第二十八話 一万の軍勢
肩までつかって温まり、ぽーっと気持よくなってきたところで、
「ところで、ミーア姫、明後日に入学記念パーティーがあるのはご存じかしら?」
ラフィーナは聞いてきた。
「入学記念パーティー? はて……」
ミーアは首を傾げた。
そんな話を聞いた覚えもなければ、前の時間軸の記憶もない。
いったいなぜ? そんなミーアの疑問はすぐに解消される。
「新入生を歓迎するためのダンスパーティーなのですが、お聞きではないかしら? てっきり、もう、どなたかからダンスに誘われているものと思っていたのだけど」
ダンスと聞いた瞬間、ミーアの背筋に稲妻が走った!
――そうでしたわっ! あの忌々しい時間のこと、すっかり記憶から消し去っておりましたわっ!
前の時間軸において、ミーアは、シオン王子と付き合うものだとばかり思っていた。
だから、当然、ダンスパーティーのお誘いも向こうからやってくるものだと信じきっていたし、周りにもそのように吹聴して回っていた。
そのため、当日、彼女は地獄を見るのだ。
なにしろ、シオン王子にその気はない。けれど、事前に言いふらしていたせいで、自分をダンスに誘おうという者もおらず。
パーティーが半分終わったころに、ようやく気が付いた者たちが声をかけてくるが、それはすべて自国の顔なじみばかり。
しかも、その顔に気遣わしげな、困ったような笑顔が張り付いていれば、ミーアの自尊心が申し出を受け入れるはずもなく。
結局、ミーアはその日、ボッチパーティーを満喫するはめになるのだ。
――あ、あ、あんな思い、もう二度とごめんですわ!
幸い、今回はシオンとダンスの約束が、などと言うウソは言っていない。申し込みはある……、そのはずだ、なきゃおかしい!
――あっ、ありますように……。
などと、弱気にお祈りをしそうになって、ミーアはあわてて首を振る。
――そんな弱気ではだめですわ。それに、これはコネを築くための絶好のチャンスですわ!
そう、ミーアが目標に掲げる二つのこと。
危ない人たちとコネを築かないこと、それに、自分を助けてくれる人とコネを築くこと。
一つ目は早くも危ういけれど、二つ目に関してはこれからなのだ。チャンスは積極的に狙っていきたい。
かつて、ミーアはシオン・ソール・サンクランドという、最上の男子を射止めようと考えた。
なにしろ、シオンはイケメンだ。笑顔がとても爽やかだ。
ミーアはどちらかと言えば面食いなのである。
さらに剣術は同級生どころか、上級生ですら並ぶ者がいないほどだ。
剣術大会の時などは、相手が自分より大きくとも勇敢に立ち向かい、けれど、普段は優しくて穏やか、ともなれば、文句のつけようがない。
少なくともミーアはそう思っていた。
……大いなる間違いだった。
直接にではないにせよ、彼のせいでギロチンにかけられたミーアは、彼の性格が偽りのものだと見抜いていた(ミーアの中ではそうなっている!)
しかし、彼個人の人柄以前の問題として、第一王子を婿に取ろうなど、そもそも不可能なのだ。
ミーア以外に後継者がいない帝国から、ミーアが嫁に出ることは不可能だし、サンクランド王国の側としても、シオンを婿に出すことなどありえないだろう。
――むしろ、狙い目としては、第二王子以降、王位継承権がそこまで高くない方ですわ。
そうして考えて行く時、ミーアには思い当たる人が一人いた。
ティアムーン帝国とサンクランド王国、二つの一級国家には及ばないまでも、中堅の国家群の中では比較的大きく、なおかつ軍事力が充実した国。
さらに、ティアムーン帝国からは多少距離があるものの、ちょうどサンクランド王国の反対側に位置している国。
国名をレムノ王国という。
そして、幸運なことに、レムノ王国の第二王子、アベル・レムノは、ミーアたちの同級生なのだ。
もし、アベルを婿にするか、最低限、恋仲になっておけば、サンクランド王国に攻められた時、援軍を頼めるだろう。
そうすれば、挟み撃ちで、サンクランドを討てるではないか。
――学校が始まってからゆっくりアプローチをしようと思っておりましたが、そうも言ってられないようですわ!
共同浴場を後にして、部屋に入ったとたん、ミーアはアンヌに言った。
「作戦会議をいたしますわ、アンヌ。あなたの恋愛知識を総動員していただきますわ」
ミーアの号令を聞き、アンヌはすっと姿勢を正した。
「わかりました、ミーア様。不肖、このアンヌ、ミーア様のために全身全霊、知恵を絞らせていただきます」
気合いの入った返事に、ミーアは満足げにうなずいた。
……ミーアは知らないのだ。
頼りにしているアンヌの恋愛知識が、妹が書いていた恋愛小説をもとにしたものであることを。
まさか、自分より五歳も年上のアンヌが、まだ恋すらしたことがない恋愛初心者であるということなど……。
想像すらしなかったのだ…………。
「たのもしいですわ、アンヌ。わたくし、一万の軍勢を味方につけた気分ですわ!」
その一万の軍勢がハリボテに過ぎないということなど。