第八話 変幻自在のミーアの手のひら
馬龍の連れてきた馬を見て、ミーアは、ふーむと唸り声を上げた。
「この子が月兎馬……。ちなみに、名前はございますの?」
「ああ、こいつは荒嵐って名前だな」
「荒嵐……。なんだか、すごく勇ましい名前ですわ」
ミーアが見つめると、荒嵐は、ぶっふと鼻を鳴らし、口をにいいっと広げた。
「……あら? この馬、もしかして、今、わたくしに笑いかけましたの?」
「ははは、さすがに馬が笑ったところは見たことねぇな」
馬龍は苦笑いして肩をすくめる。
「そ、そうですわよね? ですけど、なぜでしょう……なんだか、ものすごーく、馬鹿にするみたいな笑いに見えましたけど……。やっぱり気のせいかしら……」
ぶつぶつ言いつつ、ミーアは馬を観察した。
その馬は見た目でいえば、普通の馬と大差なかった。
大きさも普通だし、角が生えてたり、翼がついてたりということもない。どこにでもいそうな馬だ……。
「ふーむ……見ただけではわかりませんわね。やはり、乗ってみなければ……はて?」
と、そこでミーアは思い出す。
「そう言えば、わたくし、この馬に乗ったことございませんわね……」
首を傾げるミーアに、馬龍は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そりゃそうだ。なんせこいつらは、ともかく速い。よっぽど慣れた生徒じゃないとすぐに落とされてケガしちまうからな」
「ほう!」
ミーアは、再び月兎馬、荒嵐に目をやった。
――なるほど……、つまり馬龍先輩は、わたくしであればこの馬に乗っても問題ないと、そう判断されたということですわね……?
ミーアの顔が一瞬、ドヤ顔になりかけるが……。
「まぁ、正直、嬢ちゃんは頑丈そうだし、落ちてもなんだかんだで、なんとかなるだろ」
「……ん? あら? 変ですわね。褒められたはずなのに、あまり嬉しくないような……」
「ははは。まぁ、冗談は置いておくとして、どうだ? ちょっと乗ってみるかい?」
「ああ、そうですわね。慣れておいた方がいいでしょうし……」
馬龍がああは言っていたものの、実際のところミーアには自信があった。
なにしろ、ここ最近のミーアはかつてないぐらいに頑張っていたのだ。
――ふふん、月兎馬、なにするものぞ、ですわ。このわたくしが、見事に乗りこなして差し上げますわ。
鼻息荒く、ミーアは荒嵐に飛び乗った。
……はずだったのだが……。
――おかしいですわ。なぜ、わたくしが、こんな扱いに……?
荒嵐の背に、ちょこん、とおさまったミーア。その後ろには、
「しっかりつかまってるんだぞ、嬢ちゃん。手を緩めたら危ないからな」
ミーアを包み込むようにして、馬龍の大きな体があった。
――こ、これではまるで、わたくしが子ども扱いではございませんの?
などという抗議の意味を込めて、ミーアは言った。
「あの、馬龍先輩? まぁ、二人乗りをするのはよろしいのですけど、前にアベルと一緒に乗った時には、わたくしが後ろで、こう……、前の方につかまる感じでしたけど……」
「ああ、あれはうちの一族の乗り方なんだ。普通は乗り慣れてない方が前に乗る方が安定するんだよ」
「あら? それは知りませんでしたわ」
てっきりああして乗るのが普通だと思ってましたけど……、などと首を傾げるミーアに、馬龍は微笑んで見せた。
「うちの一族じゃ、老人から女子供に至るまで、みんな馬に乗れるのが普通だからな」
「まぁ、それでしたら、きちんとアベルに教えてくださればよろしかったのに。人が悪いですわ」
ミーアは、唇を尖らせた。
――わたくしが落ちるなんておかしいと思いましたわ! やっぱり乗り方がおかしかったんですのね!
ミーアがよそ見をしたのが主な落下原因であるのだが……。
――まったく、馬龍先輩、肝心なところで気が利かないですわね。そう言えば先ほどもルヴィさんのお話にホイホイ乗せられてしまいましたし……。
むぅうっとミーアは唇を尖らせる。
ミーアの中の馬龍の好感度が1弱下がった。
「ははは、すまねぇな。しかしまぁ、嬢ちゃんが乗るにはやっぱりあの位置じゃねぇかと思ったのさ。なにしろ、嬢ちゃんは、アベルの大切な人なんだろう?」
馬龍はそう言って、意味深な笑みを浮かべる。
「ん? どういうことですの?」
「もともと、あの乗り方は夫婦乗りって言ってな、戦士が大切な恋人を背中にかばいながら戦う時の乗り方なんだ。俺たちの祖先の大英雄が、愛する妻を背にかばいつつ、数百人の敵の中を駆け抜けたって話に由来しててな。だから、あの乗り方で後ろに乗るのは、その男にとって大切な人ってことになるんだが……」
馬龍は、茶目っけたっぷりに片目を閉じた。
「アベルと嬢ちゃんにぴったりの乗り方だろ?」
――さすがは馬龍先輩! 実に気が利きますわっ! よくよく考えれば、あの乗り方のおかげで、アベルといい雰囲気になれましたし! いいことづくめでしたわっ! それに、ルヴィさんのことだって、こうして月兎馬と出会うきっかけになりましたし。本当に、さすが馬龍先輩ですわ!
ミーアの中の馬龍の好感度が120上がった!
表から裏、裏から表、ミーアの手のひらは変幻自在に翻る。
「しかし、まさか落ちるとは思わなかったから、あの時は随分と肝を冷やしたっけな。ああ、そう言えばきちんと謝ってなかったっけな。あの時はすまなかったな」
「うふふ、そんなの全然気にしておりませんわ。馬龍先輩らしくもない。謝る必要なんかぜんっぜんございませんわ!」
ミーアはよく翻る手のひらをヒラヒラ振りながら上機嫌に笑った。
先ほど感じた不満は、すでに記憶の彼方である。記憶の彼方がすぐ近くにあるのが、ミーアの数少ない美点である。
「そうか。はは、さすがは嬢ちゃんだ。相変わらず器がでっかいな」
感心したように笑う馬龍だったが、ミーアはすでに聞いちゃいなかった。
――それにしても、実になんともいい名前ですわね。夫婦乗り、アベルとわたくしが、夫婦。うふふ、なんだか、あの馬に乗った時から運命で結ばれてたって感じで……、こう……いいですわね!
あの時、かばってくれたアベル、すごく格好良かったっけ……、などと甘々妄想モードに入っていたミーア。
次に馬龍が口にした不穏な言葉をも、華麗にスルーした。
「まぁ、今回は嬢ちゃんを後ろにしたら飛ばされちまいそうだし、ちょっとシャレにはならないからな。そんなことしたら、アベルに怒られちまうよ」
そんな不穏な言葉を……。
「さて、それじゃあ行くか。しっかり掴まっててくれよ、嬢ちゃん。振り落とされるなよ?」
「へ? あ、ああ、そんなの余裕ですわ。見事、乗りこなしてみせますわ」
ミーアは胸を張って言い放った。
「むしろ、馬龍先輩がいなくっても軽ーく乗りこなしてみせますわ! ここ数日のわたくしの努力、披露して差し上げますわ」
そう豪語していたミーアは……、数瞬の後、風になった!