第十二話 天馬姫(ペガプリ)ミーア、苦戦する
「行きますわよ、荒嵐」
その日も、ミーアは馬場を訪れた。
ここ数日、ミーアは月兎馬、荒嵐との練習に明け暮れていた。
優しく、その首筋を撫でて、それからミーアは軽く馬の脇腹を蹴った。
実のところ……ミーアは馬術に関しては結構、真面目に取り組んでいた。
なにしろ、ギロチンの運命にとらわれていた時から、馬はミーアの命綱。馬術は決して手を抜くことのできぬ技術であると、ミーアは心得ていたのだ。
そして、最近の集中乗馬訓練もあった。その結果、ミーアはここに来て、ついに一つの真理へと到達する。
「乗馬とは、結局のところ馬と呼吸を合わせることが肝要……。つまりは、ダンスのステップと同じようなものですわ!」
という真理に。
ゆっくりと歩きだす馬。その脇腹を、ミーアは、右、左、と軽く合図を送る。
この際、馬が歩きやすいリズムで合図を出してやるのが大切である。これにより、馬は気持ちよく、スムーズに歩くことができるのだ。
さらに、速度を上げる時も同じだ。馬の呼吸に合わせて体のバランスをとりつつ、足で適切に指示を与えていくのが大切である。
――要は、馬の呼吸に合わせることが大切ですわ。
そして、ミーアは気づいたのだ。
相手の呼吸を読み、動きを合わせること……。なんのことはない、それは、ダンスと同じではないか、と。相手のステップに合わせ、音楽に合わせ、体を動かすこと。
それはまさに、社交ダンスと同じなのである。
ところで、すでにお忘れかと思うが、ミーアはダンス上手である。達人の域に達していると言っても過言ではない。ゆえに、ミーアは、比較的スムーズに馬術を体得した。
すでに普通に走らせるのは問題ないどころか、その腕前はなかなかのもので、これはもう、「天馬姫」を名乗ってしまおうかしら? などと調子に乗っているぐらいである。
「ふむ、この速さの時には三拍子、もう少し速くなると四拍子の足運びになりますわね。ということは、こちらからの合図のタイミングは……」
などと……、自らのダンス経験と馬術をつなげて、より理解を深めていく。
そう、ついに、ミーアは「ダンス技能」から「乗馬技能C-」をスキル派生させてしまったのだ!
だから、月兎馬を乗りこなすことだって可能とミーアが思ったとしても、不思議はなかった……のだが……。
「ぐぬっ……」
馬龍の勧めで、ゆっくりとした歩み、常歩で荒嵐を進ませていたミーアだったが、馬上で小さく呻き声を上げた。
――微妙にリズムがズレるんですのよね、こいつ……。こっちが気持ちよく乗っている時に限って……。
そうなのだ……。ミーアが気持ちよーくリズムに乗って合図を送っていると、不意に、荒嵐がリズムを変えてしまうのだ。
それも露骨にではなく、徐々に、じわじわーっと変えてくるので、そのズレた感じが、微妙に気持ち悪いのだ。
これが常歩ならばよいのだが、少し速度を速めた速歩の場合には、もっと大変だ。馬の上下動が大きくなるため、馬上の人間は、座ったり立ったりを繰り返して、その衝撃を緩和する「軽速歩」という動作をする必要があるのだが……。
これもなぜか、荒嵐と微妙に呼吸が合わずに、ミーアは何度もお尻をぶつけることになってしまったのだ……。
「うう、お、お尻がジンジンしますわ……。こ、こいつ、絶対わざとやってますわ!」
などという恨み言が聞こえたのかどうなのか……、荒嵐はくるりとミーアの方を振り向いて、ぶひひん、っと口の端を上げて見せた。
「お、おのれ……。こいつ……、昨日、目の前で、ニンジンケーキを食べてやったのを根に持っておりますのね……っていうか、あれ、半分以上、あなたが食べてしまったでしょうに……」
歯ぎしりしつつ、ミーアは荒嵐から降りる。
――ああ、相性最悪ですわ……。わたくし、もっと素直で可愛らしい馬の方が好みですのに……。
ちなみに、馬術大会に参加する者たちは、ほとんどが自分の家から馬を連れてきていた。
そして、速乗りに参加する者たちは、そのほとんどが月兎馬を連れてきており、当然のことながらルヴィも月兎馬を用意しているだろう。
対抗するには同じく月兎馬に乗るしかないのだが……。
――ぐぬぬ、どうして、馬術部にはこんなやつしかいないんですの?
かといって、帝国から馬を送ってもらうわけにもいかない。以前、馬術部に入りたての頃に普通の馬を送るようお願いした時にも、
「大きい馬に乗って、落ちたりしたら大変ではないかっ!」
などと、皇帝からの横槍が入り、安全な小型馬しか送ってもらえなかったのだ。
――それにしても、どうしたものかしら……。このままでは勝負にならないですし……。
腕組みしつつ、考え込むミーア。と、その時だった。
「やぁ、ミーア。調子はどうだい?」
ぱから、ぱから、と馬を駆り、アベルが近づいて来るのが見えた。
「あら、アベル。今日も鍛練ですの?」
「もちろん、勝ちたいからね」
ちなみに、アベルが出るのは、馬上剣術の部門である。シオンも同じだ。
「それにしても、さすがはアベル。しっかりと馬を乗りこなしておりますわね」
「そうかい? ミーアだって頑張っていると思うけど……」
「わたくしは頑張っているのですけど、この馬が……ひゃっ!」
どす、っと後ろから押されて、ミーアは思わず転びそうになる。
「んなっ!?」
振り返ったミーアは、自らを鼻っ面で押す荒嵐の姿を見つける
――こっ、こいつ……、やっぱりわたくしを馬鹿にして……?
きぃっと睨みつけようとするミーアだったが……。
「ああ、もしかすると、ボクがミーアと仲良くしてるから、嫉妬したのかもしれないな」
ふと、アベルが思いついたように言った。
「きっと、ミーアのことが好きなんだよ」
「まぁ、わたくしのことが……?」
ミーアは、小さく首を傾げる。
――ふむ、なるほど……。そう言えば男子は、好きな女の子の気を引くために、意地悪をするもの、とアンヌが言っておりましたっけ……。
ミーアは、荒嵐の方を見て、ニマァっと、こう……実に、うざぁい笑みを浮かべた。
「なぁんだ、そういうことでしたの? そういうことなら……ん?」
と、ミーアは気づく。荒嵐の鼻がひくひくとしていることに……。
こういう動きをした後には、大体の場合……。
「ま、まさか……、逃げっ! うひゃあああああっ!」
ぶぇええくしょんっ!
びちゃびちゃびちゃ……。
暴風のようなくしゃみに巻き込まれたミーアは、こてん、っと尻餅をつくのだった。




