姿が見えた。
「くそ、息が止まってる!」
馬龍が舌打ちをする。それから、仔馬の口元を服で拭い、そこに口をつけた。
ミーアは、ただ茫然と、それを見守ることしかできない。
一度、二度、三度、四度……。どれぐらい、それを続けたいたのだろうか。
顔を上げた馬龍は、動かない仔馬を見下ろして……、
「くっ……ダメか……」
悔しそうな、血を吐きそうな声でつぶやいた。
「そんな……」
ミーアは呆然と、花陽の方を見た。その瞳は、どこか悲しげな色を帯びているように、ミーアには見えて……。
「諦めたら、ダメですわ。まだ、なにかできることが……きっとあるはずですわ」
気づけば、ミーアは言っていた。
ミーアは深く深く、花陽に共感していたのだ。
「何か……、何かできることは……」
必死に考えるミーア。と、助けは意外な方向からもたらされた。
「……もしかしたら、これがお役に立つかもしれません」
そう言って、一歩進み出たのはシュトリナだった。その手には、小さな布袋が握られていた。
「それは?」
怪訝そうな顔をする馬龍に、シュトリナは真剣そのものの顔で言った。
「薬草です。強心性の薬草で、心の臓に刺激を与えて、再び活力を取り戻させると言われています」
そう言って差し出された袋に、馬龍は躊躇いがちに手を伸ばした。
しばしの逡巡、されど、すぐに首を振る。
「どちらにしろ、このままじゃ助からない。なら、試してみるか」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ぐったりとした仔馬の口に、袋の中身を注ぎ込む。
一瞬の静寂……、その後……、けほっ! っと小さな声が聞こえてきた。
「っ! よしっ! 息を吹き返したぞっ!」
直後、馬龍が快哉を上げた! それに応えるように、仔馬がぶるるっと体を震わせると、よろよろ起き上がろうとする。
「あ……、あぁ、ああ! やりましたのねっ!」
ミーアは、思わずといった様子で、深々と息を吐いた。
それから、シュトリナの方を見て、
「ありがとう、リーナさん。あなたのおかげで、仔馬は救われましたわ!」
「いえ、お役に立ててよかったです」
シュトリナはいつもと変わらない、可憐な笑みを浮かべるのみだった。
それから、ミーアは花陽の方に歩み寄る。
「よく頑張りましたわね……。元気な仔馬が生まれましたわよ」
優しく首を撫でると、花陽はミーアの方に穏やかな瞳を向けた。そこには、大きな仕事をやり遂げた自信のようなものが見て取れた。
「うふふ、それじゃあ、花陽、わたくしもお先に、あなたの子を見させていただきますわね」
上機嫌に笑い、ルンルンと仔馬に歩み寄りつつ、ふとミーアは思った。
――そう言えば、花陽のお相手って、どの馬なのかしら……? きっとすごく良い馬だと思うのですけど……。
ミーアは、花陽に深く深く深く共感しているのだ。それはもはや、自己同一視にも近い感覚である。将来の自分を見ているような気分だ。
ゆえに、花陽の選んだ相手は、きっとすごく良い馬に違いない、という確信があるのだ。
なぜならミーアは、自分の男を見る目に自信を持っているからだ。
そんなことを考えつつ、仔馬を見たミーアは……、
「あら? なんだか、この子、どこかで見たことがあるような……?」
んー? どこでだったかしら? と、眉をひそめつつ、顔を寄せたミーア。それを見た仔馬は、鼻をひくひくさせてから……、
「くっちゅん!」
小さく、可愛らしいくしゃみをした……。
ちょっぴり、仔馬のナニカまみれになったミーアは……、何か重大な真実にたどり着きかけた!
けれど、そこに到達する直前に、脳が、理解を拒んだ!
なぜなら、ミーアは花陽に深く深く深く深く共感していたから。未来の自分であるから!
男を見る目は確かなはずで……、あんな、しょーもない馬を相手に選ぶなんてこと、あり得ないから!
そんな無意識下の想いがミーアの認識を阻害して……、
「…………うーん、わたくし、馬にくしゃみをかけられる呪いでも、かけられてるのかしら?」
見たくないものは見えないのが人間というものなのである。




