第十三話 ミーア姫、応援する! ……馬を
「もっ、もも、もう、我慢なりませんわっ! 我慢なりませんわっ!」
厩に荒嵐を引っ張ってきたミーアは、ぎりぎりと歯ぎしりする。
布で拭いたものの、その髪はしっとり……ナニカに濡れていた。
「うう、早くお風呂に入りたい……。でも、その前にっ! 馬龍先輩に、相方の馬を変えてもらいますわっ!」
覚悟を決めて、馬龍がいるという、特別厩舎の方に向かったミーア……、であったのだが……。
「あら? おりませんわね……」
厩舎の中には誰もいなかった。「誰も」というか「一頭も」というか……。
不思議なことに、小屋はがらんとして、馬の姿がまるで見当たらなかった。
「そう言えば、ここに入るのって、初めてですわね……あっ」
と、そこで、ミーアは気づいた。
小屋にただ一頭だけでたたずむ馬がいることを。
「まぁ……すごく綺麗な馬ですわ……」
ミーアは、思わず、その姿に見とれる。それは、純白の毛並みの美しい馬だった。
まるで、女王のような気高い様子で、馬はまっすぐにミーアを見つめていた。
「あなたは……」
「こいつはな、花陽。荒嵐と同じ、月兎馬だよ」
ふと見れば、すぐ後ろに馬龍が立っていた。
掃除の最中だったのか、手に巨大な馬房用のフォークを持っていた。
「月兎馬……、ああ、そういえば、出産を控えて走れない子がいるって言ってましたわね」
言われてみれば、確かに、その馬の体はふっくら丸みを帯びているように見えた。
「とても美しい馬ですわね……」
ミーアは小さく笑みを浮かべる。と、そんなミーアを花陽は、じっと静かに見つめていた。その瞳は、やわらかな温かみを感じさせるものだった。
「まぁ、この子……とても優しい目をしておりますわね……」
「そうだな。こいつは雌だし、月兎馬の中ではかなり穏やかな方だ。こいつが走れるなら、こいつに乗ってもらうところなんだが……」
「あー、それはとても残念ですわ……」
と言いつつも、ミーアは、ふむ、と考える。
――今回の馬術大会では間に合わないかもしれませんけど……、冬までは、どうかしら?
聖夜祭の夜……、ミーアは遠駈けに出かけて、野盗に殺されるのだ。
その際、もしも、足の速い月兎馬に乗ることができていれば、命が助かるかもしれない……。この花陽であれば、こちらの意を汲んで走ってくれそうだし……。あのバカ馬と違って……。
ミーアは期待を込めて、馬龍の方を見た。
「ちなみに、なんですけど……、馬龍先輩? この子、いつ出産で、いつぐらいから走れるようになるのかしら?」
「あー、そうだな。大体、あと十日ぐらいで産まれるかな。そうしたらすぐにも走れるが、人を乗せて全力で走るとなると、一週間もあれば行けると思うぜ」
「ほう……ということは……」
十分に冬の聖夜祭までは、間に合うではないか……。
それからミーアは、改めて花陽の方を見た。ジッとミーアを見つめてくる澄んだ瞳。そこには実に知的な光が灯っていた。
――ああ、荒嵐のアホ面とは大違いですわ! そう言えば月兎馬は、とても頭のいい馬だと言っておりましたし、きっとあの荒嵐のアホが例外なんですのね……。
感心しつつも、ミーアは思う。
――頭がいいということは、きっと恩義を受けたら、しっかりと覚えておけるはずですわ。あの荒嵐は知りませんけど……、この子は賢そうですし、間違いありませんわ……。ということは……。
ミーアの本能が告げる。
この馬とは仲良くしておくべき。この馬に恩を売っておけ! と。
ミーアは、一つ大きく頷くと、馬龍の方を見た。
「あの、馬龍先輩、わたくしもこの馬のお世話をお手伝いしたいのですけど、よろしいかしら?」
「うん? いや、まぁ、構わないが……。手伝いというと?」
「お掃除とか、体を拭いて綺麗にしたり、ですわ」
馬術部とはいっても、ミーアたちは、馬のお世話はしていない。それを担当するのは、学園の職員であり、尊き身分のミーアたちは、ただ乗馬の技術を磨くのみである。
騎馬王国の馬龍やその影響を受けたアベルなどは、馬術とは馬の世話とセットである、と言って、厩舎の掃除などもやっているが、それをするのはあくまでも一部の者のみ。
そんな中、まさか、大帝国の姫がそのようなことをすると言い出すなど、あまりに予想外すぎて、馬龍はぽかーんと口を開けた。
「ああ、もちろん、できる範囲で、ですわよ? 毎日、早朝に起きて、なんていうのは難しいですけど、でも、人手が必要なのではなくって? その……、大変なのでしょう? 子どもを産むというのは……」
打算とは別の想いも、ミーアの中にはあった。
少し前までは、赤ん坊って大きな鳥かなにかが運んでくるのかしらー? などと、とぼけたことを言っていたミーアであるが、さすがに最近は正しい知識を身に着けつつある。
なにせ、歴史書の通りに行けば、八人産まなければならないわけで……。
子どもって実際のところ、どうやって産まれるのかしらー、などとクロエに相談したところ、無言で本を渡されたのだ。
「これに書いてありますけど……、その、びっくりしないでくださいね、ミーアさま」
などと、言われて、おっかなびっくり読んだミーアである。
ゆえに、知っている。
子を産むのは、とても……、とても大変なのだということを。
――わたくし、大丈夫かしら……? 八人も……? うう……。
などと心配になりつつも、ミーアは花陽のお腹を軽く撫でる。
「頑張るんですのよ。立派な子を産みなさい」
微妙に、花陽にシンパシーを覚えるミーアなのであった。