第十一話 その恋に、身を焼かれたとしても……
ルヴィ・エトワ・レッドムーンが初恋をしたのは、彼女が十歳の時のことだった。
ティアムーン帝国四大公爵家の一角、レッドムーン家に生を受けた彼女は、順風満帆な人生を送っていた。
生まれながらにして、運動能力に恵まれた彼女は、剣術も馬術もお手の物だった。
三人いる弟たちを凌駕するその剣の腕前に、父であるレッドムーン公爵もご満悦で、「婿をとらせて、我が家を継がせよう」などと半ば本気で吹聴するぐらいだった。
また、彼女自身も幼心に、自らにかかる父の期待に精一杯応えるべく、研鑽を積み重ねていた。
輝かしき英雄の才は、彼女の明るい将来を約束するものだった。
そんな彼女に、一つの転機が訪れる。
それは、彼女が父と共に軍の見学に行った時のことだった。
「強そうな方々がいっぱいですね、父上」
「ははは、そうだな。こう……強そうな大男を見ると、ワクワクするな!」
良兵集めが趣味の父は、血がうずくのか、子どものようにはしゃいでいた。
その後、軍首脳部との会合に向かうという父と別れ、ルヴィは練馬場にやってきた。
「退屈だったら、馬にでも乗せてもらいなさい」
そんな父の言葉に従って来たのだ。
すでに幾度も乗馬経験を積み重ねていた彼女は、その日も、ごく普通に馬に乗って時間をつぶすはずだった。
けれど、そこで事故が起こる。
ルヴィの乗っていた馬が、突如として暴走してしまったのだ。
「こっ、こら、止まって! だ、だめ、だめだってっ!」
なんとか馬を止めようと手綱を思い切り引っ張った瞬間、驚いた馬が前足を大きく振り上げた。
「あっ……」
びゅんっと体が投げ出される。
ぐるん、ぐるん、回る視界。
音を消した世界、奇妙に速度を失った時間……、ゆっくりと迫ってくる地面。
ルヴィはぎゅっと目を閉じて体を固くする。
受け身をとれ、と剣術の師匠には言われていたけれど、咄嗟のことに、体は思うように動かなかった。
彼女にできたのは、ただただ、襲ってくるであろう痛みに、覚悟を決めるだけ……。
けれど、地面に向かっていた体が、急に止まる。
「……ぇ?」
なにが起きたのかわからず、固まったままのルヴィに、
「大丈夫ですかい? お嬢さま」
声がかけられた。太くて、深みのある男の声。
恐る恐る目を開けたルヴィはそこに、一人の男の姿を見た。
――ふわぁ……、大きな人……。
少女を怖がらせないようにと、不器用な笑みを浮かべた男、それこそがバノスだった。
その日の胸の高鳴りは、ルヴィの内から決して消えることはなかった。
言ってしまえば、それは、ただの一目惚れ……。
幼き日の一瞬のときめき、年端も行かぬ少女の憧れ、恋未満の他愛もない感情であったかもしれない。
けれど、ルヴィの中で、その一瞬は、宝物のように輝き、その光を増し続けた。
――あの人に、会いたい。もう一度、あの人と会って、言葉を交わして……そして。
その想いはいつしか、彼女の生きる目的へと変わっていた。
成長し、軍内部のことをある程度理解できるようになったルヴィは黒月省に通った。
あの日、自分を助けてくれた者が何者なのか……、まだ、生きているのか?
数年の時をかけて調べを進めたルヴィは、ついにその男を見つけ出す。
百人隊副隊長バノス。
それが男の名だった。
見つけ出しさえすれば、自身の手中に収める方法はいくらでもあると、ルヴィは考えた。
最も簡単なものは監督官として、私兵団に来てもらうことだ。
黒月省に圧力をかければ、その程度のことは容易いこと。良兵集めが趣味の父も、腕利きのバノスであれば、文句は言わないだろう。
あとは、お近づきになったバノスに、徐々にアプローチしていけばいい。
身分差があるから、すんなりと結ばれることはないだろうが、いざとなれば家など捨ててしまえるほどに、ルヴィの恋心は激しかった。
ルヴィは大男好きであると同時に、恋の炎に身を焼く情熱の人でもあった。
ともかく、彼を自分の近くに置いておきたい。それが一番の望みだった。
けれど、その計画が実現することはなかった。
ルヴィが動くよりも先に皇女ミーアが、彼と彼の部隊とを近衛に引き抜いてしまったからだ。しかも、皇女専属近衛部隊という、自らの直轄部隊に編入してしまったのだ。
皇女の権限の強い、半ば私兵団のようなあの部隊には、黒月省であっても、おいそれと口出しできない。
結果、ルヴィは、恋する男をミーアに奪われた形になってしまった。
「人の恋路を邪魔するなんて、ミーア姫殿下もずいぶんと野暮なことをするな……」
ぼやきはしたけれど、彼女が足を止めることはなかった。大切な者を得るための彼女の戦いはすでに、数年前から始まっていたのだ。
この程度のことで諦めることはあり得ない。
ミーアがセントノエル学園にいるうちに、とルヴィはずっと機会をうかがっていたのだ。
そして、時機が来たと見て……動いた。
正直な話、決闘を申し込んだところで、引き受けてもらえるかどうかはわからなかった。
そもそも、皇女に公爵令嬢が決闘を挑むこと自体が非常識極まりないこと、帝国内ではとてもではないが、できないことだった。
だからこそ、ルヴィは、ここ、セントノエル学園で仕掛けた。
中央正教会という権威のもと、聖女ラフィーナが治めるこの学園であれば、多少のことであれば、大目に見てもらえる。年若い者同士のトラブルというのは、日常茶飯事であり、それをいちいち国家間、あるいは貴族の家同士の問題として取り扱うことはできないからだ。
さらに、エメラルダやサフィアスから聞いた、ミーア姫の人となり。最近の皇女殿下はたいそう寛容で、少々の無礼は意に介さない人物に成長されたという。
これならば、決闘を引き受けてもらえるかもしれない。
また、馬術部に決闘を申し込みに来たのも、立会人として林馬龍を選んだのも計算の内だった。比較的、高身長の馬龍もまた、ルヴィの興味の対象であり、それゆえ、彼の性格もすでに調べてあった。
あの場で挑めば、恐らくは別の決闘内容にはならないだろう、とルヴィは計算していた。
ミーアは馬術大会に向けて猛特訓を繰り返していたらしいし、馬龍の手前、別のもので勝負とは言いづらい。
かくて、ルヴィは、自身にとって圧倒的に有利な決闘条件「馬術大会での勝負」を設定することに成功する。
戦とは、戦い始める前に、趨勢が決まるもの。
剣を交えるのは、あくまでも、結果を確定させるための行為に過ぎず、実際の勝敗はすでにその前の段階で決まっている。
かつて、聞いた戦略論の話が頭を過る。
それゆえ、負けた時のリスクなど、考慮に値しない。否、そうではなく……。
「いや、あの方を、我が手に収めるためだ。少しばかりの無茶ならばしなければね。私の命ぐらいは安いもの……。我が公爵家の存続にだって興味もない」
それに、仮に、勝算がなかったとしても、それはそれで構わない。
一番辛いのは、負けることではない。大切な者を得るために、戦いすらできないことなのだから。
今も、胸を焦がす感情があった。
あの日の出会いによって生じた恋の炎、未だに少女の胸に宿り、決して消えることはない。
「バノスさま、あなたを必ず、我がもとに……」
ルヴィ・エトワ・レッドムーン。
赤き月の公爵令嬢は、燃えるような恋の情熱を持った少女だった。
一方、そんなこととは露知らぬミーアは……。
「うふふ、スイートニンジンケーキ、作っていただきましたわ。予定通り、これを目の前で食べて、見せびらかしてやりますわ! 別に、復讐なんて器の小さいことではありませんわ。あくまでも馬術の向上のため……、そう、馬にナメられないためですわ!」
ルンルン、鼻歌を歌いつつ、飼育小屋に向かったミーアは……。
「ふふーん、ああ、とーっても美味しいですわ。最高ですわ。うふふ、どう? うらやましいでしょう? ぜーんぶ、あなたの目の前で全部食べて差し上げ――ひゃっ!? や……、ちょっ、まっ、こ、これは、わたくしの、あ、あああ! だ、ダメ! わ、わたくしのケーキが…………」
無事にニンジンケーキを荒嵐と一緒に食べて、親睦を深めたのだった。
めでたし、めでたし。
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3.ルヴィ・エトワ・レッドムーン
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