第十四話 朗報! 馬龍、またしてもミーアに感心してしまう
『我ら、騎馬王国の民は馬と共にこの大地を駆ける者。馬は我らをあらゆる束縛から解き放ち、果て無き彼方の地を見せ、されど、いかな場所にいても、我らを大地に結び合わせるもの。馬は我らの魂。ゆえに、決して粗雑に扱ってはならぬのだ』
それは、林馬龍の体に染みついた言葉、族長である祖父の教えだった。
中央正教会の誇る広大なる宗教圏、馬龍の母国である騎馬王国もまた、その中に位置していた。だから彼らが信仰する神もまた、他の国々と同じく、この地を創りし唯一神である聖神だ。
ゆえに、彼らは「馬」そのものを神聖視することはない。けれど、彼らの信仰は、周りの国々と比較して、少しだけ特殊だった。
ティアムーン帝国の少数部族ルールー族が、森の木々を通して神を見るように、騎馬王国の民は、馬を通して神を見るのだ。
馬とは神に貸与された最も偉大な力であり、比類なき財であり、神と自分たちとをつなぐ糸だ。中央正教会の聖典を通して語られる神の恩恵、その最も大きなものを彼らは「馬」という形で認識しているのだ。
それゆえに、他の国とは比べ物にならないほどに、彼らは馬を大切にしていた。
馬龍もまた、そのような教えの中で育てられてきた。
だからこそ、
「馬なんて汚らしい。このように臭い獣が学園内にいるなんて、信じられないわ」
ある貴族の令嬢が吐いたその言葉は、到底、許せるものではなかった。
セントノエル学園に入学したての頃の馬龍は、そのことにいちいち憤慨し、周囲との軋轢を深めていた。
しかし、徐々に彼は知っていく。
この学園では、そして、他国の常識ではそうなのだ、と。
騎馬王国では、生まれた頃から馬と共にあり、馬と共に生活し、馬は家族だった。
されど、他国において馬はただの家畜で、場合によっては武器という扱いである。
男ならば、戦場で世話になるのだから、愛着も沸くだろう。商人、あるいは農民であれば、馬は貴重な労働力。同じく大切に扱うだろう。
しかしながら……、貴族のご令嬢にとってみれば、馬はただ、臭いだけの動物だ。
なるほど、仔馬などは可愛らしいかもしれないが、あくまでもそれは、観賞用、愛玩用に過ぎない。無味無臭で綺麗なもの、絵画の中に描かれるような、あるいは、無機質な布でできたぬいぐるみのような、そういうものを、彼女たちは理想としている。
生き物であれば物を食べ、糞をする。
どれだけ綺麗にしていても、多少は臭うもの。それが生きるということだ。
そんな当たり前のことを受け入れられない狭量な者たち……。
いつしか、馬龍は、そんな女子たちと距離を置くようになっていった。
だから……、はじめてミーアが馬術部を訪ねて来た時、馬龍が受けた衝撃は、決して小さいものではなかった。
はじめ、彼は警戒していた。
ミーアが、馬に危害を加えるのではないか、と。
以前、馬の糞を踏んだ貴族の令嬢が、馬を処分しろと怒鳴り込んできたことがあった。
くだらない戯言と馬龍は一笑に付したけれど、今回も同じだと思ったのだ。
けれど、ミーアは……。自分の不注意で糞を踏んだわけではなく、馬にくしゃみを吹っ掛けられて、ドレスをダメにされてしまうという、より酷い目にあったミーアは……、それにもかかわらず、笑ったのだ。
「ああ、そんなの大したことありませんわ」
なんでもないことのように言って、あっさり、それを許したのだ。
それだけでも衝撃的であったのに、さらには馬に乗りたがり、あろうことか馬術部に入ってしまったのだ。
以来、真面目に馬術に取り組むミーアを見て、馬龍はひそかに感心していたのだ。
その感心の度合いは、ここ最近になって、さらに大きなものになっていた。
――大したもんだな……、この嬢ちゃんは……。
何度も、荒嵐にくしゃみを吹っ掛けられても乗ることを諦めない姿勢。いや、それどころか……。
――最近は、荒嵐の呼吸を読もうとしているようにも見えるな……。
言うことを聞かないから、と、嫌ったり、不貞腐れたりするのではなく……、正面から立ち向かい、乗り越えようとする姿勢。
なにより、馬に真摯に向き合うあり方に、馬龍は、まるで国の妹たちに向けるように、温かな気持ちを抱いていたのだ。
けれど、ミーアは、そこに留まることはなかった。
今度は、馬の世話をしたい……である。
――俺の予想を、簡単に上回ってくるな……。この嬢ちゃんは……。
普通のお貴族さまの令嬢であれば、厩は臭い、などと言って近づいてはこない。
まして、彼女は大帝国の皇女殿下である。
けれど、ミーアは言ったのだ。
馬の世話がしたいと。仔を産むのは大変だろうから、と。
慈しむような瞳で、花陽を見ながら、言ったのだ。
もちろん、彼女は素人である。なにかの役に立つとも思えない。
けれど、馬龍は、その言葉自体が嬉しかったのだ。
「ああ、わかった……。それじゃあ、手伝ってもらおうか……。もちろん、できる範囲で構わない」
そんな、じんわりとした感動に胸を熱くする馬龍をしり目に……。
――ふふん、きっちり恩を売っておかないといけませんわね!
そう胸算用するミーアなのであった。
こうして、ミーアは、花陽の世話を手伝うことになるのだった。